フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2005年2月(後半)

2005-02-28 23:59:59 | Weblog

2.16(水)

 「鎌倉を驚かしたる余寒あり」は高浜虚子の句だが、それをもじっていえば、「東京を驚かしたる地震あり」だった。夜明け前、かなりの揺れを感じて目が覚めた。台所の食器棚からガラスのコップが一つ床に落ちて割れる音がした。いよいよ来たか、と思った。子どもの頃から関東大震災の話は折にふれて聞いたり読んだりしてきたので(私の父は大正12年の8月、浅草の生まれで、震災のときは母親の背中でねんねこばんてんにくるまって炎の中を逃げ延びたのである)、自分も人生のどこかで大地震と遭遇するのではないという予感が潜在意識の中にある。だからちょっと大きめの地震があると、ついにそのときが来たかと身構えてしまう。しかも仕事柄、そのとき天井まで届く本棚の側にいることが多いので、本棚の下敷きになるというリアルな危険を感じることになる。本に埋もれて死ぬなら本望だ・・・・なんて全然思えませんからね。二度寝して、8時頃起きると、携帯電話に「着信あり」と表示されている。7時頃、4年生のHさんからかかってきたようだが、気づかなかった。なんだろうこんなに朝早く、と思いつつ電話をしてみると、Hさんが「すみません。実は・・・・」と言って、携帯電話を充電しながら枕元に置いて寝ていたら何かの拍子にボタンを押してしまったようで、数人に電話がかかってしまったのだという。「ふ~ん、それって、無意識のうちに私の声が聞きたくなったっていうことなんじゃないか」とからかうと、「そうかもしれませんね」と苦笑していた。午後、大学で学部再編関連の会議。長い長い会議で、4時間半ほどかかった。昨夜、この会議に出すための提案を時間をかけて練り上げたのだが、採用されるに至らず、余計に疲れた。こんなことならビデオに録ってまだ見ていない「鬼平犯科帳」でも見るんだったな、とつい思ってしまう。

 

2.17(木)

 第一文学部の入試。久しぶりの試験監督だったが、1限目の英語の試験が終わったときに、「これで1時間目の授業を終わります」と言ってしまった以外は、ミスらしいミスはなかった(ちなみに誰も笑ってくれなかった。つ、つらい・・・)。

昼休みに心理学の石井先生と「たかはし」に食事に行って、空いている4人掛けのテーブルに向かい合って座わったら、店のおばさんから「横並びでお願いします」と言われて、しかなたくその通りにする。これ、「たかはし」の七不思議の一つである。4人掛けのテーブルに対面ではなく、横並びに2人が座るのって、不自然この上なくありませんか? おばさんは、おそらく後から別の2人の客が相席になるときのことを考えてそういう指示を出しているのだと思うが、その2人の客の心理を考えるに、テーブルの向かいに2人の先客が横並びに座っているよりも、対面で座っていて、その横に自分たちが対面で座る方が抵抗が少ないはずと私なんかは考えるんですけど、違いますかね? 2人の人間が4人掛けのテーブルに座る場合、その2人が他人同士であれば、対角線上に座るケースが多いと思う(列車の対面式の4人掛けの椅子を考えれば、実際そうであることがわかると思う)。つまり対角線上に座ることで、他者との身体的接触と視線の衝突を同時に回避しているわけである。2人が他人でないときは、その親密性を身体的接触(横並びで座る)によって表現するか、視線の交わり(対面に座る)によって表現するかを選ぶことになるわけだが、身体的接触を優先するのは恋人同士などの場合にときおり見られるが、一般には、視線の交わりを優先するケースが多い。それ故、私と石井先生のように、男同士が横並びで座っている図というのは、周囲からみていささか奇異なものに映ったはずである。事実、そのとき店内の別の場所に座っていた心理学の豊田先生がわれわれを見てニヤニヤしておられ、それに気づいた石井先生は、「いや、いや、勘違いしないで」と豊田先生に必死に訴えていたが、その必死さがかえって火に油を注ぐことのように私には思えたのだった。

 最後の科目が終わって帰るときに、草野先生と一緒になったので、「カフェゴトー」でお茶でも飲んでいきましょうということになったが、甘味同好会の会長と副会長であるわれわれが「お茶」という場合、飲物だけで済むはずはなく、草野先生はベイクド・チーズケーキと珈琲、私はベイクド・チーズケーキと紅茶を注文した。このとき私たちが座ったのは、四辺に椅子が配置されている正方形のテーブルだったが、私たちのとった配置は、対面でもなく、横並びでもなく、隣接する二辺に座るというものだった。これは視線が正面からぶつかる緊張感を緩和すると同時に、身体的距離を対面と横並びの中間のところに設定したもので、節度をわきまえた親密性の演出とでもいうべきものである。このタンジェント的空間の中で、草野先生は『ごんぎつね』について語り、私は『クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶモーレツ!大人帝国の逆襲』について語ったのだった。

 

2.18(金)

 午後、ギデンズ『社会学』の読書会。午前中の用件が長引いて、昼食をとる時間がなかったので、「フェニックス」で食事をとりながら始める。1時間半ほど経過したところで、場所を「シャノアール」に移してさらに2時間半ほど続ける。研究室の方がもちろん静かなのだが、読書会といっても本をみんなで黙読するわけではなく、あらかじめ読んできた内容について議論(というよりもおしゃべり)をするわけだから、くつろいだ雰囲気の方が合っているのだ。議論の水準は決して高いものではないが、このところ学部再編をめぐる不純物の多い議論の中に身を浸しているので、余計なことを考えずにひたすら読んだ本についておしゃべりをするという時間は貴重だ。

 

2.19(土)

 雨の降る寒い一日。夕方、注文しておいたクレールフォンテーヌの3ポケット・ノート(黒)7冊が入荷したので、東急の文房具店まで取りに行く。ついでに角煮と浅蜊の佃煮を買う。帰宅すると、広島の神鳥書店から松田道雄『私のアンソロジー』全7冊(筑摩書房、1971年)が宅配便で届いていた。松田は小児科の開業医で、評論家としても著名な人物。1967年に出版した『育児の百科』(岩波書店)で育児書ブームの火付け役となった。日本の家族の寝方で一番多いのは、昔も今も、子どもを真ん中にして両親が両側に寝るタイプ(サザエさん、マスオさん、タラちゃんの一家はこの寝方)なのだが、1970年代前半という一時期だけ、妻=母親が真ん中に寝るタイプが子ども真ん中タイプを抜いてトップになっていた(これはわれわれが2001年に実施した「戦後日本の家族の歩み」調査で明らかになった事実の一つ)。私が見るところ、その原因はサラリーマンの妻(主婦)の増加を背景とした「育児への関心」=「育児書の需要」の増大にあった。『育児の百科』の特徴は戦後支配的だったアメリカ式の育児法に異を唱えて日本式の育児法を再評価した点にある。

 添い寝は、西洋式の育児法からいえば、わるいことに違いない。彼らのかんがえにすれば、三ヶ月すんだら、赤ちゃんは両親とは別の部屋でひとりでねるものである。添い寝しないとねむらないというようなことでは、親の生活がさまたげられる。

 けれどもいまの日本の住宅の状況と、風習とは、まだ赤ちゃんを別の部屋にねかすにいたっていない。両親と赤ちゃんとは、おなじ部屋にねている。おなじ部屋にねていて、赤ちゃんが深夜に泣いたら、ほうっておくわけにいかぬ。やかましいので目が覚めた父親が、早くねかしつけるようにいうだろう。赤ちゃんを早くねかしつけるという点で、添い寝がもっともかんたんな、確実な方法なら、それを採用すべきだ。

・・・(中略)・・・

何としてでも赤ちゃん用ベッドにねかしつけなければならないと、深夜に根気よく、泣くたびに母親がおきていくことに、まず、父親が反対するだろう。そう毎晩、深夜に四度も五度もおこされては、翌日の仕事の能率があがらない。添い寝がいいかわるいかは、めいめいの家庭の事情が平和にいくようにという立場からかんがえられるべきである。そのとき、親のほうの主体性を見失ってはならない。赤ちゃんが、深夜に泣くと父親もいっしょにおきて、赤ちゃんをあやしてやったりすると、赤ちゃんは夜におきてあそぶくせがついてしまう。父親は、これからまだながいあいだ、扶養の重荷をせおっていかねばならぬ。その重荷にたえるためには、夜に十分ねむらねばならぬ。赤ちゃんの笑顔をみるのがうれしいので、深夜サービスをするのは、親の主体性を失ったものといわねばならぬ。(『育児の百科』、pp.334-335)。

60年安保闘争で高揚した反米ナショナリズムはここに至って育児法にまで及んだというべきだろう。同時に、ここで見逃してはならないのは、育児(ここでは、とくに子どもの寝かしつけ)は母親の役目とされていることである。私にも経験があることだが、赤ん坊の夜泣きへの対処の仕方には、夫婦の育児観がよく反映する。赤ん坊を腹の上に乗せて(自分の心臓の音を聞かせながら)背中をトントン叩いたり、粉ミルクを溶いて与えて、赤ん坊を落ち着かせることは父親にもできる。事実、私は神経質でよく夜泣きをした長女をそうやって寝かしつけていた。しかし、そうした「深夜サービス」を父親はすべきではないと松田は言っている。なぜなら、「翌日の仕事の能率があがらない」からである。松田がここで想定している夫婦は、サラリーマンの夫と専業主婦の妻である。「扶養の重荷」は夫一人の双肩にかかっているのだ。このように『育児の百科』はいまから見れば古色蒼然とした性別役割分業の観念の上に立って書かれている。赤ん坊の夜泣きへの対処がもっぱら母親の役目だとする育児思想に影響された家庭で、母親が真ん中に寝る(つまり赤ん坊の夜泣きの防波堤となって妻が夫の安眠を守る)タイプの寝方が急増した・・・・それが私の推測である。しかし、それは一時の現象で、女性の職場進出や育児を夫婦の共同作業と見なす育児観の台頭に伴い、再び子どもが真ん中に寝るタイプの寝方が首位を奪還するのである。ちなみに我が子育てのエピソードは1980年代半ばのもので、当時、私は看護学校の非常勤講師で「翌日の仕事の能率」を考える必要がなく、「扶養の重荷」はもっぱらOLである妻が背負っていたのである。

