<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

「ある」と「なる」について 雑論 ラスト

2019年01月04日 17時49分52秒 | Weblog

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猫のことを考えながら、僕は僕のことを考えている。「僕である」ことの意義を考えている。「僕でなくなる」ときのことをも、あわせて考えている。

僕は「僕でなくなる」ときが必ず来るのだが、その瞬間に、僕はもう一つ先の「ある」に変わってしまって、僕を認識しないかもしれないのだ。

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「ある」と「なる」について 雑論 その9

2019年01月04日 17時43分23秒 | Weblog

仏教は「仏に成る」という教えなのだろうか。或いは「仏である」という教えだろうか。その曖昧な中間なのだろうか。

「仏ではない」から、「仏ではない」ことを認めて、そこから「仏に成る」ことを目指して行くのだろうか。

わたしの疑問。あくまで来世でのみ、「仏に成って、仏である」を実現するのだろうか。

「仏に成る」という一本道は、来世のボーダーまでは、しっかり切断されているのだろうか。

 

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「ある」と「なる」について 雑文 その8

2019年01月04日 17時33分12秒 | Weblog

「仏である」と「仏に成る」について考えてみよう。

「仏になる」ということは、どういうことか。いまは「仏ではない」という否定形を含んでいるのだ。「仏である」を実現していないのだ。

来世を待って「仏に成る」のなら、つまりこの現世には誰一人として「仏である」人はいないということでもあるのだ。

仏ではない者が、仏を理解して、仏の教えを伝えて行く、などという芸当ができるのだろうか。

 

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「ある」と「なる」について 雑論 その7

2019年01月04日 17時31分16秒 | Weblog

「人間になる」「人間である」という「なる」と「ある」の2進法で、すべては進んで行くのだ。「なる」「ある」「なる」「ある」「なる」が無限連鎖になって、連なって、連続していくのだ。

 

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「ある」と「なる」について 雑論 その6

2019年01月04日 17時25分16秒 | Weblog

「猫である」というのは、猫の途中経過地点の形態である。変化を辿って辿って行くのだ。「猫になるぞ」という一地点を経過して猫は「猫である」の定点着地を果たしたのだ、きっと。

 

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「ある」と「なる」について 雑論 その5

2019年01月04日 17時23分05秒 | Weblog

「ある」の前に「なる」があったはずだし、「ある」の後にも「なる」が付いて回るはず。すべては変化をしているのだから。「人間である」の前には「人間になる」のステップを踏んでいたはずである。

 

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「ある」と「なる」について その4

2019年01月04日 17時16分07秒 | Weblog

「ある」は「なる」なくしては存在が出来得ないはず。すべては次へ動いて行っているときに、<梃子でも動かない><定点をキープし続ける>なんてことが、できるだろうか。できないはず。

 

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「ある」と「なる」について 雑論 その3

2019年01月04日 17時14分03秒 | Weblog

じゃ、猫はこのままずっと「猫である」を続けて行くんだろうか。嫌にならないだろうか。嫌になった場合にはどうするんだろうか。「猫である」ことを止めたら、「猫であった」ことだけになるのだろうか。

 

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「ある」と「なる」について 雑論 その2

2019年01月04日 17時11分49秒 | Weblog

なんでも順序があるよね。後先があるよね。何かがあってその次にまた、何かがあるんだよね。後先なんてまったくなくて猫はいきなり「猫である」に収まったのだろうか。

 

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「ある」と「なる」について 雑論 その1

2019年01月04日 15時33分32秒 | Weblog

「猫である」ということは、「猫になる」の過去形なんだろうか。それとも過去も未来もサンドイッチしないで、いきなりぽんとそこにそうして「猫である」ことを実現したのだろうか。

 

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