世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

子供の観た名所旧跡「白銀堂」

2006年04月15日 | Weblog

この建物には、かつての漁村、糸満の氏神様が祀られています。「白銀堂」という名称は、わりと新しい時代に付けられたらしく古くは一ヨリアゲノ嶽―神名「シロカネノ御イベ」(つまり、魚の寄り揚がる浦、又は魚族の集る白浜の神処)といって、まさに漁村に相応しい神様の祀られた処です。次ぎの様な伝説もあります。・・・『むかし、美殿(みとぅん)という男が知り合いの児玉左衛門(こだまざえもん)という日本本土の人から金を借りたが、約束の日までに返す事が出来ず「白銀堂」に隠れていました。ところが児玉左衛門に見つかってしまい、斬り殺されようとした時に美殿は、「いじぬ、出じらあ手引き、手ぬ出じらあ、いじ引き」(カァーとなった時は、相手を殴ろうとした手を引け、怒って手が出そうになった時は心を落ち着かせて手を引っ込めろ)』・・・と言って、しばらく取立てを待ってほしい、と頼みました。児玉左衛門は、この言葉を聞き入れ待ちました。しばらく月日が経って児玉左衛門は故郷の自宅に帰りました。その時に彼の妻は別の男と寝ていました。カァーとなった一度は刀に手をかけましたが、ふと美殿の言葉を思い出し二人を起こしてみると何とそれは彼の母親と妻の二人だったのです。理由を聴くと、騒々しい世の中だから、そういう服装をしないと危ない、と聴かされ、思い止まった事に感謝しました。この美殿の言葉に助けられたのです。琉球・沖縄に帰った児玉左衛門に美殿は金を返済しようとしたが彼は受け取らなかった。お前のお蔭で妻を殺さずにすんだ。お前は命の恩人だ。そのお金を受け取る事はできない、と逆にお礼を言った。「受け取ってくれ、受け取れない」の押し問答が、しばらく続いた。結局、そのお金は、そこに埋める事になった。そして、そこに祠(ほこら)を建てた。そこが今日の「白銀堂」です。 (6年 B)

沖縄の人達の生活の中から生まれた素晴らしい知恵を示す伝説だと思います。いまでも、「てぃ(手)ぬ、んじらあ、いじひき、いじぬ、いじらあ、てぃひき」は、立派に生きています。 (父 B)

<学習の手引き>・・・「白銀堂」にまつわる話は、いろいろ、あります。調べてみましょう。


所得格差の拡大よりも固定化の解消を!

2006年04月14日 | Weblog

所得格差の 二極化 とか 上流と下流富裕層 対 貧困層 の発生・拡大が叫ばれてから久しい。心ある識者は、その要因を指摘し、それは 市場原理の導入 の推進にある、との帰結から矛先を与党 自公民の「構造改革」政策に向ける。長い闇の低成長が続いて来たが最近、漸く景気の上向きで企業も活性化してきた。閉塞感から脱して明るい兆しが見えてきた。持続可能な景気浮揚の為に所得格差を拡大させたその要因を探ってみたい。・・・

1.高齢化が要因。 稼動能力の差 で所得が拡大。同高齢層の中で拡大。少子高齢化の進展で高齢層の割合が高まれば「稼動若年層から高齢層までの全体」の 所得格差 が拡大する。

2.企業の雇用手段の 配置転換・出向 で所得維持。 賃金削減 退職希望者募集と解雇 のリストラを中年層・高齢層で実施。

3.失業の発生。若年層(15~24歳)と中高年層(55~64歳)の失業率が平均より大きい。特に若年層は 新卒採用の抑制 で人件費圧縮の対象。

4.成果主義の採用。 日本型年功序列 から 成果主義 への転換。

1.~4.の要因が 所得格差の拡大 に拍車を懸けた。フリーターやニートの発生・増加も構造的改革に起因し加えて低成長下では必然の帰結であった、と結論。それでも高齢層にとっては年金や自助努力による資産のある程度の積み立てがあるので何とか現時点では生活に、あまり支障を来たさない、と思う。むしろ若年層の正社員の不可(ニートとフリーター)の生涯継続と貯蓄の低下が問題であり二極化と富裕層と貧困層(同世代間でも)を拡大し益々、進展する事が課題として残される。

 


改正「教育基本法」案に賛同&狼狽?!

