「今まで成功した写真はせいぜい300枚。1枚が1/100秒だとすると、50年でたったの3秒」……というカッコいいことを言っているのは有名なカメラマンのロバート・ドアノーさんですが、私も最近似たようなことを思っていました。「生きてる内にあと何回コンサートへ行かれるんだろう。次に生まれ変わったとき人間だったとしても音楽に全く興味のない人生になるかもしれない。行かれる機会は大事にしていかなくちゃ!」……あれ?違う?(笑)
バッハ・コレギウム・ジャパンのベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」演奏会に行ってきました。えぇ、えぇ、またしても仕事邁進中の二代目を置いて、若女将ひとりの遠足です(ごめんなさい)。
ベートーヴェンでミサ曲ってイメージがなかったし、金曜日は合唱団の練習日だし、候補に入っていなかったコンサートだったのですが、出演者のおひとりから「第九歌ってるなら、おすすめなんだけどなぁ……」と耳元で囁かれ(「表現はイメージです。」)、丁度その誘惑タイミングが楽しみにしていたコンサートを仕事で諦めた直後だったので、気付いたときには手が勝手にポチリとしていました。便利な世の中、よほど自分の手をしっかり躾しておかないと、本当に油断も隙もあったものではありません。
いくらベートーヴェンさんだからといったってやっぱり「ミサ曲」。きっとどんより悲しい気持ちで帰路につくことになるだろうと覚悟をきめ、うちのめされる気満々で会場に向かいました(バランスをとるために、昼間観る映画も相当軽いであろうラブ・コメを選択しておくという完璧な自己管理つき)。まさか、あんなにあたたかい気持ちで、目の前の席が空いたのに座るのも忘れてぼんやりして帰りの電車に揺られることになるとは思っていませんでした。私は音楽会のあとって、割とひとりでぎゅーっと感動みたいなものを抱え込む性格だと自己分析しているのですが、今回のコンサートは終演後に誰かと「ねー。良かったよねー♪」と語りたい気持ちがむくむくしていて、ロビーで友人の顔を必死で探したほどでした。見付けられなかったけど。
ベートーヴェンさんも枝葉の先っちょのような音楽ファンにさえこんな想いを届けてくるなんて、やっぱりすごい人なんだなぁと思い知らされましたが、それよりもなによりも、舞台の上の演奏者の方々の熱い様子がひしひしと伝わってきて。日本で滅多に演奏されない曲らしいので、その誇りや想いが音と一緒に客席にも流れ込んできたのかもしれません。うーん、流れ込んできたっていうより、でーーーっかい布で客席ごとぶわぁぁぁと包み込んじゃったってイメージが近いかな。コトバで表現するとどうにも陳腐になるけれど、そんな感じ。私は割と熱演に弱めで、クールに淡々と歌っているようなのに「なんだかぐっときた」的な舞台が好きだと思っていたのですが(アマチュアは別)、今回に至っては気持ちをガッツリ入れ込んでいらっしゃる現場に立ち会える歓びがこみあげてきて、ありがたいなぁ、音楽が好きな人生を与えてもらえてありがたいなぁと震えました。指揮者の手がざっ!と天にむかって止められた時に、客席も一緒に息を飲むあの快感、嗚呼。
理解のある家族と、お仕事を頂けるお客様、健康な身体、さまざまな幸運があってこそのこの時間。なんだかいろいろなことに感謝でいっぱいになった帰り道でした。耳元での怪しい誘惑や、暴走気味な自分のポチリぐせのある手にも、心から「ありがとう!」。そしてもし次の人生が音楽好きじゃないならば、バスケットボールを顔で受けたりテニスラケットを指で受けたりしないリレー選手に選ばれるような人生も……ちょっと興味あります。