早起きして、富江町から小さい船に乗って黒島へ行ってきました。
港から15分のところに浮かぶ、高齢の母と娘さんの二人が住んでいる小さな島です。
今日はお二人は私たちと逆で富江に行く日だったらしく、行きと帰りにお会いしたが
ゆっくり島の話を聞くことは出来ませんでした。
10年ほど前に1度行った時はまだ7、8世帯10人ほどが暮らしていましたが、
高齢になり子供の所へ転居したりして、一人、二人と減っていったようです。
島がにぎやかだった頃にあった小学校の跡は、今は天井も床も落ちて面影はなく
残された時計がさみしく哀れでした。
無人になった家々も、屋根が落ち草に覆われもう誰も帰ってこない現実がありました。
小さい島なので10分も歩くと隅々まで一周できます。
みんなでお昼ご飯を食べ、帰りの船を待つ間の長い事、お二人は毎日どんなふうに
過ごしているのだろう?猫も家族なのでしょう、人懐こく寄ってきました。
今日は寒さも少し和らぎ波も静かで、黒島の港から見える鬼岳もいつもと
変わらず輝いていました。傍から見たら不便でも、お二人にとっては
この島での暮らしは輝いているのだと思いました。
長崎市長がノーベル平和賞の授賞式に出席すると発表しました。
広島市長も出席を表明していたので被爆地の代表として、市長がそろって出席
することは意義深いし、活動してきた被爆者にとっては輝かしいことになります。
カメラの操作を間違って、写真の日付が1日早まっています、あしからず。
港から15分のところに浮かぶ、高齢の母と娘さんの二人が住んでいる小さな島です。
今日はお二人は私たちと逆で富江に行く日だったらしく、行きと帰りにお会いしたが
ゆっくり島の話を聞くことは出来ませんでした。
10年ほど前に1度行った時はまだ7、8世帯10人ほどが暮らしていましたが、
高齢になり子供の所へ転居したりして、一人、二人と減っていったようです。
島がにぎやかだった頃にあった小学校の跡は、今は天井も床も落ちて面影はなく
残された時計がさみしく哀れでした。
無人になった家々も、屋根が落ち草に覆われもう誰も帰ってこない現実がありました。
小さい島なので10分も歩くと隅々まで一周できます。
みんなでお昼ご飯を食べ、帰りの船を待つ間の長い事、お二人は毎日どんなふうに
過ごしているのだろう?猫も家族なのでしょう、人懐こく寄ってきました。
今日は寒さも少し和らぎ波も静かで、黒島の港から見える鬼岳もいつもと
変わらず輝いていました。傍から見たら不便でも、お二人にとっては
この島での暮らしは輝いているのだと思いました。
長崎市長がノーベル平和賞の授賞式に出席すると発表しました。
広島市長も出席を表明していたので被爆地の代表として、市長がそろって出席
することは意義深いし、活動してきた被爆者にとっては輝かしいことになります。
カメラの操作を間違って、写真の日付が1日早まっています、あしからず。
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