多病息災発達障害者こよりの日常

両手で数えきれない障害と持病を抱えつつ毎日元気に活動中。発達障害の息子たちの子育ても終え、悠々自適の毎日です。

アートセラピー講座に参加しました

2017-05-31 11:41:32 | 日記
先日 気まぐれで アートセラピー講座に参加しました。


会場が こじんまりとしていて、


座席は 一杯。


皆さん お行儀よく 座っていましたが、


私は どの席に座っても ホワイトボードに かかれた文字が見にくい。


首の 骨に 不都合があるので、横から眺めることになるので


ちょっと これは 無理だなーと


離れた席に 座っていました。


すると スタッフさんが「こっちに座ってください」と


おっしゃるので、 理由を言ったら


「じゃあここで」と 特別に 椅子を動かしてくれました。


そのあと 説明があり、画用紙が 配られ、


「これから ひとつずつ 言いますから、言われたものを 好きなように


紙に描いていってください」とのこと。


最初に 「川」を描き、「山」を描き、という風に


指示があり、


「描きたくないものは 描かなくていいですよ」とのこと。


私は 好きなものだけ 好きなように描きました。


その後、「描いたものに 色づけしてください」と


画材が 配られましたが、私が 欲しい色がナイ。


嫌な色を わざわざ塗りたくないので、


そのまま放置。


皆さん 熱心に 色塗りし 頑張っていましたが


私は その間 スマホいじったり 頭の中で 空想したりしてました。


出来上がったあと、


「これこれを こう描いた方は こうした傾向があり・・・」と


解説が ありましたが、私は どれにも当てはまらない。



いくつか質問してみて、


わかったことは 


「理想が高すぎる」


「抱えている困難が多くてしかも 越えるのが大変な状況である」


「その理想を 必ずつかむという決意が強い」


「ルールや 約束は守るけれど、納得できない事には 従えない」


なるほど。そのまんまですな。


「色が付けられない人は 意欲や体力がない人が多いですねえ」と


言ってましたが、私は もっと別の色が 欲しかった、という


他の人なら 思いもしない理由からでしたので、だまってました。



だって 今の自分より もっと 上の事に挑戦したいし、


困難があったって 越える道は きっとあるはずだし。


皆さん 講師の先生のいう事に 素直に従ってましたが、


私は したい事だけして 帰ってきました。


他の方は 素直でしたねえ。


絵も ちゃんと 言われたものを 書いてたし。


私は 断崖絶壁に流れる 大岩だらけの


大荒れの川(というより滝に近いかも)と


険しく細い山道を描いたので、


講師の先生が言う 田んぼや 花や 人間などは


もう描くスペースがなかったですね。


そんなとこに 田んぼも作れないし 花も植える人ないし


人間も 小さくて 麓からは 見えないだろうし。


動物も みなさん 猫やら ウサギやら 描いてたようで、


その動物の 大きさで 何かの 意味があるそうですが


私は 大きいとも 小さいとも 言えない動物、


猛禽類、鷹が 空高くから獲物を狙っているところを描きました。


「自分の絵を見てどう感じますか」と言われましたが


その場の誰とも似ていない、


私しか 描けない絵だなあ、と思い、


この 枠にはまらないのが 私の性質だなあ、と


改めて感じて その場を後にしたのでした。


皆さん 絵を見て 「知らない自分の内面」が わかったという方も


いたようですが、私は特に新しい発見もなく、


休憩時間に出た お菓子と お茶が おいしかったのと、


知り合いの人に会えて おしゃべりできたのが 収穫でした。


アートセラピーでても 別に 得るものはなかったですが、


人が 集まるという事は 需要があるんだなあ、と思いました。 










増補新版 はじめてのアートセラピー: 自分を知りたいあなたへ
吉田 エリ
河出書房新社

本を読まないと死んでしまうかも

2017-05-28 16:36:31 | 
私は 物心着いた時には すでに 文字を知り、本を読んでいた。


記憶がないが、新聞を読んでいた父に 近づき、


「これは パの字」と 誰も教えていないのに、


自分から そう告げたそうだ。


父は 田舎から 体一つで 集団就職し、定時制の高校に


通おうとしたが、昼間 働いて 夜学校へ、というのが


続かず、中退した経験があるので、私たち子どもには


