てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

写真の整理

2009-04-05 10:46:00 | 暮らしと生活
 いつも自分の姿を鏡に映した思いで拝見している山陽新聞連載の『おじさん図鑑』。5日付でエッセイスト飛鳥圭介氏が「残された写真」と題して、一人暮らしのお母さんが他界され数年を経て家を取り壊すことになり、その際の困却ぶりを嘆いておられる。写真好きだったご両親が撮り溜めた膨大な写真の処理のことだが、焼却したりごみに出すのも忍びない。よい知恵があれば教示願いたいというもの。

 小生も写真が好きで、学生時代から40年此の方、撮り溜めたネガフィルムと同ベタ焼き、アルバムが80冊を越える。さらに別途デジタルカメラに手を染めてからここ約10年間分のデータはパソコンHD・DVD・ZIP形式で保存してある。
 余りにも多量のデータなので、最近はいちいちプリントアウトしてアルバムに貼ることはせず、これというのだけ大きく引き伸ばし、後は折に触れてディスプレイ上で楽しんでいる。それも不便なので、そのうち「デジタルフォトフレーム(動画対応機能付)」を求めようと思っている。
 それにしても以前のネガフィルムをデジタル化しなければならず、考えただけでも気が遠くなる作業だ。先日、かみさん宛ての義妹のメールに「暇に任せてせっせと写真をデジタル化している」とあったそうだ。

 母の容態が良くなかった時のこと、万一に備えて遺影写真を探したが、なかなかすんなりとは見つからなかった。膨大なデータ量だけに整理の仕方に問題があることを痛感した。ネガフィルムの時代にはベタ焼き保存という手段があったが、デジタルに移行してからは、それすら追っつかなくなった。
 
 こうして残してある写真だが、3人の倅、7人の孫、果たして誰が次代へ引き継いでくれるのやら。私ども夫婦にとっては何物にも替え難い財産だと思っているのだが、他の者からすればあくまで再び戻ることの無い“過去の刹那を写した虚像”であり、単にお荷物の“負の財産”なのだろうか。そんなことを考えると一抹の寂しさだけが残り、虚しくてやりきれない。
コメント (4)
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