2006年04月13日 | Weblog

「教育基本法」は<教育の憲法>として戦後60有余年、認知されてきた。敗戦の真因は日本国の「皇国教育」の帰結だと識者は声高に叫び一億総懺悔の基で「民主主義」を歓迎し採り入れてきた。爾来、今日まで日本の教育は、まがりなりにも「民主主義教育」の成果をあげてきた。長短、歪も綻びも噴出してきた。日進月歩の科学技術の発展・進展で世界も日本も世の中も、あらゆる制度や社会組織、世相が激変してきた。その様相・態様に対応する諸制度の変更を迫られる様になった。民族、歴史、文化、宗教の類似と相違で主義主張が異なり相互の利害が衝突し問題化してきた。・・・戦後間もない1,947年に制定された「教育基本法」も例外ではなくなった。その基本法案に明記すべきキーワードが『愛国心』であり、どう盛り込むか、であった。その文言の挿入についての自公間の論争が続いた。自民党の「愛国心」の文言を明記すべきである、との主張に対し公明党は反対した。戦前の軍国主義・全体主義を想起させ国民に悪夢の再来を印象づける恐れがある、との事で一歩も譲らない。双方の主張は平行線を辿った。漸く歩み寄りで決着が着いたのが次の文言である。・・・『伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う』・・・当初、自民党は国を「愛」する、公明党は「大切」にする・・・の鬩ぎあいの論争に終始した。与党 公明党に対し自民党が歩み寄った。 「国」とは「<統治機構>の国を愛する、のでななく<伝統と文化を尊重する>国を愛する・・・、に公明党は、ようやく納得し了承した。・・・思うに「愛国心=皇国教育」の構図に拘泥し戦前の残滓を引き摺っている事が、むしろ問題なのだ。今更、そう考える御仁は居まい。不毛の論議としか思えない。問題なのは「個人の尊厳」等々の<個人の側面>を強調すると共に「公共の精神」、「勤労の精神」「家庭教育」等の ”社会性の涵養” の強調を<等価値>で明記すべきだ、と思った事である。最近のニートにもフリーターにも対応できる時代の要請に応える「教育基本法」であるべきだと思慮した事である。・・・

 


子供の観た史跡旧跡「島尻具志川城跡」

2006年04月12日 | Weblog

「わぁ、何だ!このタテ穴は・・・」。そこには、城内から海に通じる自然のタテ穴がありました。伝説によれば今から約500年ほど前、久米島(くめじま<沖縄の離島>)の具志川城主 真金声按司が、島の対立する按司(あじ=王)に攻められ、そこから逃げて辿り着いたこの地に築いた城が「具志川城」と言われています。ここは喜屋武岬(きゃんみさき<沖縄本島南部のかつての激戦地>)近くの海に沿った険しい崖の上に在ります。この城の周辺は、ほとんど雑草に覆われています。城壁の積み方は、小さな石灰岩を5メートル程の高さまで積んだ「野面積」(のずらづみ)になっています。城内は<本丸>と<二の丸>に分かれ、「本丸」には自然のタテ穴があって下の海に通じています。そこは南海岸の泉からの 水あげ や貿易品の出し口に使用され、非常の時などの出入り口にもなっていた、と思われます。城の下には、自然に出来た洞穴があり、去る第二次大戦の沖縄戦の時に日本軍が陣地を造っていた跡が残っています。かつての沖縄=琉球には旧具志川市(沖縄本島)の具志川城、久米島の具志川城、そして、この「具志川城」が在ったのです。この三つの具志川城は、どれも海岸に突き出た小さい丘の上に築かれています。一部は急な斜面になっている所もあります。そこからは城内に至る通路もあります。この様に三つの城が似ているので同じ氏族の按司が、築いたのではないか、と思いました。昭和47年5月15日に国の史跡に指定されています。 (6年 A)

この城は14~15世紀ごろ築城されています。Aくんも調べて分った、と思うが三つとも同じ名称の具志川城、しかも海岸の近くの丘の上に築かれ造り方も似ているので不思議な城になっている。きっと、何かの繋がりがあったのではないでしょうか。 (父 A)

