<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

だらだら散文詩 「ふしぎだね」

2019年01月04日 15時11分06秒 | Weblog

だらだら散文詩 「ふしぎだね」

 

夜が朝になるってふしぎだね。途中で止まるなんてことがない。いっぺんもそういう事故を起こさない。回転軸が外れて動かなくなるなんてことが、まったくなかった。

冬が春になるってふしぎだね。途中で止まるなんてことがない。いっぺんもそういう事故を起こさない。回転軸が外れて動かなくなるなんてことが、まったくなかった。

雨が霧になるってふしぎだね。途中で止まるなんてことがない。いっぺんもそういう自己を起こさない。回転軸が外れて動かなくなるなんてことが、まったくなかった。

海が空になるってふしぎだね。途中で止まるなんてことがない。いっぺんもそういう事故を起こさない。回転軸が外れて動かなくなるなんてことが、まったくなかった。

過去が未来になるなんてふしぎだね。途中で止まるなんてことがない。いっぺんもそういう事故を起こさない。回転軸が外れて動かなくなるなんてことが、まったくなかった。

死んでまた生まれるなんてふしぎだね。途中で止まるなんてことがない。いっぺんもそういう事故を起こさない。回転軸が外れて動かなくなるなんてことは? それはありえない。

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午後の僕の即興散文 「ひっくり返してみたら」

2019年01月04日 14時47分30秒 | Weblog

午後の僕の即興散文 「ひっくり返してみたら」

 

バケツをひっくり返すと水はもう溜まらない。

自転車をひっくり返すともう走らない。

空をひっくり返したら、雲は流れて行けなくなる。

ひっくり返すと、どうも困ったことになる。

 

騒がしい町をひっくり返すとどうだ? 静かな村になるか? ならない。

頭をひっくり返して逆立ちしたら? 頭に足が生えるか? 生えない。

鬼さんをひっくり返したらどうだ? 立てるか? 角が邪魔をして立てない。

ひっくり返しても巧く行きそうにない。ないのが多い。

 

貧乏人をひっくり返したら大金持ちになれるかもしれない。その希望が持てる。

ゴミ箱をゴミ捨て場にひっくり返したら綺麗さっぱりする。その可能性あり。

戦争をひっくり返したら平和に戻れるかもしれない。その手があるかもしれない。

じゃ、そうしよう。ひっくり返そう。

 

憎しみと恨みをひっくり返したら? 

不満と不平をそっくり全部叩いてしまったら?

蔑視と羨望をひっくり返して、まったくのゼロにしたら?

そうしたら、全世界の至る所に、やさしさと抱擁にあふれるかもしれない。

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死と死滅 不死と不滅を考える ラスト

2019年01月04日 14時39分15秒 | Weblog

18

仏の特性は、不死と不滅である。衆生人間の特性は死と死滅である。しかし、それぞれがそれぞれの特性を尊重し守護しているのかもしれない。勝負は付かない。互角の価値を有しているもの、死と不死、対等の死滅と不滅。此処を結論としておこう。

いろいろと考えて来ました。長々の長談義になりました。ごめんなさいね。お付き合い下さって有り難うございました。みなさんはみなさんで考えて下さったことでしょう。

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死と死滅と 不死と不滅を考える その11

2019年01月04日 14時36分20秒 | Weblog

17

死と死滅は厭離すべきものだというが、はたしてそうか。不死と不滅は欣求すべきものだとされているが、はたしてそうか。

ジャンプ台を蹴らずしては跳び箱は越えられまい。死と死滅こそはジャンプ台の役目をしているのではないか。これがあって、不死と不滅へ着地が叶うのではないか。

であれば、死も死滅もおろそかにしてはなるまい。粗略に扱ってはなるまい。

 

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死と死滅と 不死と不滅を考える その10

2019年01月04日 14時34分32秒 | Weblog

16

欣求だけで暮らしては行けないか。死と死滅の否定ではなくて、それをも肯定して、道々、欣求の中で生きて行く生き方はないか。

 

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死と死滅と 不死と不滅を考える その10

2019年01月04日 14時29分55秒 | Weblog

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「厭離穢土 欣求浄土」では、此処娑婆世界は、苦界であって、穢土である。厭い離れるべき穢土である。此処をそう見ている。だから、仏の国の浄土が求められて行く。欣求されて行く。

穢土と浄土が同じ場所とする説もある。陸続きだという説もある。そうだと厭離しなくてもいいことになる。欣求だけで暮らしていいことになる。

 

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死と死滅と 不死と不滅を考える その9

2019年01月04日 14時17分09秒 | Weblog

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死も滅も、味わえば味わいが深いのである。多くの宝物の埋蔵されたところで、われわれ人間は、生死をしているのである。

 

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死と死滅と 不死と不滅を考える その8 

2019年01月04日 14時13分19秒 | Weblog

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不滅不死は、滅と死の対岸にあるものである。こちら側の岸には、死と滅があって、これに捕縛されている。

捕縛を解けば自由になれる。

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自由になれば、両岸を往復も出来るだろう。

不滅だけでも退屈だろう。不死だけでも飽きが来るだろう。

 

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死と死滅と 不死と不滅を考える その7

2019年01月04日 14時08分21秒 | Weblog

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仏陀の教えそのものを甘露とするという説に、わたしは共鳴する。甘露の具現されたものが仏陀・如来である。

わたしの場合は、仏陀の教え、仏法経典を甘露飴にして、舌の上に転がしていると落ち着きがもたらされる。堅い不安の氷がとろりと溶かされる。

 

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死と死滅と 不死と不滅を考える その6

2019年01月04日 14時04分56秒 | Weblog

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死も死滅も、形を見ている。目を開けて見るものを対象にしている。不死と不滅は、形を超えている。目を閉じて見るもの、それを対象とすれば、そこに現れて来るものが不死と不滅である。

 

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