2
どきどきどきっととして、顔を上気させる。顔に桜の花がどんどん咲き誇る。こんなことがたまには起きてくれないかなあ。
これから起きるよりも、今現に起きていることを、こんなふうに受け取ればいいけどなあ。
嬉しいなあ嬉しいなあと受け取って、顔をほころばせる。花のようにほころばせる。その技術を取得した方が早道なんだがなあ。
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どきどきどきっととして、顔を上気させる。顔に桜の花がどんどん咲き誇る。こんなことがたまには起きてくれないかなあ。
これから起きるよりも、今現に起きていることを、こんなふうに受け取ればいいけどなあ。
嬉しいなあ嬉しいなあと受け取って、顔をほころばせる。花のようにほころばせる。その技術を取得した方が早道なんだがなあ。
1
どきどきどきっとすることはないか。ないなあ。どきどきどきっとすることがあればいいなあ。ぱっと顔が上気して桜色になるようなことが。三度も五度も十度も飛び上がるような嬉しいことが。あればいいなあ。ない。たまにはあってもいいはずなんだがなあ。
庭に下りて、しみじみと、近くに寄って、見てみたら、沈丁花が花芽を着けていた。まだ小さな、色をも見せない蕾だけど。「ほう、そうか」「そうかそうか」と声を出して、見入った。時が動いているのである、確実に。現実はあたたかくはなっていないけれど、その方向を目指しているのである。
ものには、向きがあったのである。ときは、向きを持っていたのである。
明暗おのおの相対して、比するに前後の歩みの如し。 禅宗経典「賛同契(さんどうかい)」より
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明暗は、右足と左足の役をしている。これで歩いて行くことができる。片方だけでも歩けないことはないが、妙な歩き方になる。ケンケンパタの、ケンケンは出来ても、パタができない。片方だけを義とはしていないのだ。
一対ということである。明の右足、暗の左足がペアになっているということである。2者があって、歩みが出来る。これは明暗だけではあるまい。賢愚もそうだろう。大小もそうだろう。天地もそうだろう。清濁もそうだろう。
相手を軸足にしているときに、片方が用を為す。生死も、生が右足で、死が左足である。二つを働かせて、往生成仏を果たす。
5
不安を抱えてしか生きて行けないのか。僕の場合はそうみたいだな。残念ながら。
6
往生際が悪い。なるようにしかならないのに、そこをなんとかしようとする。こじ開けようとする。
7
結局、徒労に終わる。でもまた再挑戦する。この繰り返しだよね。解決策は浮かんでも解決はしない。
8
だったら、それ、解決策じゃなかったんだよね。細い道がだらだら続く。丘を越え山を越えて行く。
1
割り切ったようで割り切れてないんだよね。やっぱり、不安が燻ぼっている。おかしい。
2
じゃ、もう割り切ったりしない方がいいんじゃないか。そうかもしれない。
3
でも、庖丁で、小さく大きく、割り切ったからこそ、小餅になったんじゃない? どう?
4
ひりひり、ちくんちくん、ぴりりりしている。火傷の痕みたいに。大きい痛みじゃないけれど、痛みは痛み。
5
それにしてもお正月の神社の参拝者の列の長かったこと。恋人二人、若夫婦老夫婦二人、親子連れ、三世代の大家族、同級生仲間、会社の仲間、ときには颯爽たる一人。いろいろいろいろ。それで三列五列縦隊で大渋滞。鳥居の先の先まで続いていた。そこから神殿まではじっとじっと立ち尽くして、順番を待つ。寒い。だがみな、その長い待ち時間を嫌がって立ち去ろうとは、しない。まことに根気強い。
神社詣りの長蛇の列は、日本のお正月の何処にでも見られるあり触れた風景である。
4
利益(りえき)は人間の手で勝ち取る勝利品だが、ご利益(りやく)は違う。神に委ねたものである。神がこちらに提供してくれるギフトである。
いやいや、参拝者の中には、神頼みはしなかったという奇特な方もおいでだっただろう。お礼参りだけをされていた方もあっただろう。神頼みとは未来への請求事である。平安であった過去を思えば、「有り難うございました」としか言えない。領収証持参のお礼参りである。
「新しい今日の一月一日に神社詣りが出来ました。何よりの吉祥でありました。これこそが先ず以て一番の有り難いことでございました」と。
3
参拝した者は、即その場で快く聞き届けられたという安心感を得る。でもって、ますます、めでたい正月ということになる。それを批判、批難することはない。ないように思う。何よりそれで当事者が安らげるのである。平和な気持ちになれるのである。大吉を実感できるのである。簡単簡潔でいい。毒がなくていい。後腐れしないでいい。神様もさぞやご同慶であろう。
2
参拝できたことを有り難がる。まことに自然に有り難がる。違和感などなんにも感じないで。人が神に頼み事をする。人間では叶えられないことを神に頼んでおすがりする。神様が、人間に代わって、最大級の人間の幸福の、代行業務に邁進される。この利他行実践活動あってこその神様である。これでこそ神様である。