多病息災発達障害者こよりの日常

両手で数えきれない障害と持病を抱えつつ毎日元気に活動中。発達障害の息子たちの子育ても終え、悠々自適の毎日です。

今親に対して思う事

2017-11-08 22:27:31 | 
私は、親に可愛がられるような愛らしい子どもでもなかったし、


親の自慢になるような 何かの取り柄のある子でもなかった。


無表情で 無口で、人と関わる事はたとえ家族であっても


わずらわしかったし 嫌だった。


嫌だと言えば「可愛くない」と言われ、


黙って従えば「何を考えているかわからないし、何をやっても喜ばない」と


言われた事を覚えている。


母親との 関わりが億劫だったし、


母も母で、私の扱いに困ったことだろうと思う。


私が生まれる前に、すでにレオ・カナーやハンス・アスペルガーの論文が


発表されていて、ハンス・アスペルガーが私の生まれた年に来日も


しているが、「知的障害のない、言語に問題のない自閉症」の症例に


興味を持つ医師は少なかっただろう。


知的に問題がなく、日常生活や 言葉に不自由がない子どもに、


障害があるとは 気付く人は少なかったのだろう。


当時 発達障害児に支援があった所で、


母が 私を 障害児とは認めなかっただろうし、


ますます関係は悪化しただろうと思う。


私は 子どもたちを 育てる事が楽しかったし、


一緒に過ごせる時間は うれしい時間だったけれど、



母にとってはそうではなかったことを思うと、


母を 気の毒に思う。


今 色んな場所で、発達障害のお子さんを持つ親御さんに会う。


努力しながらも悩む人、なぜわが子が 障害を持って生まれたのかと


そこから抜けられない人など 様々な人がいる。


お子さんとご自身のために、修行を続ける方ももちろんいらっしゃる。


私のように、親との関係が良いとは言えない状況で育ち、


それを 引きずったままもがいている方もいる。


同じ出来事でも、受け取る人によって


感じ方も 対処の仕方も違う。


私が 母に育ててもらって 良かったと思うのは、


自分の力を精一杯出して、その場その場を乗り切る経験ができた事、


誰かにほめてもらう事を 期待せずに、


ただ 淡々と 物事をこなすことを見につけられた事。


今 母も老い、昔のような力強さは無くなっている。


会うたびにそれを感じる。


仏壇の父の位牌を見上げ、


ささやかなお供えをして、今の私たち家族の事を報告する。


私が 母を訪ねて 別れる時、


母が「また来てね」とか 昔では考えられないような言葉を


かけてくれるようになった。


私も「元気でね」とか「また来るね」と言葉を返す。


長い時間がかかったけれど、穏やかな関係になったことが


うれしい。


父もきっと 喜んでくれていると思う。














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