日々

穏やかな日々を

薄青のあじさい

2008年06月14日 12時18分31秒 | Weblog
透き通るほどに薄青い
あじさいが咲いたよ

小花を集めたあじさいが咲いたよ

あじさいは散るを知らず
枯れいくさまは
干し布花のように
立ち枯花のように
姿を残し
色あせていくけれど

雨を待つあじいさいは
透明にブルー

柳の木陰に身を置いて
競っていくよ

固い蕾から
丸く咲きいく広がりが
時の誕生のように
音は聞こえて
光を放つ

木陰が好き
しっとりが好き
小雨が好き

丈をのばしつ
丸くならんで
つんと立つ
大花

人の世も
丸く並んで
つんと立つ

人ひとの
集まりがいいな

誇らしげな大輪の
透明な光放つ
薄青のあじさい

この夏の始まり

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寡黙な方

2008年06月14日 12時08分14秒 | Weblog

以前聖隷浜松にいらっしゃったT.Tさんが、
毎回,会には参加されているのですが、
じっと、その場の討議を聞かれています。
何も語らずに・・・
でも、何かオーラを感じながら討議は続くのですが。
その討議がちょっとずれそうな時、
あるいは、収束された後、
彼女がほんの少し、
質問や語りをしてくれると、
今までの長いやり取りの何よりも
その場が引き締まったり、
暖かくなったりします。

寡黙な方は、その場に参加をしていないわけではなく、
その場を感じ取ったり、考えたりされているのでしょうか。
もしそうだとしたら、
何かきっとその方の役割があるのだと思います。
その役割と受け入れる場が生まれた時、
何かが始まるのかもしれないですね。

寡黙な方も、何か愛情や示唆の表現かもしれませんね。
でも、若い方にはほんのちょっとそのことを指し示さなければ、
伝わらないこともあるかもしれません。
そこは、察することを期待してはならない部分なのだと思います。

友から、こんなメールが届きました。

ばぁばもそんな寡黙な人にあこがれてたな~~~
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寡黙にあこがれて

2008年06月14日 01時47分43秒 | Weblog
寡黙な老人は
言葉を失ったわけではない
言葉を忘れたわけではない

もちろん
呆けたわけではない

寡黙であることに憧れる

ずっと
ずっと
憧れてきた

まずい!
今 寡黙過ぎ
寡黙上手になり過ぎ
会議でも黙ってしまってる!

真面目でなくなったかな?
もうどうでもいいやと思っているのかな?
嫌われてもいいやと思っているのかな?

早く帰りたいとか
もう、いいじゃないとか
どっちだって同じじゃないとか
もっと下調べしろよとか
思っているのかな?

人生のベテランが寡黙なのは
そんなところ?

もう何もかも体験したことだから

先が見えてるんだよねぇ。。。。。。。
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