この2週間、基本的にテレビやラジオ等、外部からの音のない生活をしています。
買い物中の店内や、髪を切ってもらっている時のバックミュージックなどが、やけに耳に鋭く入ってくるようになりました。無音の中で生活をしているので、耳が音を見つけると、貪欲に集めようとするせいかもしれません。
今更考えても何も、どうすることも出来ないこと、無音の中に座っていると、そんなことばかり考えてしまうけど、そういうことを考える時間を、いにしえの人は「喪中」と呼んだのかもしれません。今では、ずっと黒い服を着て過ごす訳ではないし、笑ったり、働いたり、普通にしてしまっていますが、ふっと静かになったときは、いつも亡くなった人のことに思いを寄せる期間。とても大切な月日なのかもしれません。
喪が明けるまで、時間はまだあります。もう考えても何も変わらないことよりも、義父の楽しい思い出を考えるようにしていかなくては、と思っています。だって、病気がつらくても、いつも明るく頑張っていたのは、誰でもない、義父だったんですから。
今、私の中に重く落ちている悔いの思い。これからの人生に無駄にはしません。
買い物中の店内や、髪を切ってもらっている時のバックミュージックなどが、やけに耳に鋭く入ってくるようになりました。無音の中で生活をしているので、耳が音を見つけると、貪欲に集めようとするせいかもしれません。
今更考えても何も、どうすることも出来ないこと、無音の中に座っていると、そんなことばかり考えてしまうけど、そういうことを考える時間を、いにしえの人は「喪中」と呼んだのかもしれません。今では、ずっと黒い服を着て過ごす訳ではないし、笑ったり、働いたり、普通にしてしまっていますが、ふっと静かになったときは、いつも亡くなった人のことに思いを寄せる期間。とても大切な月日なのかもしれません。
喪が明けるまで、時間はまだあります。もう考えても何も変わらないことよりも、義父の楽しい思い出を考えるようにしていかなくては、と思っています。だって、病気がつらくても、いつも明るく頑張っていたのは、誰でもない、義父だったんですから。
今、私の中に重く落ちている悔いの思い。これからの人生に無駄にはしません。