<学習の手引き>・・・沖縄の城の特徴を本土のそれと比べて纏めてみたら、おもしろい結果がでる、と思います。

{参考資料}:沖縄本島の喜屋武岬の突出した断崖に築かれた城。海岸側は野面積みの石垣で東側の城門は切石積み。城内は低い石垣で二つの郭に区画され、「スーフチミー」(穴)という海に通じた自然の洞窟がある。伝承では久米島具志川城を追われた真金声按司が逃げのび、築城したと言われる。14~15世紀頃の青磁片が発見された。石垣が放置されているといった感じの城跡です。平和の塔のある喜屋武岬は戦争中、アメリカ兵に追われた多くの県民が、ここから身を投げ出したという歴史もあるのです。


米国によるイラン攻撃の予兆

2006年04月11日 | Weblog

イランの核開発を断念させる方法として米国は2つの選択肢を用意している、とワシント・ンポスト紙は伝えている。現実味を帯びてきたイランへの米国の対処。選択肢・・・軍事攻撃の立案計画・・・その1<ウラン濃縮施設の空爆>。その2・・・<核施設以外の軍事的拠点の空爆>。でも、それは最終案であって、あくまでも「外交的解決」を目指す、と米政府高官は強調している。国連を中心とした審議・話し合いでは埒が明かないので軍事的解決を望んでいる勢力もいてブッシュ大統領は任期がきれる2,009年1月までに何らかの決着を迫られている。米国とイランの履歴を振り返ってみよう。第二次世界大戦後、米国の支援をうけて中東や旧ソ連の共産国の防波堤として機能してきた。「白色革命」と呼称される程の急速な近代化を成し遂げた。そのスタンスが当時の宗教界の反感をかった。最も西洋化された国のイランだったがイスラム教原理主義の危機を実感した識者、学生、民衆は<西洋的価値>の浸透を最も恐れた。遂に1,979年に<ホメイニ師>を先導者として革命を起こした。『イラン革命』である。当時のパーレビ王朝を倒して「イスラム教国家」を建国した。その革命を契機に米国とは国交が途絶えた。24年の長期にわたる確執が現在まで尾を引いている。その後もイランは査察に非協力国として非難されている。特に米国はイランを「悪の枢軸国」として名指しで非難している。天然資源の豊富なイランは、それを武器に、その後も悉く米国と対立した。因みに「天然ガス」埋蔵量は世界2位。「石油埋蔵量」はOPECで2位。・・・イランの核施設が明るみに出たのは2,002年。翌年の03年にはIAEA(国際原子力機関)の査察が入った。高濃縮ウラン(核兵器に転用可能)が検出された。その結果、イランは英・仏・独と交渉しウラン濃縮作業を凍結した。だが翌04年8月に再びウラン転換作業を開始し国際社会の非難を浴びて現在に至っている。・・・

付記:「ウラン濃縮」・・・”天然ウラン”は核分裂を起こさない<238>と核分裂を起こす<235>から成る。

●「238」(ウラン99%含む。核分裂を起こさない)

●「235」(ウラン0.7%しか含まない。核分裂を起こす)

だから<原発燃料>や<核兵器>に使用するには核分裂を起こす「235」ウランを濃縮するしかない。「6フッ化ウラン」を遠心分離器にかけて高速回転させウラン「235」だけを集中的に収集する方法が採られている。

 


小沢氏の政治理念と政策 履歴を概観する!

