百間川の分流部にある、百間川せせらぎ広場で遅ればせながらの花見を楽しんだ。
散初めし桜に追い打ちをかけるような昨夜の雨で、芝生はまるでピンクの絨毯を敷き詰めたよう。
せせらぎ広場の桜(金平ざくら)は、ある男性の熱意から生まれた。
その人の名は湯浅金平さんで、子息は小生の幼馴染。
更に孫はわが二男の幼馴染と、わが家三代(父→子→孫)にわたる長~いお付き合いである。
金平さんは地元の町内会長を長く務め、ここを「地域の人が憩える桜の名所にしたい」と思い立った。
併せて一帯で絶滅の危機に瀕したホタルの繁殖などにも取り組んできた。
金平さんは、自宅でソメイヨシノの苗木を育て、何年もかけて250本近くを独りで植栽した。
黙々と水やりをする姿に、地域の人々も次第に協力を始めるようになった。
1994年頃、地元町内会の有志が桜の木(ソメイヨシノ)約百本を植え、池周辺の草刈りや桜の手入れを行うなどの管理をしている。
当時尽力された湯浅金平翁の名を冠して“金平ざくら”と呼ばれており、いまは子息が翁の遺志をついで活動し、桜は河川敷に根付き現在に至る。
散初めし桜に追い打ちをかけるような昨夜の雨で、芝生はまるでピンクの絨毯を敷き詰めたよう。
せせらぎ広場の桜(金平ざくら)は、ある男性の熱意から生まれた。
その人の名は湯浅金平さんで、子息は小生の幼馴染。
更に孫はわが二男の幼馴染と、わが家三代(父→子→孫)にわたる長~いお付き合いである。
金平さんは地元の町内会長を長く務め、ここを「地域の人が憩える桜の名所にしたい」と思い立った。
併せて一帯で絶滅の危機に瀕したホタルの繁殖などにも取り組んできた。
金平さんは、自宅でソメイヨシノの苗木を育て、何年もかけて250本近くを独りで植栽した。
黙々と水やりをする姿に、地域の人々も次第に協力を始めるようになった。
1994年頃、地元町内会の有志が桜の木(ソメイヨシノ)約百本を植え、池周辺の草刈りや桜の手入れを行うなどの管理をしている。
当時尽力された湯浅金平翁の名を冠して“金平ざくら”と呼ばれており、いまは子息が翁の遺志をついで活動し、桜は河川敷に根付き現在に至る。
雨上がりのウイークデーとあって人影もまばらで、ほぼ貸し切り花見となった。





桜の光景、素晴らしいですね。桜はいろいろな人の思いが込められていて、やはり特別な存在です。
この話にも続きがあります。
40年前に最寄りのJA山陽本線高島駅開業に際しても、金平さんが地元住民のために先頭に立って奮闘され実現しました。
勿論地域住民からも寄付を募りましたが、お陰で岡山駅までバスなら30分かかるところが、5分に短縮され、市街地が近くなりました。
私は桜の“散り際の潔さ”が好きです。
梅とともに春を代表する自然美の風物です!