多病息災発達障害者こよりの日常

両手で数えきれない障害と持病を抱えつつ毎日元気に活動中。発達障害の息子たちの子育ても終え、悠々自適の毎日です。

マニュアルの良い面と悪い面

2018-05-07 20:37:25 | 学習
一人で 多数の人に 何かを教えなければならない時、


マニュアル(あるいはテキストなど)は 役に立つだろうが、


すべての 人に合うわけではないし、不足な面を


補うには、マニュアルだけでは 足らない。


文字や図で書かれたものには 限界がある。


画像、映像でも 同じだと思う。


情報として 役には立つが、その情報が


その人の「腑に落ちる」までには、


他の人の様子を観察したり、疑問に思う事を


具体化して 自分でマニュアルとは違う方法を試したり、


そういう事が必要だと思う。


数や大きさや面積の理解をするには、


教科書や ドリルや タブレットだけでは


足りない何かがあると思うし、他の学習でも同じだと思う。


生活しかり、仕事しかり。


私は 料理を 本や レシピを見て作ったことがない。


結婚前には 料理をすることは ほとんどなかったので、


結婚して 初めて 三度のご飯を作る事になり、面食らったが、


以前食べたものの味を思い出し、「あれは カツオだしとみりんじゃないか?」


「味噌汁は 煮干しだったけど、夫は煮干しでも大丈夫かな」と


試行錯誤しながら 覚えていった。


夫の母や 祖母とも料理をしながら、


「あ、この野菜は こう切るんだ」など、見た事を


自分で やってみて、失敗を重ねながら


少しずつ 自分で 一家全体の 献立が立てられるようになった。


見よう見まね、が功を奏する事もあるし、マニュアルは万能ではない。


料理くらいなら まだいいが、育児や 介護など、


マニュアルだけでは 表せない「その人独自の個性を尊重する事」や


「目の前の人の快・不快を 察知してあげる事」が 大事な場面が


家庭や 社会では あると思う。


私は 学歴もなく、資格もなく、何も誇れるものはないけれど、


「目の前の事態に 考えるより先に 体が動く」というその一点で、


これまで起きた困難を乗り越えてきた。


あれがいいか、それともこれがいいか、と悩んだ事はあまりない。


身体能力は 平均以下だけれど、本能とカンで 動いているので、


悩む、という能力が欠落していると思う。


とりあえず 今が よければいいのである。


忙しかろうが、睡眠を取る時間がなかろうが、


たとえ 数分でも時間があれば、楽しみを見つけて満足する。


そこで 用ができて 中断しても、次の場面に気持ちと体が動くので、


あまり イライラしないで済む。


逆に 子育てが終わり、介護が終わり、病気で仕事よりも通院が優先の


日常になってからの方が、楽だけれど 余計な事を考える事がある。


便利で 楽な 日常と引き換えに、失うものもあるのだなあと感じた。


忙しくて めまぐるしい毎日を 送っていた時は、ほんの少しの休息が


嬉しかった。今は いつでも休めるし、好きな事の時間も取れる。


その事の ありがたさを 忘れずに暮らしていきたいと思う。


私に その環境を 与えてくれ、何もできない「でくの坊」から


進歩する機会を与えてくれた夫に 深く感謝である。


夫が 「お前じゃできないから」と なんでもさっさと 自分でこなす人だったら、


私は 自分の中の資質に気づかず終わっただろう。


夫は意識して そうしたわけではないが、私にとっては


夫との結婚は 良い学びの場であり、充実感や幸せを得る場所にもなった。


こうした縁に恵まれた事を ありがたい、と思う。











  



















感覚過敏は治りますか?
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花風社
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先生は完全ではない