教育を 受けさせたいと 思っていたそうだ。


私が 自分で文字を 覚えたのは、頭かいいのではなく、


今でいう ハイパーレクシアだったのかもと いう気がするが、


父は 「頭のいい子だ」と 喜んで、私に 本を買ってくれたので、


私は 読書三昧の毎日を 過ごしていた。


母は 私が 本を読むことを 否定はしなかったが、


成長につれて


「友達と 遊ぶこともしないで 本を読む」ことや


「勉強そっちのけで 好きな本を読む」ことが


気にいらないらしく、そのうち


「本ばかり 読まないで 勉強しなさい」と言うようになった。


学校の 勉強は 教科書に 書いてあることを わざわざ 先生が


板書して 説明するだけなので 退屈この上ない。


私は 得意科目と 不得意科目とのできの差が


大きかったので、その度 先生や 親から「怠けないでちゃんとやりなさい」と


叱られたが、文字で書かれたことは理解できても、


数字や 図形が わからないのだから 仕方がない。


しかし 自分では説明できないし、仮に説明できたところで


信用してもらえなかっただろう。


そんなわけで 学校時代は 先生や親に 叱られる 問題児だったが、


社会に出たら 仕事の 能率がすべてなので、


大学卒の先輩に交じって 同じ仕事をした。


同じ仕事でも 私のほうが 能率が 上がる仕事もあったので、


待遇も 良くしてもらったし、何より仕事のできばえを


認めてもらえたのが うれしかった。


学校の 勉強は 優秀というより 出来不出来の差が 大きかったが、



仕事は 苦も無く こなせたので、「働くって楽しいなあ」と


思ったし、学校で いくら問題視されていても 社会では


違う 見方をしてくれるんだなあ、と思った。


私の その力を 作ってくれたのは、



学校で得た知識も 多少影響しているかもしれないが、



幼児期からの 多種多様に渡る 読書経験が


大きく影響しているのではないかと 今思う。


父は 私が選んだ本は 「O歳向け」とかいうくくりに


こだわらす 買ってくれたし、私が 父の書棚から


本を取り出して読んでいても 黙認してくれた。


その時 興味を持った本を 読めたことが、


私の 人生の 土台を作ってくれたように思う。


人間脳の根っこを育てる 進化の過程をたどる発達の近道
クリエーター情報なし
花風社

人の不安を取り込む人

2017-05-26 10:20:52 | 日記
どういう集団でも ある事だが、


だれかが「OOが心配で心配で」と言い出すと、



「わたしも」「わたしも」と声が あがり、


その場が「心配する人の集まり」に変化してしまうことがある。


話題に上がるのは 様々な事だが、


私は 別に 人の心配を 聞いても


同調しないし そもそもできないし、


黙って その場にいるか


意見を求められたら


思った通り答えるしかないので、


周囲の人が「は?」と言う顔になる。


雰囲気を 壊してしまっては いけないのかもしれないが、



私は 持病があり、発作を起こす病気も持ってるので、


帰宅途中にどこかで 発作を起こして そのまま絶命、という可能性も


ありうる。


しかし 心配しても 発作が起きるかどうかは 


医師にだって 予測不可能なので、


素人の私が 心配しても 仕方ない。


緑内障も 進行すれば失明の可能性もあるが、


それを 今心配したって 治るわけではない。


生活上の 困難もいろいろあるけれど、


自分が 悩んでもどうしようもない事は


悩まない。


自分で 何とかできそうなことは 努力して


切り抜けて、また何か起きたらその時考えるだけである。


「やっとOOが解決したのに なんでまたこんなことが起きるの!?」と


感じながら 生きている人も多いようだが、


毎日 同じように 平穏であるとは 限らないので、


何か起きるのが 自然だと思っている。


昨日は 息子の誕生日だったのだが、夕食は


主役の息子自ら 台所に立ち、



私は デザートを 買っただけである。


息子は 贅沢はしないので、何年も同じカバンを使い、


それが 傷んできたので、私の買える値段の物で、


息子が使えそうなものを 見つくろって買ってきた。


あとは 靴下2足。


「気にいるかわからないけど、良かったら使ってね」と


渡したら「ありがとう」と 受け取ってくれ、


今朝は 新しいカバンで出勤していった。


元気に働く 家族を見送る事ができ、 幸せである。


周囲では「親の介護」や「自分の老後」を心配する方が多いようであるが、


