<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

不安だからこそ、安定、安心を希求するのではないか

2019年01月12日 19時25分23秒 | Weblog

これは身体不調から来るアクシデントだったが、こころにもこうした種類の発作が来る。ふっと不安に駆られてしまう。長じるにつれて何度かこのこころの発作に見舞われた。この精神不安定は、飴玉一個では快復できなかった。

まったく不安を覚えないで、生きていられる人なんて、しかし、果たしているのだろうか。不安の軍隊に襲われて、城を明け渡したりしている人だっているのかもしれない。不安だからこそ、安定、安心を希求するのではないか。不安が深いほど安心を得たくなるのではないか。

 

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心の栄養の 循環不全だったかもしれない

2019年01月12日 19時21分18秒 | Weblog

貧血で、小学校の頃に、運動場の朝の全校一斉の朝礼で、ふにゃりとなって倒れるようなことがあった。しばらく蹲(うずくま)っていると、快復した。ひどいときには養護室に運ばれた。気付け薬代わりに飴玉をもっらた。戦争が終わった後だったから、食糧難だった。栄養失調だったかもしれない。あるいは、こころの栄養の循環不全だったかもしれない。

 

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わたしはふっと不安になる

2019年01月12日 17時17分58秒 | Weblog

恥ずかしいことを書く。でもこれがわたしだ。

わたしはふっと不安になる。不安はエアーポケットに突っ込んでクルクル舞いをする。ゴムがたらりと垂れて落下するゴム飛行機のようなものだ。ぱたりと落ちて動かなくなる。ゴムを慌てて巻き直さないと、プロペラは回らない。揺すっても同じだ。立っている足元が揺れ出す。なんだこりゃあと思う。

 

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一日中、家の中に籠もっているとさすがに気が詰まる

2019年01月12日 16時57分52秒 | Weblog

気分を転換しようと思って外に出た。畑に育てている小葱を、庖丁で株元からぞっくり切って、枯れた部分を除去して、丁寧に揃えた。お風呂用の椅子に座って。こういう根気の要る作業はお手の物である。一週間毎日、小葱の酢味噌和えが作れるくらいの量になった。それから、今度は蕗の畑の草取りに専念した。蕗の葉はこの寒さで殆ど赤くなって枯れているが、土の中の根はしっかり張っている。手にしている小さな鍬で、根を切ってしまわないように注意しながら、ゆっくりゆっくり作業をした。枯れかかっている葉っぱは除去した。手袋をしていなかったので、指が真っ黒になった。爪の中まで土が入り込んだ。さすがに、この作業は手先が冷たい。でも、何だかこれで「オレは仕事をしたぞ」の気分がする。悪くない。畑もきれいになる。日暮れも近いので、抜いた草を笽に入れて運んで、それで終了した。一日中家の中だと気が詰まる。

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即興詩「アネモネと髭面の男」

2019年01月12日 13時50分23秒 | Weblog

即興詩 「アネモネと髭面の男」

 

あなたが太陽に負けないほどの明るい瞳を輝かせますように/それからあなたの苦しみがやわらぎますように/それからあなたの悲しみが癒されますように/それからあなたによろこびが生まれますように/最後にあなたにやすらぎの表情が浮かびますように/

春の花のアネモネが/今朝早く夜明けとともに/蕾を開きました/赤い花の扉を広げました/アネモネが祈りを捧げています/この家に一人の男が住んでいて/髭面の男が住んでいて/この男が秋口に/庭先にアネモネの種を土に植え込みました

それからずっとアネモネは/この男のつぶやきを聞いて来たのでした/男は貧しくもあったのです/不幸も嘗めていたのです/助けてくれる人もいないで/一人で苦しい思いをしてきたのです/孤独にも耐えて来たのです

あなたが太陽にも負けないほどの明るい瞳を輝かせますように/それからあなたの苦しみがやわらぎますように/それからあなたの悲しみがいやされますように/それからあなたによろこびが生まれますように/最後にあなたにやすらぎの表情が浮かびますように/

春の花のアネモネが/今朝早く夜明けとともに/蕾を開きました/赤い花の扉を広げました/アネモネが祈りを捧げています/大空がそれを見ています/空に浮かぶ雲もそれを見ています/髭面の男を見ています/男のために/静かに祈りを捧げているアネモネを見ています/

 

 

