多病息災発達障害者こよりの日常

両手で数えきれない障害と持病を抱えつつ毎日元気に活動中。発達障害の息子たちの子育ても終え、悠々自適の毎日です。

今年のおせち料理

2018-01-01 20:13:14 | 暮らし
去年は 秋に体調を崩して 入院したし、


暮れ近くには 風邪気味で あまり調子が良くなかった。


おせちは どうしようか、と相談したら


夫は 「いつも通りがいい」といい、


息子達は 「仕事にいくから おせちより、お腹にたまるものがいい」という。


夫は 買い物や おせちの下ごしらえを手伝うと言ってくれたので、


買い物は できたものの、いざ支度にかかって


「これこれ できる?」と聞くと


「できん。」といって どこかに行ってしまった。


まあ仕方ないか、と 私でも できる範囲で


用意をし、


息子達には 買ってある材料で 好きな物を


作るように 言っておいた。


以前より 種類の少ないおせちだったけれど、


夫も 不満なく箸をつけていた。そのうちに


息子達の 季節感の無い 


「正月も仕事をこなすための ボリュームおせち料理」にも


気持ちが動き、「それちょっと分けてくれ」とか言って


美味しそうに食べていた。


私は 小皿に 事前に取り分けていたものを


いつも おじいちゃんが座っていた場所に置いて


箸を添えた。


カンのいい長男が、「じいちゃんこれ好きだったもんな」と言う。


自閉っ子は「じいちゃん?いないよ?」ときょろきょろしている。


その時に 飲み物の空き缶を 倒し、「カラン!」と音がした。


「ほーら、じいちゃんが ここから見てるぞ」って言ってるよ」と言うと


「本当だー」と うれしそうにしていた。


毎年 年越しそばは 深夜に食べるが、明日出勤で 早く寝たい人もいるので、


皆の希望を取ったら 9時から10時という意見になった。


私が 適当な時間に支度を始め、出来上がったら声を掛けるという事で


落ち着いた。


昔は 年越しそばを作るのは 男の仕事、というのが


わが家の習わしで、舅が 作っていたそうだ。


私が 嫁いだ初めての大晦日、舅は 私を台所に呼びつけ、


「こより、あそこの大鍋出せ」


「丼の青いやつ持ってこい」とあれこれ 言いつけた。


私は 何が何だかわからないまま、舅の言う通りにし、


出来上がったそばを 居間で待つ 家族に運んだ。


実家では 年末年始は 父の仕事が忙しくて 


年越しそばどころではなかったから、


私には 初めての経験だった。


麺類は できるだけ大きな鍋でたっぷりの湯でゆでる事、


ゆであがったら 急いで湯きりし、水にさらす。


ゆであがりの時間を見計らって 丼を温めておく事、等々。


大晦日に そばを茹でながら、舅が後ろから


「もうすぐだぞ」「湯きりは手早く!」


などと 言いながら 見てくれているような気がした。


麺類の調理は もう私より 長男の方が 上手なのだけれど、


なぜか 私が作ったほうがいい、という事になった。


まあまあの仕上がりだったようで、皆 喜んで食べてくれて


私も 嬉しかった。















おもしろ食器 皿という名の皿 SAN2279
クリエーター情報なし
サンアート

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