親の寿命や 健康状態は こちらがいくら心配しても


変える事はできないので、その時がきたら 自分ができる範囲で


対処するのが一番ではないかなあと思う。


できない事は 人の助けを借り、


知恵を 絞り、乗り越えていくしかないと思う。


わが家では 老後の心配より まずは 今月の各種支払、


その日暮らしであるから そんな先の事を考えている暇がない。


世間の人は 色々考えて 大変なんだなあ、と 感じたのであった。







これでバッチリ!老後の不安がなくなる本
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プレジデント社

発達障害の人ってこうなんでしょ?という先入観

2017-05-25 09:43:48 | 発達凸凹
発達凸凹の 息子たちを 育てる間に、いろんな人に会った。


子ども達の「一見 不思議な行動」にも 本人なりの理由がある。


それを 本人では うまく伝えられないので、私が 行動の理由を


周囲に伝え、相談をしながら 子どもたちに「過剰な配慮」をすることで


特定の人に 負担が かかったりすることのないよう 対策を考えていただいた。


「そんな事はできません」と言われれば そこで 私と子どもとで できる


方法を 考えたし、「じゃあこうしてみましょうか」と 言われて


助かった事もある。


保育士さんも 学校の先生も 個性があるし、能力も違えば


考え方も違う。


よく「先生の当たりはずれ」という言葉を 聞くが、


先生だって 「扱いやすい子」がいいと思う人もいるし


口には出さないけれど「手のかかる子は 迷惑だ」と思う人もいるだろう。



自閉っ子が「自閉症」の診断を受けて、周囲に 知らせた時、


「ああ やっぱり」と言う人もいたし、


「すごい しつけのされてないお子さんだとばかり思ってました」と言う人もいた。


なかには 「自閉症=天才説」を 信じている人もいて


「こういう子って 漢字とか 英語とか すごく覚えるんですよね!!!」と


目をキラキラさせた人がいて、心の中で「いや、そういう事はないんですが」とは


言えない雰囲気だったので その時は 黙っていた。


色んな人に お世話になってきたが、兄ちゃんも 自閉っ子も マイペースなので、


先生の思う通りには なかなか ならない(笑)ので


先生方は 苦労なされたようである。


身辺自立や ルールを守る事は 身について いたが、


集団行動が苦手というか、


「皆さん」の中に 自分が 含まれているのかが わからず立ち尽くしたり、


「並んでください」と言われ 目印もないのに どこに並んだらいいのかが


わからなかったりした。



その都度 先生から お話があるのだが、「ここにつまずいて 動けなかったのだと思います」と


私が話しても、理解できない先生も多かった。そこであれこれ 説明はせずに、



「また 同じ事があるようでしたら、1年1組の人とOO組(支援級)の人は 何々先生の前に並んでくださいと


声を掛けてみてもらえますか?多分反応が違うと思います」と その都度伝え、


先生が 自閉っ子の様子を見て 実感するようになってからは、


先生の方から 「行事でOOがあるんですが、これで大丈夫でしょうか?」など


事前に聞いてくださる事もでてきた。


自閉っ子にも 「わからなかったら OOくんや 何々先生に 聞いてごらん」と


対処法を教え、そのうちに 配慮をしていただくことも 減っていった。


よくTVで 障害を持ちながら 絵画や 切り絵などに 才能を 発揮し、


個展を開いたりする方の 番組が あったりする。


私にとっては その人が 自閉症であれ、うちの自閉っ子とは


個性も 素質も違う人だから、「作品を売って お金を稼いでいる人」でしかない。



しかし 世間では「自閉症=才能のある人」みたいな風潮があるので、


「自閉君も 絵を描かせたらどうですか」と言われたことがある。


自閉っ子は 絵が大嫌いで、黒1色で


輪郭だけの絵を描く。それも 好きで描くのではなく


園や 学校で「作品展示」のために 描くのであるから、


やる気ゼロである。


しぶしぶ 画用紙に 黒い丸を3つ描いた。


先生は 「自閉君、これ何?」と聞いたそうで、


自閉っ子にしたら 描いた時点でノルマは果たしたのに、


また説明をさせられるので おおむくれである。


しかし 他のお子さんの絵に


名前と 絵の題名(自分の顔 とか チューリップとか)を付けるので、


自閉っ子の絵だけ 説明なしではいけない(らしい)