2017-08-08 19:14:20 | 学習
よく「学校の先生の 当たりはずれ」という言葉を


聞くのだけど、その度に何か 嫌な気分になる。


人として 扱うのではなく、品定めしているような気がするからだ。


私も 学生時代には 様々な先生に会い、色んな扱いを受けてきた。


ほとんどの 先生から見て、私は 「いい生徒」ではなく


「問題児」だったから、先生も 扱いに困っただろうし、


親も 先生から 呼び出しを受けて「お宅のお子さんは・・・」と


やられて 頭を抱えていただろうと思う。


そんな中でも、私は 学校で 様々な学びをしたし、


自分が 他の子どもとは違う、という事や


「人と違う」という事は 差別や いじめを 生みやすい、という事も


学んだ。


私にとって 学校は楽しい所ではなく、先生や クラスメイトとの


関わりは 時に苦行に近かったけれど、


「学校を卒業したら ここから抜け出せる」というのは


希望だったし、実際に 社会に出て


自分が できるスキルで 仕事をしてみたら、


オールマイティでなくとも その職場の 今与えられた仕事で


合格点をだせば 学歴がなくとも、体が小さくても、そんなことは


関係なしに 認めてもらえた。


学校では 習っていないが、私にとっては 常識であった事が多数あり、


高学歴の 同僚が あたふたする中、それを引き受けてこなす事で、


私の 評価が 上がった事も驚きだった。


世の中には 色んな人がいて、得意不得意があり、


私にとっては 常識であっても、それを知らない人もいる、という事を知った。


子どもたちが 出会った先生も それぞれ個性豊かで、


持つ能力もそれぞれ違った。


子どもたちも 私も、そうした出会いから 学ぶことは多かったし、


学校で 何の苦労もなく ただ 楽しい学生時代を過ごす事もいいけれど、


たとえ そうでなくとも、その環境から 学ぶことはできると思った。


自閉っ子の担任になって、


「自閉症の子なんて みた事ないです!」と


言ってこられた先生もいらした。先生の時間が許せば、


送迎の時に 自閉っ子の行動の理由や 通じやすい言葉や


サインを お伝えしたし、連絡帳に 「こういう場合は こうしてみてください」と


書いたり、「先生を困らせたりしたときは いつでも 連絡をください」と


お伝えした。


小学校入学時には、まだ ひ弱だった自閉っ子も、


年々たくましくなり、先生方の手を煩わせることも減っていった。


社会に出たら、もっと たくさんの人の中で 過ごすのだから、


「一年で 担任の先生が変わった」だの「今年の先生は 理解がない」だの


言っていられない。


私は 毎年 自閉っ子の 特徴と、「これをしていたら 絶対に止めて欲しい事」を


書いて 学校の許可を得て 担任ではない先生方や 学校の全職員さんに


配布していただいた。


最初は 先生の許可のない水遊びをした時や、


学校に飾ってあるトロフィーその他の入った ガラスケースに近づいた時。


学校ではいつでも水遊びができる、と いうマイルールが出来たら困る。


弱視の自閉っ子は キラキラしたものに近づきたがるが、


ガラスケースが ある事に 気付かず 激突してしまう可能性もあった。


最初は そうした事を 知ってもらい、


その後は 「おかげさまで 昨年より こんな風になりました」という


報告や 皆さんへの お礼という形になった。


自分とは 違う人と 時間を過ごす事、


自分に 譲ってはくれない人もいる事などを


学校で 学べたことは、その後の 生活や 仕事で


大きく役に立ったと思う。








灯し続けることば
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自閉っ子、昭和歌謡を歌う

2017-08-04 11:36:30 | 学習
先日 「お父さん」に付き合い、TVで 昭和歌謡を 堪能した自閉っ子。


メロディーはわかるけど、歌詞の意味が よくわからない。


昨日は キャンディーズの「暑中お見舞い申し上げます」についての


疑問を 説明した。


「暑中お見舞いって何?」


「昔は 携帯も パソコンもないのよ。」


「えええ?」


「サザエさんのアニメで 黒い電話出てくるでしょ?」


「うん。あれ 昭和の電話でしょ。」


「家の 電話しかないし、昔は 自分が相手に会いにいかないで、


電話で 用事を 済ませるのは失礼だ、って人もいたのよ」


「????」


「ラインで 元気ー?とか スタンプ送ったりできないからね、昔は。」


(うなづく)


