多病息災発達障害者こよりの日常

両手で数えきれない障害と持病を抱えつつ毎日元気に活動中。発達障害の息子たちの子育ても終え、悠々自適の毎日です。

夫のいい所をA4用紙一枚に 書きだす、という宿題

2017-06-30 13:42:17 | 
とある場所で 講座に参加しました。


夫婦や 親子の関係改善のための 勉強会で、DVDを見たあと、


参加者で グループワーク。


お茶やコーヒーを頂いて、時には お菓子も出て、


私は「あー。これ夫に持って帰ろう」と


バッグにしまったり 他の事に 意識が飛んでしまうのですが


皆さん ご主人の事で 悩んでらしたり、


お子さんや お孫さんの事まで 真剣に話しあって


いらっしゃる。私とは違って みなさん真面目で 真剣である。


私は 話を振られても 適当に思いついたことを 話すだけで、


がさつ、ぐうたら、ずぼらのままである。


終了後も みなさん お茶椀や お皿を 片づけていらっしゃるが、


私は 何をどうしたらいいのか わからず 案山子状態であるし


そのうちに「これ誰の?」と声がかかって ふとみると


私の 持ち物である。


忘れて帰る所を 気の付く皆さんに助けていただき、事なきを得た。


その講座の 宿題が、


「夫の 良い所を A4用紙一枚に できるだけ多く書く」というものだったので、


私は (あー、それなら 私でもできるし ラクだなあ)と思っていたが、


皆さん 悩んで いらっしゃる様子。


ご自分でなんでもできる方は できない人に 不満や要求をしてしまいやすいだろうし、


時には「なんで私ばかりOOをしなければならないのかしら」と


ストレスを 感じやすいのだろうなあ、と思う。


ぐうたら ずぼらな 私には 感じられない世界である。


私は その後喜々として 毎日


夫の良い所の リストアップを しているのだが、


これが 実に楽しい作業であるので、


明日は 沖縄出発というのに、荷作りより


そっちの方に 熱中してしまった。


夫に 「私の良い所」を 書いてくれ、と頼んだら、


嘘のつけない人なので、たぶん「俺には 書けん!」と


いうだろうなあ、と思う。


取り柄の無い私と 一緒になって30年、この秋には 31年を迎える事になる。


夫の 忍耐力に感謝である。


これまでの30年、私は幸せだったし、これからも幸せだと確信しているけれど、


夫の方は 忍耐していると思うので、その優しさに感謝しつつ、


私も 何か 夫を喜ばせる事がしたいなあと思う。


明日は 沖縄出発。何か夫の口に合いそうなものを、


お土産に 持って帰りたいなあ、と思った所で


「あ、あ土産より まず講演で しっかりお話しないと!」と


気付いて 反省しきりであった。


名古屋場所も近いし、「緊褌一番」である。













支援者なくとも、自閉っ子は育つ 親子でラクになる34のヒント
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愛知県 刈谷での 講演のご案内