2006年04月10日 | Weblog
―「政治生命を賭けて組織を固め挙党一致態勢で与党 自公民 と対峙し政権を奪回する」―小沢氏の新生 民主党 に賭ける再生への決意である。 ”全身全霊を尽くし一生懸命がんばる”今までの小沢氏のイメージを180度、転回したスタンスである。言葉の端々に並々ならぬ決意の程が窺える。―『まず私が変わらなければならない』―この文言も「男!小沢!」を語るに過去の 政治履歴 を振り返って観ても意味深長な重みのある一言である。小沢氏を知る 通の識者 は青天の霹靂であったに違いない。政治手法が<トップダウン的で己の信念・信条を全うする政治理念(信条・信念)に徹し集合離散した過程においてでさえも己の主義主張(信念・信条)に反する違反行為の徒は斬って捨てた!>そういうスタンスが小沢氏の政治手法である。従来の政権政党、否 日本民族の歴史性、民族性が「和の精神」、「丸く治める」、「玉虫色」の<なあなあ主義>の政治決断の踏襲であった事に対するアンチテーゼとして小沢氏の政治はあった{傑出した1人の権力集中<有司専制>(大久保)その権力が自民党を倒す武器になる事<実質重視>と<原理原則論>}。そのスタンスに魅力を感じ支援・応援者が台頭したのである。閉塞感を醸した日本社会に新風を巻き起こした小泉首相も、そういう意味では時代を先読みし先取りし時代の寵児になったのもこれ又時代の要請だった。対峙する小沢氏も、ある意味では、同じスタンスである。IT界のかつての、あのホリエモンとも一脈通じる面がある。小泉首相 曰く「自民党の中枢・心臓部の幹事長を務めた人が野党党首になるとは誰が想像し得たであろうか!しかも47歳という若さで。次期総理に一番近い人の筆頭に挙げられた人が。私なんか相手にもされなかった。だから人生はおもしろいね!」。・・・渡辺恒三氏曰く「あんな真剣な真顔を、かつて見た事がない」。・・・小沢は変わった・・・その言に「生来の性格・性癖は、そんなに変わるものではない。ビヘイビア云々とかだろうが、人間は理性で変わり得る」、そう反撃した。前前原氏の自民に対抗する「対案云々」ではなく枝葉末節な官僚的発想の政策ではなく「対立軸政策」を提案して国会論戦に挑むという。「理念としての国家像」を打ち出し、この ”国のかたち” を明確にして、それへの実現の政策として提出し論戦に供える。詳細は小沢氏の著書「日本改造計画」(93年)”普通の国になれ”に具体化されている。まず初めに理念ありき。その方途として戦略があり戦術で具体化し実現する。明確な「国家像」を描いて、この日本の進むべき 国のかたち 未来像 を国民に提示し賛否を問うて実現していく。その政治スタンスが今回の小沢氏の国民への問題提起であり党首となった最大の理由でもある。・・・

付記:旧社会党系の横路・赤松グループとは「現憲法」を維持し「<安全保障>と、憲法前文と9条で<原理原則主義>を貫き、海外活動が現憲法で許容されるのであれば<国連待機軍>を常設。自衛隊は<国防>に徹する」で合意。


新生 小沢民主党 再生に期待 大!

2006年04月09日 | Weblog
衆院総選挙に大敗。国会での論戦に巻き返しを図った4点セットでの優勢に水をさした メール問題 で消滅寸前。前原執行部の後手、後手の対応に国民は、業を煮やし、そっぽを向いた。失望した。風前の灯に党の命運を賭けて立ち上がった男!小沢一郎! 陰の帝王の異名を持つ政界の豪腕・剛腕が前面に躍り出た。非常事態の崖淵の党 救世主が 小沢一郎 待望論となって登場して来た。党首選に立候補し対立候補の前代表の菅氏を大差で破り当選した。文字通り「新生 民主党 の顔」となった。千変万化の剛腕が今回、試練にあう。過去の経歴は若手の出世頭の筆頭に挙げられた程の凄腕の持ち主の経歴を持つ。その男が深く潜行した沈黙を破って当選し野党第一党「民主党」の顔となった。与党自民党の手の内を知り尽くした男が政権奪取に、どう戦略戦術を駆使して挑むか、そして政権奪回を果たす事が出来るのか、内外の注目を集めている。「壊し屋」の異名を返上し政権を奪取し真の政権与党「民主党」として真価を発揮するか注視の的となっている。久々の野党主導の政界運営が ”男!小沢!”の力量によって新風を巻き起こし政界革命を起こし得るか、政財界は勿論、日本一億国民が成り行きを見守っている。 ”小沢という男” は(尊敬と力量を確信しての男の美学的愛称として呼び捨ての非礼を許可願いたい)、それ程の未知数の力量を有し日本の命運と方向の舵取りを任せる事の出来る男と確信している。次回は「男!小沢の 政治理念 生き様 経歴 」とで理念・信条、政治センスと政治素質とを証明してみようと思う。


キャンプ・シュワブ沿岸部にV字滑走路で合意!

