<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

消費されて古くなった残骸はどこにも見当たらない

2019年01月08日 09時56分28秒 | Weblog

(これは1,2,3に続く)

届けられた新しいものが、あらゆる生命体に消費されて、古くなって、戻って、大静脈を流れて帰って、宇宙本体に届いて行く。それを宇宙心臓が受け止める。宇宙肝臓が受け止める。宇宙腎臓、膵臓が浄化する。宇宙五臓六腑が活動活躍する。全機能全組織が浄化作業の工場をフル回転する。

朝が来ている。新しい朝が来ている。新鮮な空気が満ちあふれている。光がまばゆく跳ねている。消費されて古くなったものの残骸は、何処にも見当たらない。

 

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充実された宇宙機能があるはず

2019年01月08日 09時50分50秒 | Weblog

(これは1,2から続く)

空が青い。山が緑だ。海が白波を上げる。空に鳥が飛んでいる。山に獣が走り回っている。海に魚が泳いでいる。わたしが今日の新しい空気を吸っている。死なないで新しい今日を迎えている。新しい目を見開いて、新しくものを考えている。

空も山も海も、汚濁のままではない、日々浄化されて、日々新しくなっている。これがこうなるだけの浄化システム、これがこうなるための充実された宇宙機能があるはずだ。

 

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宇宙大動脈と宇宙大静脈

2019年01月08日 09時47分11秒 | Weblog

(これは1から続く)

宇宙体内にも、大動脈と大静脈、動脈と静脈、無数の毛細血管が張り巡らされて、宇宙血液が流れているのではないか。それでいつも新鮮でいられるのではないか。でないと、一方的に汚濁が進んで行くばかりのはずである。そうはなっていない。

わたしの目には、しかし、それは見えない。宇宙大動脈も宇宙大静脈も見えていない。しかし、それはわたしの視力が弱くて見えていないだけかもしれない。

 

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わたしの体内にわたしを新しくするための血管が流れていた

2019年01月08日 09時28分34秒 | Weblog

そうでした。わたしの体内には大動脈と大静脈、動脈、静脈、毛細血管が流れていた。大小様々に形を変えて、心臓から発してまた心臓に戻って行く。この中を血液が流れて行く。新鮮な酸素や栄養物を体の隅々まで届けて行く。そしてまた使い切った不要物を戻して行く。

わたしの体内に、わたしを新しくするための血管が流れていた。

 

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大動脈で運ばれて来た血液が大静脈を通って帰って行きます

2019年01月08日 09時16分18秒 | Weblog

(これは、1,2,3,4,5,6から続いています)

届けられて届けられて来ます。

「わたしはどうしてこんなことを思うのかなあ」と思いながらこのブログを書いています。うまくそこのところを表現できませんが、届けられた声のようにも思うのです。それを形にする作業が文章化です。わたしに初めから文章があったはずはありません。言葉があったはずではありません。届けられた言葉という気もします。言葉によって、思いによって、「届けるものと届けられるもの、向こうとこっちと繋がっている」と言い換えたらいいのかもしれません。

これはわたしの特徴的な発想です。いつも、「繋がっている」があります。わたしと仏陀は繋がっている、大動脈大静脈で繋がっている、という思いが根底に揺らめいています。

大静脈で運ばれて来た血液が大静脈を通って戻って、帰って行くのです。

届けられたものは、また次に、戻って、帰って、「届いて行く」のかもしれません。

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すべての生命の旅、全行程が巧く運ばれて行くように

2019年01月08日 09時02分22秒 | Weblog

(これは、1,2,3,4,5から続いています)

死も含めてのオールラウンドなのです。全行程添乗員付きなんてパック旅行がありますが、それにどこか類似しています。わたしたちの生命の旅も全行程が保証されています。「すべての生命の旅、全行程がうまく運ばれていくように」仕組まれています。上手く運ぶすべての必須条件が完備されて、生きる者の手元足元に届けられて来ます。わたしに安心が届けられて来ます。

「だからどうか安心して生きて下さい」の声を聞きます。これは仏陀の声です。宇宙全体の祈りの声です。

 

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死すらもまた 届けられてくるものでなくてはならない

2019年01月08日 08時47分44秒 | Weblog

(これは、1,2,3,4から続いています)

それで終わりでは、所謂片手落ちです。「この世の生を全うできなくなったとき」「死ぬ時」「死んだ後の生き方」の用意もしてあるはずです。ちゃんと用意が完了しているはずです。

わたしたちはすべての条件が整っているところでないと生きて行けません。整っているからこそ、いま此処でわたしが生きることができています。

だから、整ったところで、わたしが死んで行くのだろうと思います。死すらも届けられてくるものでなければならないのだろうと、わたしは考えています。

 

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これはそういう特殊な郵便物です

2019年01月08日 08時40分50秒 | Weblog

(これは、1,2,3から続いています)

わたしが生きて行ける分はみんな向こうの方から届けられているのだなあと、しみじみそう思います。

届けられるという受け身形で表現しましたが、能動形に直して考えてみることもできます。そうです、誰かが「届けている」はずです。届けている主体者がいるはずです。届けられてくるものには贈り主の名が書いてありませんから、特定できません。これはそういう特殊な郵便物なのです。

でも、背後には届けている者の意思が込められているはずです。「生きて下さい」という願いが込められているはずです。「わたしたちはあなたを全面支援しています。必要なものすべてをあなたに届けます」という声が強く込められているはずです。

 

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みんな向こうの方から運ばれてきます

2019年01月08日 08時35分58秒 | Weblog

(これは2から続いています)

こうしてわたしたちには、わたしたちが必要とするものが次から次へ届けられて、それで日々の暮らしが成り立っています。これらは、わたしが見繕って請求を掛けるものではありません。自力で掴み取って手に入れるものでもありません。料金表を見てお金で買いに行くものでもありません。毎日、お願いに行って、分けて貰って、一輪車に載せて帰って来るものでもありません。

みな向こうの方から運ばれてきます。勝手に届けられて来ます。クロネコヤマトの宅急便に依頼しなくても届いて来るのです。便利です。そのどれにも、「請求書なし、領収書なし」で済んでいます。

 

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届けられてくるのは 朝だけではありません

2019年01月08日 08時29分56秒 | Weblog

届けられてくるのは、朝だけではありません。付随物がたくさんついています。朝日が輝いています。光が足元まで届けられています。小川には新しく溢れ出た水が流れて来ます。手に掬うと飲むことも出来ます。飲めば渇きが癒されます。澄んだ大空が広がっています。大空いっぱいに空気が満たされて、それを鼻先まで届けられて来ます。肺が吸います。わたしは生きて行ける分の健康をもらいます。

朝の後には昼が、昼の後には夕方が、夕方の後には夜が届けられて来ます。夜になると、明日の英気を養うための睡眠が届けられて来ます。わたしが暮らして行けるように、わたしが元気で生きて行けるようにと、何から何まで届けられて来ます。

 

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