2017-06-30 07:14:25 | 講演
愛知県 刈谷市で 講演をします。


ご興味のある方は


「刈谷 おもちゃ カルテット」で検索し、HPの

「セミナー」から お申込みください。


先日 打ち合わせや 開催日時等 主催者とお話し


決定したのですが 沖縄の講演に 集中していて、


こちらの告知を 忘れていました。


主催者さんが Twitterやブログ等で あげてくださって、


それを見て 気付いた次第です。


脳天気で 抜けている私ですが、


それでも 人生の あれこれを 乗り越え、


幸せな毎日を 送っています。








時間 :  10:00~12:00

受講費 : 3,000 円

定 員 : 20名

会 場 : 刈谷市産業振興センター 
     ⇒ 刈谷駅から徒歩3分 

講 師 : こより

対 談 : 藤田篤



佐々木正美先生のあれこれ

2017-06-30 05:29:49 | 修業について
10年の 公私にわたるお付き合いの中で、


佐々木正美先生とのたくさんの 会話が思い出されます。


何度か ご一緒した講演の後、控室で伺ったお話の数々。


私が 印象に 残ったのは、


先生が 一時期 統合教育を広めるために、


あちこちの 保育園や 幼稚園を回って


自閉症児の受け入れ先を ご自分で探された事。


これは 「皆と一緒」を願う保護者の方や


クリスチャンであられる先生の 「人を愛す」というお考えには


ぴったり合う考えだったのかもしれません。


しかし 園での数年は すぐに過ぎ、統合教育を 受け入れてくれる学校は少なく、


受け入れて 適応できた(ように 見えた)自閉症の子どもたちを


撮影して 映画も作られたと伺いました。


そして 「うまくいった」と 学校の先生も 親も 佐々木先生も


信じて 疑わなかったその数年後、統合教育を受けた子どもたちの中から


少ないとは 言えない数の 不適応を起こす子どもたちが出て、その予後はよくなかった、と


先生は 暗い顔をしておっしゃいました。


「・・・うまくいってる、とおもったんですよ、その時は。」その後しばらく


黙っておられました。


そして TEACCHにであわれ、エリック・ショプラーとの 親交を深められた先生は、


その後は TEACCHの普及のため ご尽力されました。


構造化で 生活や 学習が うまくいった子どもたちが たくさんいて、


その時は 「心底ほっとした」と おっしゃっていました。


私は 本が好きで、先生の御本もたくさん読みましたが、


家の中を 構造化したり 絵カードを作ったりすることは


したことがありません。


構造化に頼らなくても 生きていける子どもになってくれたことが、


私にとっては 良かったですし、先生の TEACCH普及を通して


助かった方も たくさんおられたそうですから、先生も 生きがいを感じられたと思います。


たとえて言えば、先生は 「みんなで 一緒に 道路を歩きたい」と


思われたら、その人を 助ける人の輪に交わらせればよい、


助けが難しければ 道路に 歩く線を書いて その上を 歩くことを


させればよい、というような お考えと 私は 受け取りました。


それが その後の 「発達障害に理解を」という ご活動に つながっていくと思うのですが、


私は 「道を歩くのにはまず どこからが道で、どこが自分があるいていい場所か」を


認識させることや「歩く体力」をつける事、何より「歩きたい」という意思表示が


たとえ音声言語でなくとも 示せること、「歩きたくなくとも緊急時には行動ができる事」等を


目指して 育ててきました。


道を歩くのなら、最低限のルールは知っておかなければならないと思いました。


「これが 自分の歩き方だ」と危険な事や 気の赴くままに 飛び出したり


していては 「一人で歩ける」ようには ならないと思い 育ててきました。



障害の理解、や構造化の普及は 私には


「自分は 車の運転をしたいが、右折は嫌なので それを理解してほしい」


「道路は 走るべき場所なのに、渋滞が起きると 納得できなくて


イライラするので、渋滞しない道路を作ってほしい」という考えのように思いました。


構造化も 絵カードも 支援者もなくとも、発達障害の子どもたちは


「働く大人」「余暇を楽しめる大人」「人の輪に加わり、一緒に楽しめる大人」に


なりました。


私の子どもたちのことを ご報告すると


「よくそこまで 育てられましたね」と おっしゃって下さいました。


先生は ご自分の 思想や信仰を活かし、満足できる人生を


送られたのかも しれませんが、まだまだ 「満足できる人生」や


「満足できる生活」を 送ることすらできないで 悩んでいるお子さんや 親御さんが


居る事を 知っていますので、私は 佐々木先生とは 違うやり方で、


「納得いく人生を 送れる」ことを 目標に 他の方や 親御さん、支援者の方に


私の体験や 日常、子どもたちを どう育てたか、という事を


お伝えしたいと思います。


明日の沖縄講演で、「私も 子どもたちも 自分の納得いく人生を


歩んでいます。幸せです。」という事を みなさんにお伝えしたいし、


障害があっても 支援や その他の 道具や 何とかプログラムや


高額なセミナーや 教材を買わなくとも 子どもは ちゃんと育つ、と


お話したいと思います。


先生は お亡くなりになりましたが、


「一粒の麦もし地に落ちて死なずば ただ一つにてあらむ、


死なば多くの実を結ぶべし」という言葉が 浮かびました。


私も 先生に 関わったものの 一人として、


先生とは 全く違う形ですが、自分の経験を 人のために


活かしていきたいと思います。明後日は 沖縄講演です。


 





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佐々木正美先生との10年間

2017-06-29 03:15:07 | 秀でた人
私と亡き佐々木正美先生との出会いは、



2007年5月13日の日曜日のことでした。名古屋に講演に来られた


先生に、私が 質疑応答で お尋ねしたところ、



先生は 私の 姿や 言葉から


私が 自閉症という事を 見抜かれ(当時は未診断でしたが)


