筑紫哲也さんがお亡くなりになりました。
簡単に表現するならば、私は筑紫さんのファンでした。
学生時代、現代米国史の教授になつき、政治カブレぶって(“カブレ”でしかも“ぶっていた”程度では、殆ど大した知識はなかったということですが)、落合信彦氏の本を読みふけってみたり、JFKの暗殺の謎を論じてみたりしていたものでした。
でも、理想と現実に悩む大手町OLになった後は、日々の楽しいコトや美味しいモノに目がくらんで、真面目な本からは遠のき、新聞に目を通すことすら、会社のデスクで上司に指示された記事を切り抜く時程度となってしまっていました。
その頃、ふっとしたキッカケで筑紫さんのニュース番組を見る機会がありました。若者みたいに目をキラッキラさせて、政府にたてつくようなことをガンガン言ってのける筑紫さんの口振りは、前出の教授を思い出させてくれました。政治とか、経済とかって自分には関係ないように感じている日常でも、関係ないわけない。知らないで済ませていては、やっぱダメかも、と学びたい欲がそれなりにあった学生時代の熱い気持ちがチョット戻ってきたのでした。
あの乱れのない髪、挑戦的かつ茶目っ気の見え隠れする目、いつもオシャレな風貌、もうテレビでその姿を拝見できないのは寂しい限りです。ご冥福をお祈りいたします。
簡単に表現するならば、私は筑紫さんのファンでした。
学生時代、現代米国史の教授になつき、政治カブレぶって(“カブレ”でしかも“ぶっていた”程度では、殆ど大した知識はなかったということですが)、落合信彦氏の本を読みふけってみたり、JFKの暗殺の謎を論じてみたりしていたものでした。
でも、理想と現実に悩む大手町OLになった後は、日々の楽しいコトや美味しいモノに目がくらんで、真面目な本からは遠のき、新聞に目を通すことすら、会社のデスクで上司に指示された記事を切り抜く時程度となってしまっていました。
その頃、ふっとしたキッカケで筑紫さんのニュース番組を見る機会がありました。若者みたいに目をキラッキラさせて、政府にたてつくようなことをガンガン言ってのける筑紫さんの口振りは、前出の教授を思い出させてくれました。政治とか、経済とかって自分には関係ないように感じている日常でも、関係ないわけない。知らないで済ませていては、やっぱダメかも、と学びたい欲がそれなりにあった学生時代の熱い気持ちがチョット戻ってきたのでした。
あの乱れのない髪、挑戦的かつ茶目っ気の見え隠れする目、いつもオシャレな風貌、もうテレビでその姿を拝見できないのは寂しい限りです。ご冥福をお祈りいたします。