 

2.20(日)

 学部再編の件で、メールを読んだり、メールを書いたり。多くの教員の意見を取り入れることと、再編案を戦略的にすっきりしたものに仕上げることとは、なかなか両立しがたい。「幅広い連帯」を目指すには、特定のテーマで特化することは困難で、誰もが参加できるテーマ、言っても言わなくても同じような、あたりさわりのない、面白味のないテーマに落ち着きやすい。一方、学生の関心に応じた特定のテーマに特化したカリキュラムを考えると、参加できる教員が限られてしまう。この辺の兼ね合いが難しい。個人商店の店主が、自分の店で出す商品のことだけを考えておればよいものを、なまじ商店街の世話役なんかになろうとするからいけないのかもしれない。

 

2.21(月)

 午前、原稿書き。午後、学部再編関連の会議。今日はこれまでの中で一番各人が率直に意見を述べあえたように思う。カリキュラム案も「たたき台」のレベルから二、三歩踏み出したように思える。夕方からギデンズ『社会学』の読書会。7時過ぎまでやったところで、続きは夕食を食べながらやろうということになり、Oさんの案内で高田馬場の栄屋という比内地鶏の専門店に行く。落ち着いた雰囲気の店で、料理も旨かったが、誤算が二つあった。一つは、店内が静かで読書会の続きがやりにくかったこと。今日のテーマは「ジェンダーとセクシュアリティ」(第5章)だったのだが、通常の社会的場面では口にするのがはばかられるような単語がたくさん出てくるのである。もう一つは、学生が利用するには料金設定がいささか高かったこと。普通に飲み食いをして一人3000円見当というのが学生の相場だと思うが、ここは5000円レベルの店で(0さんも実際に来るのは初めての店だったのだ)、店員さんが持ってきた勘定書には「16000円」とあった。こういう場合の私のセオリーは、私が10000円を出し、残りを学生たちがワリカンで出すというのもので、今日の場合は、学生は2人なので1人3000円ということになる(勘定が10000円以内であれば私の奢りとなる)。この「10000円定額方式」は、完全ワリカン主義にも完全依存主義にも違和感を覚える私が、長年の教師生活から編み出したものである。深夜、帰宅。

 

2.22(火)

 近頃は就寝時刻に関係なく朝は7時から8時の間に目が覚める。だから少し夜更かしをすると翌日は寝不足気味で一日を送ることになってしまう。昼過ぎ、郵便局に行って古本の代金を振り込んでから、「やぶ久」で天ぷらうどんを食べる。「やぶ久」には何種類かの雑誌が置いてあるのだが、私はたいてい『週刊文春』を読む。連載物が充実しているからだ。今日は林真理子「夜ふけのなわとび」、義家弘介「ヤンキー母校で吠える」、そして書評欄(文春図書館)を読んだ。「ヤンキー母校で吠える」の今回のタイトルは「北星余市を去る決意」。義家がこの3月末で教壇を去ることになったという話は新聞で知っていたが、その事情については知らなかった。どうも「夜回り先生」こと水谷修が勤務先の高校を辞める決意をしたのと同様の理由のようだ。出る杭は打たれるということか。TSUTAYAで会員証の更新をして、井筒和幸監督の『ゲロッパ!』を借りる(無料)。有隣堂でアンドレイ・クルコフというロシアの作家の『ペンギンの憂鬱』(新潮クレストブックス)を購入。なんだか村上春樹風のタイトルだなと思ったら、文章の雰囲気も似ている。「訳者あとがき」を読んだら、村上の作品はロシア語に翻訳されて大変人気があるとのことで、クルコフも『羊をめぐる冒険』のファンだと書いてあった。

夜、ネットのニュースで韓国の人気女優イ・ウンジュの自殺を知る。少し前に飯田橋ギンレイホールで彼女の出演していた『永遠の片思い』を観たばかりだったので、とても驚いた。朝鮮日報に遺書の一部が公表されていたが、スクリーンの中の彼女の笑顔の記憶と交錯して、ただひたすら痛ましかった。

