<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

何でもハイハイのお人好し爺は疲労困憊

2017年12月30日 14時03分44秒 | Weblog

早朝からのお餅搗き行事が終了した。鏡餅、小餅、餡餅、蓬餅が出来上がった。ワイワイワイワイで餅を丸めた。収納する木箱がお座敷に列んだ。

孫たちは家内に連れられて映画を見にシネマ館へ。娘たちは羽を延ばしてアウトレットモールへ衣料品を探しに遠くへ出掛けていった。しめしめ。静かになった。静寂が戻ってきた。久し振りの無音状態。走り回る足音がない。泣き叫ぶ声がない。ゆったり炬燵が独り占めに出来る。ゆったりが年寄りにはなによりのご馳走だ。ご馳走している間に深い眠りに落ちていた。昼ご飯を食べるのも忘れて。孫たちといっしょの生活は4日目にはいった。夜も昼も、前、後ろ、横、上下から締め付けられてもみくちゃ。何でもハイハイのお人好し爺は疲労困憊である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この世はわたしひとりの自由裁量のところなのか

2017年12月30日 12時12分43秒 | Weblog

「あなたおひとりに、これから向かう世界のすべてを提供します。なにもかもです。なにもかもを受け取れるようにしています。そこではそれを悲しみ、よろこび、笑い、涙、どんなものと引き替えにしてもかまいません。何をどうしようと自由。無制限です。あなたのご裁量のままに動きます」

こんなことを言い含められて、わたしはにっこりして「ええ、分かっています。わたしに任せていて下さい」と答えて、この世以前を出発してきた。この世に到着してもう随分の歳月が流れた。今日ふっとその際のメッセージが思い出されてきた。

「わたしの裁量次第」だったのか、わたしにはまだ合点が行っていないようだ。「他者によってなさしめられてきた」という思いがぬぐえないでいる。

「わたし一人にこの世が提供されている」というテーゼをわたしはもう一度吟味すべきかもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お楽しみ頂けましたでしょうか

2017年12月30日 11時59分27秒 | Weblog

「お楽しみいただけましたでしょうか? そろそろお帰りの日が近づいています」昨日、空の上のホストからお知らせメールが届いた。

 楽しむものがあふれているところにいて、それをたっぷり楽しんでいるのが当然だったかもしれない。当然を隠喩してあったのかもしれない。わたしは首を傾げているよりなかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御在所のさみしさ様のお涙は

2017年12月30日 11時44分25秒 | Weblog

御在所のさみしさ様のお涙は蜜かもしれぬ 花虻が来る      薬王華蔵

さみしさ様がわたしを尋ねて来てしばらく逗留しておいでになる。ときおりはらりはらりと涙を流される。そこへ花虻が近づいて来る。甘い物が好きな花虻である。もしかしたら、さみしさ様の流すお涙は蜜かもしれない。花があふれさせる蜜のように甘い物なのかも知れない。御在所は、「そこにおいでになる」「ご逗留」ということ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

詩 「星の夜」

2017年12月30日 10時19分29秒 | Weblog

「星の夜」       山鳩暮風

まだたりていないのか

まだじぶんのことで
祈るのか

こちらにいただくものが
まだどっさりあるはずだと
言い張る

ほしがったぶんの
千倍万倍億倍を
すでに手中に収めたのに

まだ願いまだ祈る
言い張る
ほしがる

たりないことを
見つけだしてきて
たりていることを
見えなくしてしまう

おれはおのれの迷妄無明に
またもや
一生涯を費やしてしまった

夏の夜
其処を一気に抜け出した
コト座のペガと
ワシ座のアルタイルが
ちろちろ輝く

***

ひたすら足りないことを見つけ出してきて、足りていることを見えなくしてしまう。人ごとみたいに言うけれど、そうすることをみんな山鳩暮風の一生の仕事にしてきたのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

詩「おんなのひとのおっぱい」

2017年12月30日 10時09分14秒 | Weblog

「おっぱい」

座した大日如来さまだろうか
お地蔵さまだろうか観音さまだろうか
苔むした小さな石の仏像が一体あって
印を結んで衆生済度をなさっておられる

そのそばには天然露天風呂があって
おっぱいをみなぎらせたおんなのひとが
ゆったりゆったり湯を流している
ゆったりゆったり新月の光も流れている

石の仏像とおんなのひとのおっぱいに
ゆったりゆったり新月の光が流れている
温かいお湯とお湯の湯気も流れている

組み合わせの妙というものが

この世のあちこちにちりばめられている

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どうなることかと案じた どうやら落ち着いた

2017年12月30日 02時14分59秒 | Weblog

どうなることかと恐れた。どうやら落ち着いた。夜中、じわじわじわと下腹がせきだして来た。締め付けられるような痛みが続く。おまけに吐き気も強まって来た。トイレに行って毒素になるものを排出しようと力むが、びくともしない。脂汗が滲む。食中りでもしたのだろうか。何度も行く。雲智が少しだけ活動をみた。少し楽になった。大事を採って胃腸薬の粉薬を飲んでみた。次第次第に治まって来た。救急車を呼ぶ羽目になったらどうしようかと思った。呼ばずにすんだ。ほっとした。このごろやや食い過ぎているのかもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日が落ちないと一日は終わらないところだった

2017年12月29日 17時23分37秒 | Weblog

日が落ちた。一日が終わる。日が落ちないと一日は終わらないところだった。一日が終わるために日は落ちたのだった。やれやれ。孫たちといっしょにあちこちへ行った。朝昼と。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

詩「モーラ・パリッタ」

2017年12月29日 09時37分04秒 | Weblog

「モーラ・パリッタ」

わたしがわたしの無明から求めた欲望は
実現しなかったが
わたしの欲望がかなえられることが
大切ではなかったのだ
わたしが求めたものは
たしかにかなえられなかったが
それはしかし
ブッダがわたしに求めたものが
かなえられたということだったのだ
無明の願いが聞き届けられなかったのは
すなわち
ブッダがわたしに願われたことが
成就したということだったのだ

これで
ブッダの願いはすべて成就されたのだ
モーラ・パリッタだったのだ

モーラ・パリッタは
ミャンマーの仏教徒の孔雀護呪
「求めたものは
一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた」と
ここには書かれている 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一つ一つの迷妄の度に

2017年12月29日 09時31分37秒 | Weblog

「迷妄」

仏陀は
では
どうご覧になられるだろう 

仏陀なら
ここを
どう歩みしめて行かれるか

ひとつひとつの迷妄のたびに
仏陀と
ふたりになることができる

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする