<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

僕はこの番組の司会進行をしている落語家が好きなんです

2019年01月09日 19時40分27秒 | Weblog

夕ご飯食べました。焼酎1合をお湯割りして飲みました。5対5の割合で。それでいい気持ちになっています。酔うとすぐに眠くなります。3時間寝たら起きてしまいます。でも今夜は眠らずに居ます。テレビを見ています。NHKの番組を見ています。滅多にないことです。脈拍が寿命に関係しているらしい。脈拍を早めるアドレナリンも関係しているらしい。そう、ためしてガッテンを見ています。脈拍を下げるにはヨガの呼吸法を取り入れるといいらしい。僕はこの司会進行をしている落語家が好きなんです。

 

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最勝の善生を生きる者

2019年01月09日 16時36分19秒 | Weblog

やはり、仏陀の言葉を聞きたくなる。仏陀に、ずずずずっと近づきたくなる。

峯の色渓の響きもみなながら我が釈迦牟尼の声と姿と

こう道元禅師は歌われた。見るものも聞くものも皆、仏陀その人が発したものだという受け取りである。仏陀からの直球がミットに収まって行くのである。ズシンズシンズシンと玉の音が手の平に響く。さぞや、忝くて忝くて涙声になられたことだろう、道元禅師は。

遇(あ)い難き仏法に値(あ)い奉れり、生死(しょうじ)の中の善生(ぜんしょう)、最勝(さいしょう)の生(しょう)なるべし   禅宗経典「修証義」 第1章「総序」より

最勝: 「もっとも優れた」 

わたしは遇(あ)おうとしても遇(あ)えない仏の教え=仏法に、この現在で値(あ)っている。これは迷いを続けるわたしの人生を、翻した生き方=善生である。最高最上最良の生き方である。それを生きているわたしを明らかに出来るよろこび。     

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最勝の善生を生きる者

2019年01月09日 16時36分19秒 | Weblog

やはり、仏陀の言葉を聞きたくなる。仏陀に、ずずずずっと近づきたくなる。今日もはや夕暮れどきを迎えている。今日は畑に出なかった。農作業はしなかった。

峯の色渓の響きもみなながら我が釈迦牟尼の声と姿と

こう道元禅師は歌われた。見るものも聞くものも皆、仏陀その人が発したものだという受け取りである。仏陀からの直球がミットに収まって行くのである。ズシンズシンズシンと玉の音が手の平に響く。さぞや、忝くて忝くて涙声になられたことだろう、道元禅師は。

遇(あ)い難き仏法に値(あ)い奉れり、生死(しょうじ)の中の善生(ぜんしょう)、最勝(さいしょう)の生(しょう)なるべし   禅宗経典「修証義」 第1章「総序」より

最勝: 「もっとも優れた」 

わたしは遇(あ)おうとしても遇(あ)えない仏の教え=仏法に、この現在で値(あ)っている。これは迷いを続けるわたしの流転人生を、翻した生き方=仏に出遭った者の「善生」である。仏陀より頂いた最高最上最良の生き方である。それを生きているわたし、その最勝のわたしを、この世界に明らかに出来るよろこび。     

これはわたしのわたし流の読みである。読者諸氏はみずからの言葉で読み解いて下さいね。わたしのそれは間違った受け取りかもしれません。

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お昼時とあって客が多いなあ

2019年01月09日 13時20分56秒 | Weblog

腹が減った。チャンポン屋さんに吸い込まれた。お昼時とあって客が多いなあ。若いサラリーマン風の人が多いなあ。ネクタイつけてキチンとしてるなあ。己もそういうときがあったなあ。ずいぶん前だが。たしかにそういうときがあったなあ。いまの己はジャンパー姿。ネクタイもつけていない。だらしなくしている。それでいい。それだけの価値しかない。

まだ、チャンポンは出来てこない。待ち遠しいなあ。

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空の機嫌が治らない 鼻水を垂れた男のよう

2019年01月09日 12時01分48秒 | Weblog

市役所のお昼の音楽が鳴った。昼飯時だけど、一人はつまらない。外へ出て行こう。喰いたい物があるか。食欲はあるか。それがあまり。じゃ、どうする? その内腹が空くだろう。

空はまだどんよりしたままだ。機嫌が治らない。母親に拗ねた男の子のよう。可愛がってもらえなくて、お膝に抱いてもらえなくて、鼻水を垂れた男の子のよう。

ときおり、冬の風が南天の下葉を揺らして通り過ぎて行く。何か楽しいことはないか。ここは山里。山鳩すらも遊びに来ない。でも、着替えよう。いつものよれよれの、余所行きに着替えよう。

