ハイチで大きな地震がありました。相当大きな被害が出ていることはニュースを見ただけでも分かります。
留学中に半年間だけ寮生活をしましたが、そのときのルームメイトがハイチ出身のナティーでした。彼女はハイチの中ではかなりの富裕層だったのでしょう。高校からアメリカに留学し、バレーボールの推薦で大学に来ていました。最初、私とは友人になろうという気配もなく、「よろしく」と挨拶を交わした後は殆ど接点もないまま暮らしていました。
ある夜中、彼女が電話口で泣いていました。理解できない言語であったにも関わらず私にはホームシックで泣いているということがビビっと分かりました。電話を切った彼女に「大丈夫?お母さん?」と聞くと、様々な不安を抱えていたらしい彼女は「うんうん」と聞くだけの私に、怒涛のように話し続けました。
その日以来、彼女と私の凸凹コンビはとても仲良くなり、ゴハンを一緒に食べたり、部屋でファッションショーをしたり、試合の応援に行ったり、お互いの恋の悩みについておしゃべりしたりしました。私の帰国の際はおいおいと泣いて、「私は筆不精だから手紙を書かないのに、そんな遠くの国に帰ったらどうするんだ」と訳の分からない文句を言われたりしました。仕方ないので、必死でお金を貯めて、彼女の卒業式にはワシントンまでお祝いに行きました。
インターネットという便利なツールの無かった時代、結局筆不精な彼女とは連絡がとれなくなってしまいました。彼女はいつも、将来は家族も全てアメリカに呼び寄せて、結婚も仕事もすべてアメリカですると固く誓っていたので、今回の災害には遭っていないと信じていますが、彼女の親族や友人はきっと大変な思いをしているはず。そして何より彼女は今とてもつらい思いを抱えているはず。
そんな思いで、とりあえず可能な額を寄付しました。皆さんもコンビニやマーケットで「ハイチ地震災害募金」を目にしたときは、ナティーのことを思い出していただけたら嬉しいです。
留学中に半年間だけ寮生活をしましたが、そのときのルームメイトがハイチ出身のナティーでした。彼女はハイチの中ではかなりの富裕層だったのでしょう。高校からアメリカに留学し、バレーボールの推薦で大学に来ていました。最初、私とは友人になろうという気配もなく、「よろしく」と挨拶を交わした後は殆ど接点もないまま暮らしていました。
ある夜中、彼女が電話口で泣いていました。理解できない言語であったにも関わらず私にはホームシックで泣いているということがビビっと分かりました。電話を切った彼女に「大丈夫?お母さん?」と聞くと、様々な不安を抱えていたらしい彼女は「うんうん」と聞くだけの私に、怒涛のように話し続けました。
その日以来、彼女と私の凸凹コンビはとても仲良くなり、ゴハンを一緒に食べたり、部屋でファッションショーをしたり、試合の応援に行ったり、お互いの恋の悩みについておしゃべりしたりしました。私の帰国の際はおいおいと泣いて、「私は筆不精だから手紙を書かないのに、そんな遠くの国に帰ったらどうするんだ」と訳の分からない文句を言われたりしました。仕方ないので、必死でお金を貯めて、彼女の卒業式にはワシントンまでお祝いに行きました。
インターネットという便利なツールの無かった時代、結局筆不精な彼女とは連絡がとれなくなってしまいました。彼女はいつも、将来は家族も全てアメリカに呼び寄せて、結婚も仕事もすべてアメリカですると固く誓っていたので、今回の災害には遭っていないと信じていますが、彼女の親族や友人はきっと大変な思いをしているはず。そして何より彼女は今とてもつらい思いを抱えているはず。
そんな思いで、とりあえず可能な額を寄付しました。皆さんもコンビニやマーケットで「ハイチ地震災害募金」を目にしたときは、ナティーのことを思い出していただけたら嬉しいです。
同じ地球上なのに差が大きすぎて、地球は大きいな~と思ってしまいます。
少しでも多くの方が助かると良いですね。
一人でも多くの人が助かるといい。
それと、助かった人々が、その後も「助かってよかった」という人生に歩き出せればいいな、と願っています。