おはなはん(樫山文枝さん)直筆のはがきを頂戴した。
小生にではなく祖母宛である。
「おはなはん」で話の通じる方は、恐らく齢60を超す世代だと思う。
NHK連続テレビ小説(連ドラ)で、最高60%を超す視聴率を記録した『おはなはん』(1966年4月4日~1967年4月1日放映)のこと。
これと時期を同じうして、ドラマの舞台となった伊予松山で、小生のキャンパス・ライフをスタートさせた。
当時73歳だった祖母は、おはなはんの熱烈なファンで、ヒロインを演じた樫山文枝さんにファンレターを出し、彼女からの直筆の返礼の絵葉書を宝物にしていたほど。
そんな祖母は、小生の入学を千載一遇のチャンスとばかりに、汽車と船を乗り継いで5時間かけて、単身訪ねて来た。
下宿で、♪おはなはんのテーマソングをギターで爪弾いてやると、目を閉じてうっとりと聴いていた姿が脳裏に焼きついている。
樫山文枝さんから頂いた“宝物”は、祖母の棺の中に入れた。泉下で何度も読み返していることだろう。
『おはなはん』のロケのワンシーン
視聴率60%とは、今では信じられない数字ですね。
伊予松山でおはなはんのテーマソングを生歌で…。素晴らしいお祖母様孝行でしたね!
朝8時45分になると水量メーターが急に下がり、水の出がよくなったとの逸話が残るお化け番組は、他には知りません。
ドラマではインスト曲でしたが、後から横井弘が曲に詞をつけて30万枚を超すヒットになりました。
紅白歌合戦で倍賞千恵子が、この歌を歌っており、小生はとても敵わず鼻歌とギターコード伴奏でごまかしました(笑)
それにしてもお祖母さまは、とても前向きな明るい方だったのですね。ファンレターを送ったり、今で言う〝ロケ地巡り〟されたり。楽しんでいる姿が目に浮かびます。
そういえば、私の父方の祖母も、当時にしては積極的な方で、「おはなはん」の年代の頃だったと思いますが、上野で「ツタンカーメン展」があると聞いて、「どうしても見たい!」と長野県から汽車で上京してきたことがありました。
ふと、思い出しました。(^-^)
お互い昭和生まれとしては「昭和は遠くなりにけり」の郷愁に駆られますね。
思い出す光景もモノクロだったりして(笑)
義祖母さんにわが祖母のイメージが重なります。
うちの祖母は中々ハイカラな面も持ち合わせていました。
1930年代のことですが嫁いだ娘(伯母)家族が上海へ赴任中、末息子を連れて長期間滞在していました。