自閉っ子は しぶしぶ


「おいもと たまごと おにぎり」と答えた。


3つとも自閉っ子の 好物である。


いろんな絵があっていいと思うし、


自閉っ子のように


(周囲が期待するような)絵が描けない子もいるのだが、


先生としては「皆の絵を 展示したい」し、一人だけ 飾らないのは差別だと


思っているのかもしれない。


兄ちゃんは絵が好きで 得意で、木を一本描くのにも、


茶色で塗りつぶしたりはしない子だった。


木の幹は 茶色ではないし、葉も 緑と言っても 日光に当たる所と


そうでない所は色が違う。


その違いを表現したいのに、学校指定の 道具には


欲しい色がなくて、本人としては 不完全な作品を


「うまく描けてるね」と 言われて こっちの子も 不満で一杯だった。


家で 話を聞いてやり、「先生や友達に 自分と同じ感覚を求めないように」と


言うような 話をした記憶がある。


だからと言って 兄ちゃんを絵画教室に入れようなんてことは


夢にも思わなかった。


本人が 行きたいとも 言わなかったし、そこへ行けば多分


絵の基礎を 教えられるだろうから、そこでまたストレスがたまるだろう。


好きな時に好きな絵を描けばいいだけの話である。


ある時 学校で、木の板を 熱い金属の針で ひっかいて


絵を描く、という授業があった。


線の太さや細さ、針を当てる時間で 木が焦げて 色の濃淡がでる。


兄ちゃん大喜びで 猫の姿を 描き、額ももらえたので


それを意気揚々と 持ち帰って ご満悦であった。


まだ 家の 壁に飾ってあるが、描きたいものを 好きに描けて


楽しんできたので 私としては それでよかったと思うだけで、


それを 仕事にしたらとか そういうことは 思わなかった。


仕事を するのは 本人なので、したい仕事も 本人が選べばいいと思っている。


「OOが得意だからそれを仕事に活かしたら」とよく聞くが


好きな事でも 毎日 注文受けて こなしていくのは また別の


能力がいる。


今 自閉っ子も兄ちゃんも 自分で選んだ職業に就いて



毎日 働きに行っているので、「才能を活かす道に」だの


「好きな事を仕事に」だの 言わず、本人に任せて よかったと思う。










支援者なくとも、自閉っ子は育つ 親子でラクになる34のヒント
クリエーター情報なし
花風社

人がうらやましい病

2017-05-25 08:26:09 | 人間関係
糖尿病のコントロールが うまくいき、薬無くとも


血糖値が正常で、体脂肪や内臓脂肪その他も正常域になったので、


経過観察のみになり、



食事制限も緩和され、「好きなものを好きなように食べてください」と言われた。



好きなように、といわれたので、今まで控えていた間食も


食べたいと思った時には 食べることができる。



先日整形外科で 血液検査をしたが、CRPも正常値で、


こちらも 調子がいい。



眼科では 眼圧も正常で、なぜか視力が 過去最高であった。


強度の近視で、眼鏡を使っても 0.7程度で、


免許の更新時の 視力検査では 毎回はらはらであった。


それは まだ持病がない時代からのことだが、


今回の検査で 1・5という 視力が出て びっくりした。


体は つながっているので、一つ何か良くなれば


芋づる式に あちこち よくなるのだなあ、と実感。


そういう内面の事は 黙っていれば わからないが、


40パーセントを越えていた 体脂肪や 



お腹周りの 内臓脂肪が 正常域になったので、


体型が変わり、体重も もちろん落ちた。


周囲に「やせたね」と言われ、その後かならず


「何をやったの?」と聞かれる。


正直に 話しても 納得する人は 少ない。


「エステ行ったの?」だの「サプリメント何飲んでるの」など


あれこれ言われる。



その話を ある人にしたら、



「馬鹿正直に話すことないのよ。皆 ダイエットは一通りやってるんだから、


あんたが 知ってる以上に 詳しいし、食事にも気を付けてるし。



なのに あんただけ やせたから、(うらやましい)のが本音なの。


正直に話すだけ 自慢に取られるから、(わからない)とか 


(薬をたくさん飲んでるから 副作用かもしれない)とか言っておきなさいよ」


と 言われ、


私が 何をしてやせたかを 聞きたいんじゃなくて、「うらやましい」人が 多いのか!と


初めて 気がついた。


はー。わからなかったよ。


私は 人が 何してても 「うらやましい」とは 思わないものなあ。


あ、稀勢の里切手が 今朝 郵便局のネット通販で 始まったのだけど、


早起きして アクセスしたが もう売り切れでした。


この点は 買えた人が うらやましいですが、


まあ 数に限りがあるものだし、今回縁がなかったのだから


そのうらやましさも もうすでに やや薄くなってきています。


稀勢の里は 素晴らしい横綱ですが、毎日そばに置いとけないし


観賞用の方ですが、


わたしには 毎日会える 私専用の「夫」という 存在があるので、


夫の 写真取って 郵便局で 夫の切手オーダーしようかと


思いましたが 夫が 嫌がるかも知れないし、



「そんな金があるなら 俺によこせ」とか いいそうなので、


保留。


しかし「人が うらやましい」という 感覚は わからないですねえ。


これは 発達凸凹の故なのか、私の性格から来るものなのかは 


わかりませんが、屋根は 雨漏り、床には穴、畳は べこべこの 古い家で、


家族以外の人には 歩けない(笑)我が家ですが、


「埴生の宿も我が宿」という気持ちですので 毎日幸せです。


今日は 長男の誕生日。お祝いをしたくとも


給料日は 月末。


ですが 食卓に ささやかな 物をそろえて、気持ちだけは盛大に、


お祝いをするつもりです。


今朝 夫に「今日は何の日?」と聞いたら


「知らん」というので、「兄ちゃんの誕生日だよ~」と言ったら


「へ?」と言ってました。


私の誕生日も 最近覚えたばかりですから、


息子の誕生日も 覚えるのに 時間が かかるのかもしれません。


まあ 凸凹のある同士、いろいろ困難はあるものの、 


楽しく 暮らしています。


 




なんであの人ばっかり! どうせ自分なんて・・・ 「うらやましい」と思ったとき読む本
心屋 仁之助
あさ出版