2006年04月08日 | Weblog
揉めにもめた長年の懸案が、ここに漸く合意をみた。その合意に早くも賛否両論が噴出した。選挙公約違反だ!地元は元より県内外から疑問や反対の狼煙が上がり続出した。額賀防衛庁長官と島袋名護市長との数十回にわたるギリギリの合意である。各種市民団体や平和団体の猛烈な反対が即座に表明された。稲嶺沖縄県知事も受け入れを拒否、不快感を示した。今日8日に上京し小泉首相や関係閣僚・省庁に合意案は到底、受け入れられない旨を伝える意向である。関係団体や識者も北部3地域・、周辺部の上空は避けられても騒音や環境への影響が考慮されておらず、益々、基地の強化・拡大に繋がる、と猛反発。宜野湾市民や識者も普天間飛行場をキャンプ・シュワブ沿岸部に移設しただけで危険回避、安全には程遠い、と懸念する。島袋市長のリコールも提訴している。支持者も疑問を呈し窮地に立たされている。県外、国外への移設以外は有り得ない、と従来の主張を踏襲する事を再度、確認し提訴する事を各種団体が表明する雰囲気になった。これからが正念場と捉え益々、反対運動はエスカレートし熾烈を極めていくであろう。沖縄県民の今後の命運が懸かっているだけに内外の関心度も高く尚、一段と問題を抱える様にもなった。今後の政府・県・名護北部との折衝、収拾、終息の行方が、どうなっていくのか一層、混沌としてきた。沖縄県民・北部市町村民の、ひいては子々孫々の死活問題であるだけに個々人が真摯に取り組まなければならない沖縄の戦後最大の重大課題・懸案事項であり、その行方に内外の関心が注視されている。


沖縄の 県民性 と ホスピタリティー

2006年04月07日 | Weblog
沖縄を語るに、定番語に「いちゃりば、ちょうでー」(逢えば皆、兄弟)<赤の他人でも何かの、ご縁で出逢ったのだ!その御縁を大事にしようじゃないか!!>。「出逢えば皆、兄弟だ!」。そのスタンスが古から語り継がれた祖先の叡智・心情・県民性(人間性)として培われてきた。小島国で四方、海に囲まれた ”島嶼性” は、ややともすれば閉鎖的で排他性の強い負のイメージが先行する。わが祖先は、意識的か無意識的なのかは別にして、見果てぬ夢を追い求め、 地の果て 水平線の彼方 まで雄飛し一大貿易立国を築いた。島国、島嶼性を克服したのである。天性の大らかさ屈託のない明るさは他国・他民族との、そういう交流で培われた賜物であり、その気概は大陸的でさえある。その<県民性>を今風に表現すれば「ホスピタリティ=hospitality」に該当し準えるのではなかろうか。・・・曰く、「お客様を親切にもてなす気持ち」とある。”サービス”に該当する ラテン語 の語源も<相手に隷属する者>とある、のに対し”ホスピタリティー”は<客人の保護者>とある。つまり、サービスを提供する側の主体性を強調している。ホストとゲストの相互理解と信頼が基本となっている。・・・かかる意義を理解し鷹揚に解釈すれば ”いちゃりば、ちょうでー” は「ホスピタリティー」の語源そのものの意義に解釈でき看做す事が可能であり援用できるのではなかろうか。今風の私的解釈であるが、如何なものであろうか。識者のご高説を賜りたい。(自在な遊び心を・・・)


もう!泳げるよ!沖縄の海は どこでも!!