「だから ハガキでね、暑中お見舞いをしたわけ。


暑いけど お気をつけてお過ごしください、って。」


そこで 自閉っ子、昔 学校で書いた 「暑中見舞い」を 思い出したらしい。


「暑中見舞いと 残暑見舞いって どこが違うの?」と言い出した。


「立秋までは 夏だから、暑中お見舞いにして、立秋になれば


暦の上では秋なのよ。だから 秋なのに まだ暑いですね、って


残暑見舞いを 書いたのよ。」


「ふーん」と 納得し、


おもむろに 「しょっちゅうううう おみない、もうしあげええますうううと


歌いだしたが、やっぱり 慣れない言葉だと 発音に気を取られて


音程が おかしくなる。


「じゃあね、歌いにくい言葉は あああーでもいいし、 おおおーでもいいから、


好きなように 歌ってごらんよ」と言ったら


「しょっちゅうううう お土産、ゲッチュウウウウ― イェイ!」に


なって 元歌は どっかに消えてしまったが、


自閉っ子作詞 「お土産 ゲッチュウ」の方が


音程が しっかりしている。何度歌っても 「お土産 ゲッチュウ」のほうが


耳障りではない。


ほー。知らない言葉って やっぱり言いにくいものねえ。


あ、自閉っ子の 小さい時も そうだったなあ。


造語が たくさんあって、他の人には 何を言ってるのか


不明な言語だったけど、


よく 観察していると、


「あ、あれの事言ってるのかな」と わかる。


知らない言葉、意味のよくわからない言葉より、


自分に 身近な 言葉のほうが 発音しやすいんだろうなあ。



今は 人との会話に 不自由はしていない自閉っ子であるが、


やっぱり まだ 言葉が 伸びていくんだなあと 思った。


スーパーで、「災害時の 備蓄を」と


水やら ラーメンやら いろいろ 並べたコーナーがあった。


夫が 自分の欲しいものを選んでいる間に、


自閉っ子も 自分の好きなものをあれこれ 買ってきた。


カップラーメンの高いのを 数個と、チョコレートなどなど。


帰りの車内で、「これ、非常時用に 貯蓄しとくから」と言う。


「お金は 貯蓄、っていうんだけど、ラーメンに貯蓄とは言わないねえ」と


言ったら「どういうのが 本当なの?」という。


「食料だと備蓄かなあ? でも備蓄ってからには ある程度の 量がないと


ちょっと 変かもねえ。今の買い物だと 買い置き、とか保存用、とかなら


違和感ないかもね。」


「そうかあ」と いうわけで 最近は 日本語の勉強に熱心な


自閉っ子である。


昨日も おかしなことをいってたので、


長男が「アナタ ニホンキテ ナンネン?」と からかっていた。


自閉っ子は 律儀なので、「えーと。21年と 何日っていうんだろう?」と


カレンダーめくって 数えている。


兄ちゃん 大声で 笑いたいのを こらえて 「クククク」である。


最近の 歌は 当て字が多いので、「空」とかいて みらい、と歌ったりする。


自閉っ子は 当て字と 本来の読みの区別がつかないので、


「陽炎」を かげろう、と 歌う場面で 「これも当て字?」と


聞いてきた。


「これは かげろう、と読むのよ。辞書に書いてあるから


確かめてごらん」と言っておいた。



最近は 友達と 遠出するので、駅名や 地名等に


興味を持ったらしい。


地名は難読なので、私では 答えられないものも 多そうである。



来日して 21年と数か月である「自閉っ子」、まだまだ


日本語学習は 続きそうである。

 





 





自閉っ子の心身をラクにしよう!
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花風社
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蔵書の数と 子どもの読解力

