世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

大局を観る! 日本にはカリスマ性ある政治家が必要!

2009年03月31日 | Weblog

過去の人類史を紐解き人類の歩みを的確に捉え学び現代に生かす。そ

の為には政治哲学を基に確かな理念を確立し、その上に人類史の歩みの中で

淘汰された足跡を俯瞰して現状に生かす。それを基に政策を立案する・・・。そ

ういう総合的能力が今の政治家に要請されている。小手先の小技(自己保身、

利益誘導、自己顕示欲、偽装、誤魔化し、敵失、ポピュリズム、選挙工作

等々・・・)にのみ奔走し腐心している現状は戴けない。大局を観る眼が欠落し

ている。徒党を組み派閥を構成して自己主張する。それも自己の信念、信条、

主義主張の為の方途ではあるが、しかし、あまりにも小さく固まって意固地にな

っている。与野党を問わず どの政党にも、政策勉強会、政策集団の類は存在

している。それはそれで存在価値はある。しかし、政策立案能力だけでは政治

は動かない。古参よりも寧ろ若手が新鮮で斬新なアイディアを出して政策に生

かせる能力はある。選良なのだから当然、政策立案は誰でも出来きて当たり

前である。だから地方選でも若手が続出する現状である。翻って古参の豊かな

人生体験と人生の知恵、人心操縦術に長けた能力は、日本の政治には、これ

も又、欠かせない。つまり“統治能力”である。<ガバナンス>である。政策集

団、政策勉強会の類での勉強は政治家たるもの当然であり勤しむのは当たり

前である。政策立案能力だけでもって政権は絶対、執れないし政権運営能力も

ない。タコつぼみたいな集団を形成しては、大局は視えない。政策立案に長け

ても政権集団を統治する事は出来ない。小・中・大の集団はもとより、国家を纏

める“統治能力”の如何で集団を動かし政権運営が可能になる。その物差しか

らすると誰が相応しいか自ずと回答は出てくる。大局を観て、理念に基づく確

かな政策の遂行には古参の出番である。そういうスタンスからすると、政界の

隅々を知り尽くし政界を席巻し難局を斬り抜けた兵(つわもの)は、日本には二

人居る。その一人が石原慎太郎氏であり、もう一人が渦中の人物、小沢一郎

氏である。二人に共通するところは、“信念の人”である、という点にある。どこ

かの言動不一致のブレまくりのお方とは格段の差がある。二人は、艱難辛苦、

政争激しい嵐を括り抜けた現代の野武士であり、現代の兵(つわもの)である。

更に二人に共通する点は押しも押されもせぬ“カリスマ性”がある、という点で

ある。国内は言うに及ばず国外でも知名度の高い石原慎太郎氏は、ズケズケ

と ものを言って憚らず非難すら買っている。でも自身の信念を貫き悠然と構え

ている風貌は大人(たいじん)そのものである。“カリスマ性”の権化である(私

とは思想信条は異なるが“カリスマ性”という点には共感している)。他方、小沢

一郎氏は、“カリスマ性”と“信念の人”の権化である。近年、稀に見る異質の

政治家である。これからの日本の未来を展望する時、欠かせない存在の稀有

な人である。野(や)にあって官僚政治の打破と歪を正す、ただ一人の“カリス

マ性”ある人物である。そういう人を政治の中枢に置き日本の政治を正常化さ

せるべきである。日本の政界から葬る今回の献金疑惑は絶対、許せない。そ

れこそ 日本の国益 に反する。清廉でクリーンな浄財による政治の実現には今

後も取り組むべき課題は残る。これは、これ、 あれは、あれ、と峻別して日本

の政治を観るべきである。

―― “政治とカネ” の問題は当然、究明し明らかにすべきである事は言を待

たない ――

※付記:"偏見と独断"で開陳した。