2006年04月06日 | Weblog
春の訪れがない沖縄!? 亜熱帯 南国 ”沖縄” では通り越して もう初夏だ!ここでは「若夏」= ”うりずん”と言う。同じ日本でも北の北海道と南の沖縄では寒暖の差は大きく甚大だ!?数千キロを隔てて気候風土は、正反対で、まるで異なる異国情緒たっぷりだ!沖縄の海やビーチでは、どこでも、もう泳げるよ!避寒を求めて内外の観光客が、どっと押し寄せて来た。兎に角、過ごしやすい。ある世論調査でも行って見たい処、移住して見たい都道府県のナンバーワンが ”沖縄”だった。地元民ならずとも頷ける。贔屓目を皆無にしても小生は断然、この「沖縄」を推薦する。とにかく現代人が忘れ去った何かが、この沖縄では体感できるのだ。不思議な島だよ!ほんとに! 有り体に言えば「人情味」が実感できるのだ、どの地域でも。人懐っこい、というのかなあ、NHKの、あの ”おばー”の人柄が、どこでも感じられるのだ。観光客のほとんどがリピーターになる、というもの頷ける。どの海やビーチも、薄ら寒いが、泳ぐのには支障がない。水飛沫をあげて泳ぐ醍醐味はピカ一だよ、愉快だよ!日本唯一の避寒地が、この沖縄というのも、もっともだよ。日本広し、と言えども亜熱帯の気候風土は、ここ沖縄をおいて外にはない。休暇や旅行がてらに訪れる価値ある一品一級品の島がこの沖縄だよ! ”Welcome Okinawa!” 「いらっしゃい!オキナワへ!」 『めんそーれー ウチナーんかい』(いらっしゃい、おきなわへ)同胞を大歓迎する!!・・・


タイ タクシン首相 続投断念!

2006年04月05日 | Weblog
混迷続くタイの政界。タクシン首相が続投を断念した。昨日(4日)のテレビ演説で表明した。これで一応、混迷続くタイ政界に終止符が打たれた恰好だ。プミポン国王に会見した直後に決意した様だ。事の発端は首相一族の株売却益で莫大な金額が転がり込んだからだ。シンガポールの某会社に売却し2,000億円の金額を取得し資産を形成した。ビジネスと政治を混同しているとタイ国民の激怒に合い顰蹙をかった。かかる状況を回避する手段として信任を問う解散・総選挙に打って出たのだ。首相の支持基盤であるタイ北部や東北部及び農村、低所得者層の支持が圧倒的に多いから強固にでたのだ。主たる野党3党のボイコットで行われた。タイ下院の定数500名の総選挙となった。事実上はタクシン首相の信任投票の形となった。テレビでは「60%が私を信任している」と豪語した。選挙戦術として野党3党は選挙をボイコットし不信任の証拠として「白票」を投じる様、呼びかけたのだが・・・。400ある選挙区のうち与党候補の1人だけの立候補という変則的な態様で行われた。選挙の正当性が問われた選挙になった。タイ政界に汚点を残す結果ともなった。世界のかかる情勢に眼の離せない昨今だが地域・県・国・世界と現代は全て連動して揺れ動いている。私達も無関心ではいられない。・・・


パレスチナとイスラエル 永遠の確執か?!

2006年04月04日 | Weblog
イスラム原理主義組織「ハマス」が1月の総選挙で第一党になった。ハニヤ首相率いる内閣が新発足した。アッバス議長の自治政府への協力も表明した。ところが蓋を開けて見ない事には、どうなるのか皆目、不明である。なにしろ歴史的ライバル 「イスラエル」の国 そのものを認めていない。あくまで武力闘争を前面に掲げて政策を強行しようとしている。・・・一方、永遠?のライバル!?対峙するイスラエルでは昨05年11月の選挙で「カディマ」が第一党になった。療養中のシャロン首相が結成した新党である。シャロン政策を継承する「パレスチナ分離策」を推進する事を表明している。その具体策が(シャロン首相は38年の占領に及ぶ)ガザ地区からの完全撤退であり実行した。その証左として「カディマ」はパレスチナとの国境線を明確にする「分離壁」を強固に構築している。「ハマス」の心臓部を強烈に刺激してまで強行している政策の意図は何だろうか。パレスチナ対イスラエルの歴史的対立は現代に至るまで綿々と続いている。直近のマスメディアや新聞でも眼が離せない論調を展開している。世界の耳目がタイ首相の近親の株問題、仏の暴動、イラン核問題等々・・・と今年も激しい世界の変動に左右される外政はたまた内政に翻弄される予感を体感してならない。政経・文化のグローバル化の目指す多様な側面の陰の暗部を払拭する努力を国家レベルで履行し光の明部を現出する事を期待する。・・・



「民主党」再生に”期待 遠のく”?!