 

2.23(水)

 今日から週2回、父親が区立の高齢者在宅介護センターに通うことになった。午前10時頃、マイクロバスで迎えに来てもらい、40人程度の同年配の方々とレクリエーションなどをしながら過ごし(昼食が出る)、午後4時頃、マイクロバスで送って来てもらう。有り体に言えば、保育園の高齢者版のようなものであるが、一日中炬燵に入ってぼんやり過ごしているのは本人も退屈であろうし、そういう父親の世話を一日中焼いている母親もしんどいであろうから、私がケアプランナーと相談して試しに通ってみたらどうかと父親に勧めたのである。見も知らない人たちの中に入っていくことには若干の抵抗と不安もあったようだが、帰宅した父親に「どうでした?」と尋ねたところ、けっこう気に入ったようで、「週3回でもいいかな」と言ってくれたので、まずは一安心。

 

2.24(木)

 第二文学部の入試。今回は主任監督の予備要員だった。各教室を担当する主任監督はあらかじめ決まっているのだが、主任監督が当日何かの理由で休んだり、試験中に体調が悪くなったりした場合に、ピンチヒッターで主任監督を務めるのが予備要員の役目である。しかし、結局、お声がかかることはなく、午前9時から午後5時まで、ずっと控え室(小野講堂)で本を読んでいた。おかげで専門書を一冊読み終えることができたが、座席が場末の映画館みたいに窮屈で、まじめにエコノミークラス症候群の心配をしてしまった。

 

2.25(金)

 午後、教授会。新学部の名称がようやく決まった。正式決定ではないので、ここに書くわけにはいかないが、ちょっと変わった名前である。面白そうともいえるし、なんのこっちゃともいえる。どう感じるかは人それぞれであろうが、当事者である教員としては、面白そうと思いつつ、実際に面白い学部にしていきたい。

 

2.26(土)

 午後、社会学専修関連の会合。昼食をとっている時間がなかったので、地下鉄の駅から大学に向かう途中のコンビニで買ったおにぎり3つ(たらこ、昆布、梅干し)とお茶を会議室に持ち込み、会合が始まる直前にあわただしく食す。以前は、コンビニで売っているおにぎりというのはご飯が冷たくて硬いのが普通であったが、最近のものは冷えてはいえてもそれほど硬くはない。包装の仕方が進歩したせいなのか、それとも時間が経ってもご飯が硬くならない何かが混ぜてあるのだろうか。不思議である。しかし、だんだん、こういうことを不思議だと感じなくなっていくに違いない。ふっくらしているだけでなく、握りたてのようにほんのり温かいおにぎりが登場するのも時間の問題であろう。すでにどこかのコンビニの本社の会議室で「温にぎり」というネーミングまで決まっているのかもしれない。

 

2.27(日)

 入試関係の業務で午前中から大学へ。いつもより電車が空いているなと思ったら、それもそのはず、今日は日曜日だった。曜日の感覚がすっかり希薄になっている。昼休みに東洋哲学の岩田孝先生と弁当を食べながらおしゃべりをした。先生のご専門のチベット仏教学のお話を興味深く拝聴。ヨーロッパ(とくにお若い頃に留学されていたドイツ)の学者の優秀なことに何度も言及され、日本の学者も彼らと肩を並べられるようになりたいものですと語られた。業務の方は午後4時ごろ終了したが、それから夕方まで、研究室で明日の研究会用の資料作り。ところで、明日は調査実習の報告書の原稿の締切でもあるのだが、現時点で原稿をメールで送ってきた学生は5名だけ。残りの20名は明日の最終日にバタバタと駆け込み的に送ってくるのだろうか。やれやれ、最後の最後まで同じパターンだな。

 

2.28(月)

 午後、研究会。もうかれこれ10年以上続けているパネル調査の結果を今年こそ単行本として出版しようということになり、ゴールデンウィーク明けに中間報告会、9月初旬に合宿をして原稿の読み合わせ、というスケジュールを決める。夜、帰宅してメールをチェックすると、予想通り学生たちから本日深夜0時締切の調査実習報告書の原稿がたくさん届いている。一風呂浴びてから、一つ一つ目を通していく。結局、0時の時点までに届いた原稿は16本。その後に届いた原稿が、29日午前2時50分現在で、5本(ただし1本は内容に不備があり差し戻し)。未着の学生は4人。そのうちの2名からは0時になる前にメールで連絡があり、朝までになんとか書き上げますとのことだったが、残りの2名は何も言ってこない。いま必死に書いているのだろうか、それとも原稿の提出を断念したのだろうか。明日は午後から研究室で有志の学生数名と編集作業だ。もう眠るとしよう。どうか明日の朝、メールのチェックをするときに、差し戻しを含めた5人の学生の原稿が届いていますように。