行くところもない。神社詣ではもういい。いい加減でいい。湯治はどうだ。冷たい足を温めるにはよさそうだが、遠くまで出て行くだけの気力がない。それに財力が弱っている。泊まりに行く大金が融通できない。

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即興の童謡詩 「粉屋の娘は」

2019年01月09日 11時03分30秒 | Weblog

即興の童謡詩 「粉屋の娘は」

 

粉屋の娘は/白い肌/粉にまみれて日も夜も/働き者の気立てよし

粉屋の娘は/白い顔/今日は真っ赤な木瓜咲いて/ちょいと覗きにやって来た

粉屋の娘は/白い指/村の若衆の気もそぞろ/ちょいちょい覗いて狂い出す

粉屋の娘は/白い衣(きぬ)/神の狐の化けものの/尻尾を見せて追いやった

粉屋の娘は/白い花/花の香りは山を越え/異国の国を迷わせる

粉屋の娘は/白い月/夜が来るたび輝いて/乳房の乳首赤くなる

 

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大空を舞う天人の絵を見ている

2019年01月09日 10時49分41秒 | Weblog

さみしいな。遊んでくれる人は誰もいないよ。どうしよう。しようがないよね。こっちが拒否してかかっているから。始終、「一人がいい」「一人がいい」と言っているのだから。一人が気楽は気楽なんだ。気を遣わなくてすむから。相手に合わせなくていいから。一人で居れば好きなようにしていられるから。

そして、さみしがる。我が儘者のさぶろう。絵の中のおんなの人を抱いていたい。絵の中のおんなの人に抱かれていたい。そうすれば、気持ちが良くなって、すういと眠りの底に落ちて行くかもしれない。でも抱くようなおんなの人が、絵から飛び出して来るわけじゃない。大空を舞う天人の絵を見ている。京都三千院、往生極楽院の船底型天井画を見ている。わたしは鬼だからとうてい天人は抱けない。

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暇だから クレヨン水彩でもして遊ぶかな

2019年01月09日 09時21分52秒 | Weblog

お天気はイマイチのようだ。日が射して来ない。明々(あかあか)にならない。空が眉毛を垂らしてしょんぼりしている。寒さはそれほど募ってはいない。畑仕事には向かないかな。霜に当たったブロッコリーは大きな葉っぱに力を復活させられないでいる。

クレヨン水彩でもして遊ぶかな。今年いただいた賀状の返事に、絵を描いてみた。普通葉書の、真ん中に花の絵を描いて20数枚。暇にまかせてちょこちょこ、のんびり描いてみた。春を迎える詩も添えた。それは終わった。次は仏の頭上を舞う天人を描いてみたい。天人は、きらびやかな色とりどりの衣装を纏っている。

 

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糸島市加布里の神在神社に

2019年01月09日 09時06分15秒 | Weblog

昨日、姉を訪ねた後、福岡県糸島市加布里の神在神社に詣でて来た。往復6時間掛けて。その背後の山中の竹林に、巨石が鎮座ましましていて、注連縄飾りをしてあった。お詣りの指示がしてあった。それに従って、両手を挙げて息を深く吸いこみ吐き出した。三回。石にも手を触れてみた。此処はパワースポットらしい。西日本新聞が巨石の写真入りで報じていた。この記事を読んだ人たちだろう、この寂しい山の中を目指して客が幾組も上って来た。離れがたくてしばらくそこにいた。みなさんパワーを貰って上気されてるふうだった。記事に拠ればこの石の周囲は16mあるらしい。ぐるりと回ってみた。この石のパワーは数年前に発見されたらしい。それで、注連縄を張るようになったらしい。もちろん、神社の振鈴もならしてみた。お賽銭も投じてきた。「元気でお詣りに参ることができました。有り難うございました」のお礼言上をした。ここもひっそりとしていた。駐車できるスペースが狭くて困った。

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いきなり、読者洪水だあ!

2019年01月09日 08時57分01秒 | Weblog

午前8時前に、「餅を喉に詰まらせるなよ」のタイトルでプログを投稿したら、どうだ、なんと一挙に、記録では、130人以上の読者が、押し寄せて来た。読者洪水だあ! そんなことがあるものか。こちらは首を傾げるばかり。

餅を喉に詰まらせた経歴を持つ人なのかなあ(失礼)。じゃないよね。だったら、そういう年齢層の人? そういう人を家族に持っている人? 詮索はよそう。ま、とにかく嬉しかったのだから。読者を得たということは嬉しいことなのだから。

いつもこれくらいの読者洪水が押し寄せて来たら、川幅を大きくして対処しなければならなくなるかもしれぬ。堤防決壊が予想される。読んでくださった方ががっかりされないように、と思う。もう一度言う。でも、嬉しかった。予期せぬ出来事だった。 

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