ある調べ物をしていたら偶然、西興部村の歴史に目が留まりました。
廃止になった名寄本線・上興部駅でかつて売られていた駅弁、「やまべ寿司」について。
これは上興部駅で大正14年(13年の説もあり)から昭和36年まで売られていた駅弁です。
まずは当時の名寄本線の状況を説明しましょう。
この駅弁が売られ始めた大正14年はまだ石北本線が全通していませんでした。
札幌から当時の北海道開拓の要衝・網走に行くには旭川から名寄に向い、
興部ー紋別ー遠軽ー北見(当時の駅名は野付牛)を経由して行くしかなかった。
なんという遠回りかと思いますが、当時はそういう時代でした。
(そのお陰で渚滑線の開通が早かった)
上川管内とオホーツク管内の一ノ橋ー上興部間には急峻な天北峠があり、
上興部駅には峠越えに備えた機関庫もありました。
上興部駅は交通の要衝で、機関車の付け替えをするために停車時間も長かったのです。
そこで売り出されたのが「やまべ寿司」で、列車の乗客には大好評だったようです。
札幌の物産展で入賞したこともあったとか。
昭和36年は私が生まれる1年前、当然私がこれを知る由もない。
ところがこれとは全然関係ないところで私は上興部駅で駅弁が売られていたことを知ります。
「京王百貨店駅弁大会」
今は全国のデパートやスーパーで定番企画になっている「駅弁大会」、
その元祖といえる京王百貨店の名物催事です。
今年は1月10日~22日まで行われました。
この催事だけで数億円の売り上げがあるという、とんでもない企画です。
ちなみに去年の販売個数1位は函館本線森駅の「いかめし」。
毎年不動の1位ですね。
「やまべ寿司」に戻ります。
続く
廃止になった名寄本線・上興部駅でかつて売られていた駅弁、「やまべ寿司」について。
これは上興部駅で大正14年(13年の説もあり)から昭和36年まで売られていた駅弁です。
まずは当時の名寄本線の状況を説明しましょう。
この駅弁が売られ始めた大正14年はまだ石北本線が全通していませんでした。
札幌から当時の北海道開拓の要衝・網走に行くには旭川から名寄に向い、
興部ー紋別ー遠軽ー北見(当時の駅名は野付牛)を経由して行くしかなかった。
なんという遠回りかと思いますが、当時はそういう時代でした。
(そのお陰で渚滑線の開通が早かった)
上川管内とオホーツク管内の一ノ橋ー上興部間には急峻な天北峠があり、
上興部駅には峠越えに備えた機関庫もありました。
上興部駅は交通の要衝で、機関車の付け替えをするために停車時間も長かったのです。
そこで売り出されたのが「やまべ寿司」で、列車の乗客には大好評だったようです。
札幌の物産展で入賞したこともあったとか。
昭和36年は私が生まれる1年前、当然私がこれを知る由もない。
ところがこれとは全然関係ないところで私は上興部駅で駅弁が売られていたことを知ります。
「京王百貨店駅弁大会」
今は全国のデパートやスーパーで定番企画になっている「駅弁大会」、
その元祖といえる京王百貨店の名物催事です。
今年は1月10日~22日まで行われました。
この催事だけで数億円の売り上げがあるという、とんでもない企画です。
ちなみに去年の販売個数1位は函館本線森駅の「いかめし」。
毎年不動の1位ですね。
「やまべ寿司」に戻ります。
続く
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