2017-06-06 17:44:30 | 学習
ネットの 記事で、


「家にある本の数と 子どもの読解力には 相関関係がある」というようなのを


目にした。


その根拠がどこにあるのかは 私にはわからないが、


本の数よりも、「家族の誰かが 読書する姿」を


見る事が 自然な状態で 育つ子と、


本は 勉強のために読むもの、と 感じながら育つ子とは


読解力というか 知識欲に差が出るような気がする。


私の 両親は 学歴はなかったが、家には 書棚があり、


私が 文字を 覚え始めた頃から 経済的に豊かでなくとも


本は 買ってもらっていたから、好きな時に 本が読めた環境を


作ってもらえたことは 私や きょうだいにとっては


良かったと思う。


「本は 高いし 場所を取るから」と


図書館を利用する人も いると思うが、


気にいった本だけは 手元に 揃えておいて


いつでも 読めるようにしてあげてほしいと思う。


私の子どもたちも 私が 家事や 育児や介護の合間に


読書する姿を見ていたと思うし、


TVや 映像とは 違う 活字や文章から


得られる知識や 楽しさを 味わいながら育ったことは


何らかの力に なっているように思う。



TVやアニメが 悪いとは 言わない。うちの子どもたちも


TVアニメや ビデオはよく見ていた。


しかし 口語体や 単語での 会話しか 知らないままで


書かれた文(特に長文)の意味を読み取ることや、


場によって、あるいは 相手によって 話す言葉を


使い分けることは 難しいのではないかと思う。


「勉強が苦手」というお子さんに 会ったことがあるが、


数も数えられるし 計算も早い。


話し言葉で 尋ねると、問題の正解を 答えられる。


だが、問題文を 読み上げて 「答えわかる?」と 聞くと


「わからない」という。


問題文の 「OOさんは こうえんに いきました」の


いきました、が 何を意味するのか わかっていない。


なので、続く 文章の 「そこに おともだちが ふたりきました」を


読んでも、情景というか 場面が浮かんでこないのだ。


「ああ、OOさんが 最初に来て、その次に 友達が 二人来たのだから


今 公園に 3人いるんだな」という事も 当然わからない。


それでは 計算が いくらうまくても、式が立てられないから


答えは 出せない。


多分 普段の 会話も


長い会話ではなく


「買い物行くよ」「お菓子かっておいで」みたいな


感じが多いのではないかなあ、と思った。



やたら難しい言葉を使う必要は ないけれど、


理解できる言葉が多い方が 便利だし、


長い会話のやりとりや 聞き取り、


書かれた情報を 読み取る力は つけておいた方が


役に立つと思う。


自閉っ子は 知的には ハンディがあるけれど、


新聞に載っているくらいの 文字は 読むし、


家族以外の人とも 場に会った会話ができる。


緊急放送なども 理解できるので、


何かあった時は メールで


「電車の事故で 今OO駅で 止まってる」と


連絡をしてくる。


地名もかなり 覚えたし、日常で困る事は


ほとんどない。


役所や会社の 書類などには 困る事もあるようだが、


「どうしたらいいんですか?」「もう一回言ってください」などが


言えるので、何とか やっていけている。



最初は 「書類のまちがい」が 怖かったようだが、


「間違えたら そこに 判子を 押して そばに書き直せばいいのよ。


それは(訂正印)といって、ちゃんとした やり方だから、書き直しても


受け付けてくれるから、大丈夫」と 教えたら 安心したようだ。


塾にも 公文にも 通ったことはないが、


日常で 必要になりそうな文字や、本人が 「あれ何?」と


聞いてきた文字や記号は、その場で 答えてやった。


疑問に思った時に すかさず教えてやると、


知的障害や 発達障害であっても すぐ覚える、というのが


私が 子育て中に 感じたことである。


その時学校で習っていない事や 勉強に関係なさそうな事でも、


本人が 興味を持った事は とにかくわかる範囲で答え、


私では 無理な事は 「先生に 聞いてみようね」と いい、


連絡帳に 「OOに関心がありますので、教えていただけると助かります」と


先生に お知らせしておいた。


「そんなことは いいから こっちを 覚えて!」と


やっていたら、どちらの子も 意欲を失っていたかもしれない、と


振り返って今思う。


わからない事を 知る、知識を得る、という事は


本来楽しい事のはずだと思うから。





















子どもの学力は「読解力」で決まる! 小学生のうちに親がゼッタイしておきたいこと
齋藤 孝
朝日新聞出版
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