2006年04月03日 | Weblog
元々、寄り合い所帯の 個性派 の政策集団の党である。従来の派閥の範疇では括れない独特・独自の知的集団である(独断と偏見なら 陳謝! )。・・・以前の社会党系と穏健派の自由党的理念を堅持している一派の合体した集団であるだけにリーダーは纏めるのに艱難辛苦の連続であったであろう。今後もそういう事が予見される。今回のメール事件で、その事が露呈された。「<民主党>という独特な個性を持っている」集団のアキレス腱が白日の下に曝け出された。 災いを転じて福となす 、のは今後の対応と政策の如何に懸かっている。今回の事件は正真正銘の試練の機会・契機である。党員が個々に抱える真摯な問題である、と受け止め対処・対応するかが党再生のカギとなる。自民党風に比喩すれば キラ星 の如く人材は豊富 である。その有能な人材を如何にして適所に適材として配置し最大限の力量を発揮させるかがポイントとなる。小沢氏、菅氏、渡辺氏等々が次期代表として取り沙汰されているが国民は醒めた眼で冷静に民主党の前途を観据えている。その事も考慮に入れて人選をしてもらいたい。米英欧の二大政党制を導入する政界再編を目論むなら尚更、野党第一党の民主党が不動の団結で与党、自・公に対峙して政策論争を挑み日本の前途に希望の持てる 未来の礎 を構築して政策を展開するのでなければ信頼の回復は出来ない。国会論戦を視聴しても旧態依然とした質疑と応答で、あまり期待が持てない。抜本的対策と従来にない論法を導入するのでなければ メール問題 の瑕疵は解消されない。民主党への信頼と心からの希望を託して自公民との対等な論戦を展開し国民の付託に応える事が民主党の今後の課題であり使命である。更なる奮闘を期待し祈念する。・・・




子供の観た史跡名所「米須貝塚」

2006年04月02日 | Weblog

糸満市米須(いとまんし こめす)の海岸側に<米須貝塚>があります。この貝塚は沖縄貝塚時代の終わり頃のもので、そこからは川田原系尖底土器(かわたばるけいせんていどき)が出土します。ぼくは、この土器が、どういうものか分りませんでした。先生の話に拠ると「この土器は、底の方が尖がっていて、そのままでは置けないので砂の中に差し込んで使ったのだろう。」と話して下さいました。ぼくは、どうして、底を平らにしないで尖らしたのだろうか、と不思議に思いました。しかし、昔の人達の生活の知恵だったのだろう、と思いました。また時々、面縄第一式土器(おもなわだいいちしきどき)も発見されるそうです。この土器は、奄美の徳之島の<面縄第一貝塚>という遺跡から初めて出土した土器だそうです。ぼくは、第一という名称が付いていたので縄目の模様が付いた土器で一番、最初の土器だと思っていました。また、ここに住んでいた人々は、おそらく、この海岸近くにあるスーガーという湧水(ゆうすい)を利用して生活していたのだろう、と考えました。昭和31年10月19日に県の史跡に指定されています。 (6年 G)

川田原系尖底土器といい、貝塚から出てくる、いろいろな土器には、ずいぶん難しい名称が付いていますね。私も知らない事が、いっぱいあります。大きくなったら、もともっと専門的に調べて見る事を希望します。 (父 G)

<学習の手引き>・・・沖縄の貝塚から出土する土器と教科書に出てくる土器類と比べてみましょう。時代が同じ頃のものと、そうでない頃とでは、どんな違いがあるのか、比べる時期や物によっても大きな違いがあります。調べていくうちに、いろんな事が分ってくるはずです。又この貝塚からは、<くびれ平底>、<尖底カメ型>、<ツボ型>等の土器が16種類も出土しています。もっと詳しく調べてみましょう。


沖縄4月の大型主要イベント紹介!

2006年04月01日 | Weblog
新年度が、いよいよ今日から始動し沖縄にも春爛漫の季節が訪れた。官公庁や企業の春も好景気の予想を追い風に順風満帆の船出となった。大型小型の主要なイベントが目白押しで取捨選択でピックアップして紹介する。・・・