私の 質問に 答えて下さったあと、ロビーで


「あなたは 自閉症、たぶんアスペルガーだと思うので、


クリニックで 診断を受けたほうがいい」という事や


「あなたの 行動や 考えは非常に 興味深いので、


今後もできれば 関わりをもちたいがいいか」という事を


話してくださいました。


その後 すこし 戸惑われつつ、


「あなたの質問は 非常に いいものなので、参考になりました。


あなたからとは わからないように、他の場所で 事例としてあげたり


著書に引用してもいいでしょうか?」と おっしゃいました。


私が 「ご自由にどうぞ」と 申し上げると ほっとしたお顔で


それから 笑顔に なられました。


その後 お付き合いが始まり、


講演に ご一緒させていただき、私の話をさせていただいたり、


子育てについて 話す機会もでき、


先生との 対談や 先生の講演後に 「こよりさん、何か話すことは


ありますか?」と 言われた時などは


言いたい事をそのまま話し、



「先ほど先生は発達障害の子どもや人には具体的に言葉や


構造化を、とおっしゃいましたが、私には 時間の視覚化や


具体的な指示なく(何か 話すこと ありますか)という


視覚化できない あいまいな言葉で指示をされたので・・・(疑いの視線で先生を見つめる)」と


会場を 爆笑させ 先生を困らせ、


その後 佐々木先生の ここは 自閉症の自分としては


納得しかねる、だの あれこれ言いたい放題していましたが


先生は 「長年 学んできた 私でも、当事者の方からの本音を


伺うと まだまだだ、とこの年になっても思います」と


おっしゃり、先生の大学にお招きいただいて


お話したり、あちこちの講演に 同伴させていただきました。


ご病気になられてからも、先生は 講演活動を続けられ、


最後に お会いしたのが 2016年の3月20日でした。以前より


おやせになり、立っているのが お辛いのか、椅子でお話されていた姿と、


会場の隅でその姿を 見守っていらした奥様のお姿が 思い出されます。


私は 単独での 講演や 本の出版などで、先生とは


違う活動を するうち、先生と講演する機会は なくなりましたが、



たまにお会いする機会があると 笑顔で お話して下さった姿が 思い出されます。


佐々木先生とは 子育てに関する 考えが 大きく違うことで


別な道を 歩むようになりましたが、私を 一目で自閉症と見抜かれ、


「当事者の ご意見をうかがえるのは うれしいし 学びです」と


おっしゃってくださったことや 何よりも


私の 今の活動の 最初のきっかけは 佐々木正美先生だったと思います。


私は 先生を 「偉い方」とは 思わず 違うなあ、と思ったら


失礼も顧みず「先生それ違うと思いますが」と 申し上げていたのですが


先生は 「今日も 良い学びをしました」とにこにこしていらして、


御不快な御顔というのは 一度も 拝見したことがありませんでした。


先生は 敬虔なクリスチャンであられ、


御子息の運営するサイトにも 「ぶどうの木」と名前を付けておられました。


「ご冥福」というのは 仏教徒が「冥土で安寧に過ごせますように」という言葉なので、


先生には 「天国で 安らかに お過ごしください」と


お伝えしたいと思います。





 









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あの人ずる~い、という不思議な感覚

2017-06-28 19:03:56 | 私の思考
私には 全く理解できないのだが、


「他の人に 良い事があると、自分が損をした気持ちになる人」というのがいる。


他の人に 自分が損害を被ったとか、そういうのならわかるけれど、


自分には 起きなかった幸運、それがいかにささやかな事であっても、


「あのひとだけ ずるい」とか 「皆OOしてたのに誘ってもらえなかった!」と


あれこれ 感情を 乱す人が けっこういる。



自分にいい事があった時のことは 記憶から飛んでいくらしく、


人のことをひたすら うらやましがる人の気持ちが


どうしてもわからないのだが、これは 私が 発達凸凹だからなのか?と


思ってみたが そうではないような気がする。



人をうらやましがったり ねたんだりする間に


自分にも 運がむいてくるような 努力をしたほうがいいような


気がするが、そういう努力でさえ


「あなたにも幸運が訪れる!」式の 自己啓発本だったり、


「可能性を高めるセミナー」だったりするのが 不思議である。


自分の事すら 把握できてないひとが 多いのか?と思う。



占いで 「運が悪い」と言われただけで どーんと落ち込む人がいるが、


それも 私には理解できない。



運は自分で作るもの、だと思っているので、


占いや 何とかセミナーや カウンセリング無料体験とかで


結果を聞いても さほど気にならないし そのうち忘れる。



昔は 顔にコンプレックスがあったが、


それが 自分の中から来たものではなくて、


様々な人に 「不細工」「可愛くない」と何度も言われて


それを 鵜呑みにしていたからだと 気付いてからは、


「美しい顔」でなくとも、「不快感を与えない顔」をめざせばいいと


思えた。その後 また 考えが変わり、「自分らしい顔」であれば


それでいいと 思うようになった。


人が 自分より多くの物を得ているように感じたら、


自分も 何か得られる方法はないか、と考えて動いてみればいいと思う。


「犬も歩けば棒に当たる」である。棒きれか、と捨ててしまわずに


何かに使えないかを考えていくと、


わらしべ長者ではないが、何かしらの 発展があると思う。












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