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1月12日 お昼の即興詩 「花虻」

2019年01月12日 13時35分06秒 | Weblog

1月12日 お昼の即興詩 「花虻」

そんなにつまらないか/花虻が/菜の花に来ている/午後三時/つまらないつまらないと/男が言う/何度も何度も言う/捨て鉢する/ほんとにそんなにつまらないか/聞いている花虻は/この男をどうにかしてあげたいと思う/菜の花を去って/この男の回りを舞った/花虻は小さい/その上に透けている/男の目には見えないが/飛び回る羽の/音は聞こえている/何がそんなにつまらないことなのか/花虻には分からないが/どうにかしてあげられないかと思う/男はつぶやきを止めない/顔が青白い/苦虫を潰したような口元だ/その男の回りを/花虻が舞う/小さな羽を動かして舞う/男が少しでも明るい顔になれるように/願いながら祈りながら/舞い続ける

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あっという間のお昼 腹は空いていない

2019年01月12日 12時05分15秒 | Weblog

あっという間にお昼だなあ。朝ご飯が9時近かったから、お腹は空いていない。でも、市からのお昼を知らせるチャイムが鳴るとなんだか、お昼しなきゃいけないなって気になる。寒さはやわらいでいる。もう部屋暖房はしなくていい。炬燵は別。足先が冷たいから。クレヨン水彩の絵描きごっこも集中力が途切れたようだ。巧く画けていない。どっか気晴らしに出掛けて行きたい。何処という当てはない。といって、神社詣りはもう飽きた。サイクリングはどうだ。これくらいの気温だったら走れるはず。足腰の運動にもなる。でも生来の怠け者。うんと言わない。立ち上がらない。畑仕事は今は一時一段落。ジャガ芋の種は売られているが、植え付けは2月でいいらしい。

あみちゃんとまあちゃんの双子の姉妹の詩を書いたが、てんで、読んでくれる人が居ない。さっぱり。だろうねえ。楽しい気分の、気を引くような詩じゃなかったものねえ。

 

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今朝の僕の即興詩 「あまちゃん」

2019年01月12日 10時41分42秒 | Weblog

今朝の即興詩 「あまちゃん」

あみちゃんとまあちゃんで/あまちゃん/双子の姉妹/どっちがどっちだか/一目では分からない/だから/どっちでも振り向くように/あまちゃん/ふたりとも可愛いんだ/おまけに着ているものまでおそろい/靴もおそろい/手袋も/帽子も

あみちゃんとまあちゃんで/あまちゃん/髪が長くて三つ組みがしてある/そこもいっしょだ/性格は微妙に違っている/あみちゃんはおませ/まあちゃんは目立つのが嫌い/だからあみちゃんが前に立って/まあちゃんがその後ろにいる/そこで分かる

あみちゃんとまあちゃんで/あまちゃん/僕は二人とも好き/あまったれているところはいっしょ/あまやかされて甘い声を出す/パパとママの後ろから来る/隣の家に住んでいる僕は/二人のそれぞれの/いいところが分かる/二人の声を聞き分けられる

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これもわたしの朝の食事の一つである

2019年01月12日 10時31分11秒 | Weblog

今朝の食事は、小松菜入りの雑煮雑炊だった。白餅半個と蓬餅半個をやわらかく煮てあった。これに夕食の残りのご飯を加えて、さらさらの粥状になっていた。出汁(だし)は炒り子出汁である。小松菜は畑から引いて来ていた。細かく切ってあった。意外とこれが柔らかい。青菜の青が鮮やかだった。おいしくいただいた。デザートは、我が家でこしらえた甘酒。冷蔵庫で冷やされてひんやりして甘い。

食事が済んだら、新聞に目を通した。まず一面のコラムを読むのが癖になっている。さすがに新聞業務専門屋さん、文章がうまい。中身が濃い。それでいて分かり易くしてあって読みやすい。これもわたしの朝の食事の一つである。

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「それ以上」を生きているのに、「それ以下」にしか見えない

2019年01月12日 10時28分34秒 | Weblog

現代人は豪勢な生き方しかできない。豪勢な豪華な文明社会に浴しているから、それにとっぷり浸かっていることを当たり前として、それ以外はみな「それ以下」として認識するしかない。そして、「それ以下」では暮らせない。不平なくしては暮らせない。そういう点ではすこぶる苦労人である。薺の花の咲く垣根に行って、「よく見る」なんて芸当には馴染めない。よく見たら、「それ以上」を生きている己の位置に気がつくようになっているのに、それができない。

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