●1日・・・首里城公園「琉球王朝―舞への誘い」首里城公園下之御庭、毎週水・金・土・日・祝日の午前11時、午後2時、4時。
●2日・・・△第6回「あやはし海中ロードレース大会(うるま市与那城公園陸上競技場、午前8時半)。
△伊波闘牛大会(うるま市石川伊波闘牛場、午後1時)。
△「玉置 宏 司会 思い出のアルバム~青春歌謡ヒットパレード~」(沖縄市民会館大ホール、午後2時、6時)。
△2,006波の上ビーチ海開き(波の上若狭側、午前9時~正午)
△「第28回宮古島の海びらき」(与那覇前浜ビーチ、午前10時~午後1時半)。
●3日・・・ちゅらさん運動の日。
●4日・・・交通反戦デー。
●5日・・・ノーマリーゼーションセミナーINおきなわ(県総合福祉センターゆいほーる、午前9時50分)。
●6日・・・シンポジュウム「しろありと住まいー快適マイホーム造りのために」(沖縄産業支援センター、午後1時~5時)
●7日・・・世界保健デー。
●8日・・・宮良長包生誕記念音楽劇「南国の花―宮良長包・その生涯と音楽―」(那覇市民会館大ホール、午後6時半)。
●9日・・・宮良長包生誕記念音楽劇「南国の花―宮良長包・その生涯と音楽―」(那覇市民会館大ホール、午後6時半)。
●10日・・・濱川政敏&ONE’コンサート(パレット市民会館、午後7時)
●11日・・・メートル法公布記念日。
●12日・・・犬のしつけ教室(メイクマン豊見城店、午前10時、午後2時)。
●13日・・・犬のしつけ教室(メイクマン美浜店、午前10時、午後2時)。
●14日・・・かりゆし芸能公演第1回公演「花やから」(県立郷土劇場、午後7時)
●15日・・・津軽三味線ふるさとへ還る(名護市民会館大ホール、午後6時半~8時半)。
●16日・・・・
△第42回琉球フェスティバル「日舞」(琉球新報ホール・泉崎、午後6時)。
△2,006石垣島トライアスロン大会(石垣島、午前8時)。
△津軽三味線ふるさとへ還る(那覇ぶんかテンブス館、午後6時半~8時半)。
△宮古島市誕生記念映画「太陽」上映(マティダ市民劇場、午後7時)
●17日・・・第42回琉球フェスティバル「沖縄の伝統芸能」(琉球新報ホール、午後6時)。
●18日・・・第64回「新報女性サロン」第4回講座・講師=越智啓子氏(琉球新報ホール、午後2時)
●19日・・・第42回琉球フェスティバル「沖縄の伝統芸能」(沖縄市民会館、午後6時)。
●20日・・・第42回琉球フェスティバル「沖縄の伝統芸能」(沖縄市民会館、午後6時)。
●21日・・・・
△第42回琉球フェスティバル「沖縄の伝統芸能」(沖縄市民会館、午後6時)。
△かりゆし芸能公演第2回公演「沖縄伝統舞踊保存会」(県立郷土劇場、午後7時)。
●22日・・・第42回琉球フェスティバル「洋舞」(琉球新報ホール、午後6時)
●23日・・・
△第42回琉球フェスティバル「日本新舞踊」(琉球新報ホール、午後6時)。
△第22回全日本トライアスロン宮古島大会(宮古島、午前7時半~午後9時半)。
●24日・・・第42回琉球フェスティバル「琉球民謡と郷土演劇」(琉球新報ホール、午後6時)。
●25日・・・第42回琉球フェスティバル「大正琴」(琉球新報ホール、午後6時)
●26日・・・国際盲導犬の日=最終水曜日。
●27日・・・なし。
●28日・・・
△かりゆし芸能公演第3回公演「渡嘉敷流あけぼの乃会」(県立郷土劇場、午後7時) 
△宮 史郎オンステージ(沖縄市民小劇場あしびなー、午後2時、7時)
●29日・・・
△第16回名護市文化祭=30日まで(名護市民会館、午前10時~午後9時)
△玉城流翠扇会・新作組踊「鬼大城「伝統を今に一興亡を見る(県立郷土劇場、午後6時半~9時)。 
△琉球チムドン楽団2ndCDアルバム発売記念ライブ「JTA日本トライオーシャン航空プレゼンツ琉球ロマン紀行」(パレット市民劇場、午後6時)
●30日・・・TRIPLE-P全国デビュー第1弾シングル「どこまでも!!」発売記念LIVE(C’CAFE、午後6時~8時)。

沖縄の早春・若夏をイベントで十分、楽しんで下さい。・・・