多病息災発達障害者こよりの日常

両手で数えきれない障害と持病を抱えつつ毎日元気に活動中。発達障害の息子たちの子育ても終え、悠々自適の毎日です。

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残ったお餅の利用法

2020-01-08 06:38:33 | 日記
ネットを見ていたら「残ったお餅の利用法」というのが出てきた。


わが家ではお餅が残ることはないので、世間では


お餅に飽きて何とか消費する方法はないかと悩むおうちもあるようだ。


昨年末にわが家に経済的大打撃があり、年末年始の食事も


緊縮財政のあおりを受けた(大げさ)ため、


お餅もあまりたくさん(あくまで当社比)買えなかった。


元日にお雑煮で大量消費し、磯辺焼きやらあんころ餅などを


食べていたら、3が日持たなかった。


消費に困るほどのお餅に囲まれてみたいものであるが、


大喰らいの男3人が居ては無理である。皆米好き、お餅好き。


毎日同じものを食べていたら飽きる、という人は多い。


わが家ではたまに同じものが延々続くことがあるが、


家族の誰からも苦情は出ない。


食事のメニューに文句をつけるよりも、


自分の分の確保の方が優先事項だからだ。


男3人、皆肉体労働者。


空腹に勝る調味料なし、というのと、


先祖代々「ばっかり食」経験者というのも大きいと思う。


農村に住んでいると、旬の物を毎日食べ続けることになる。


夏野菜の季節はナスやキュウリが毎日並ぶ。


冬は大根と白菜のオンパレードである。


「同じ物を食べ続けても飽きない」という遺伝子は便利だなあと思う。


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おせち料理

2020-01-03 16:01:16 | 日記
わが家では年越しとお正月は大きな行事なので、


おせち料理は品数や量の増減はあっても必ず作る。


昔家族が今より多かった時は、たくさんの量を作った。


今はおせちを作らないおうちもあるし、おせち自体食べない人もいるそうだ。


ただの料理と考えれば、好みも別れるだろうし、


作る時間や手間を考えたら割に合わないと思う人もいるだろう。


わが家には神棚があり、年越しとともに年神様氏神様を迎えるというしきたりになっている。


神様へのお供えものは「海の物山の物」を揃える事になっている。


神様にお供えするための料理でもあるので、今後もおせちを作り続けると思う。


また新年に一つ年を取るという数え年の習慣から、


正月=年取りの祝いというので、家族全員、来客の祝いでもあり、


様々な面でめでたい時である。


正月には新しい衣類に着替え、かまど神にお休みいただくという事で


正月にはできるだけ煮炊きをしないという習わしもあり、


数日分の料理を作っておく必要があった。


大掃除は神様をお迎えするための清めの儀式でもあり、


正月早々掃除をする事は神様を掃き出すことになるといわれた。


神棚も無く、そのおうちで守りたい決まり事でないのなら、


おせちを作ったり大掃除に躍起になったりしなくてもいいのではと思う。


夫の祖父母や両親を見送り、今は私達夫婦と息子達だけになった。


夫は神棚や仏壇を拝むけれど、細かい事にこだわらない。


私が嫁いで以来守ってきた事のいくつかは、もう過去の事になった。


元旦にはお風呂を沸かしてはいけない、洗濯もしてはいけないと言われたが、


息子達が働くようになってからは元旦からフル活動である。


神様やご先祖には「理由があってしている事なので、お許しください」と


お伝えしている。理由があって続いてきた事なので、理由があって廃れる事も


また自然かなと思う。








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娘さんがいなくてカワイソウ教の人たち

2019-12-11 04:36:08 | 日記
わが家は夫・息子二人・私の4人家族である。


昔は 夫の母や祖母がいたので、男女比に偏りはなかったが、


現在は女性は私一人である。


外で働くのは男性陣で、家事は私が一手に引き受けて・・・はおらず、


外で働き帰宅しては家事に精出す我が家の男性陣。


非常に不公平なのだが、我が家ではこれが平常である。


私が通院その他で遅い時や、宿泊で家を空ける時も、


自分が留守の間の家事を心配する事はない。


むしろ 私がいない時のほうが、男性陣は快適らしい。


男三人で、楽しく過ごしているらしい。


家事能力は性別よりも本人の適性と経験だと思っている。


料理は私よりも長男がうまいし、掃除や片づけの能力は夫の方が上である。


男手女手、と言う言葉も死語に近くなってきたなあ、と私は思うのだが、


「お宅は娘さんがいなくてカワイソウねえ」と言われる事がある。


何の事だか最初はわからなかった。


そのまま聞いていると、いかに息子というものが当てにならないか、


それに比べて娘は素晴らしい、と言う意味のことが延々と続く。


そうした思想を持つ人は少なくなく、


「娘さんがいなくてカワイソウ」教はけっこう普及しているようだ。


熱心に話してくださるが、私は娘を持ったことがないので、


娘のいる生活というものをしたことがない。


比較できないので、黙って聞くだけである。


皆さん口を揃えて、


「男の子なんて、結婚したらお嫁さんのいいなりなんだから」とおっしゃる。


結婚して新しい家庭を持ったら、夫婦でやっていくのが当たり前では、と


思ったが、まあ人それぞれということで。


ご自分の息子がお嫁さんのいう事を聞くのが許せない、と言う方も、


ご自分のご主人には母親の意見よりも妻の自分の意見を尊重してほしいと


お望みのようで、


ご主人には「母親よりも妻の自分」


息子さんには「妻よりも母親の自分」


を尊重してほしいようである。変なの。








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人生相談

2019-12-07 15:29:19 | 日記
ある人から、悩みの相談を受けた。


数年付き合っている恋人がいる。お互い結婚を考え始めた。


いつもはデートを兼ねて外食するのだけど、


恋人が手料理を振る舞うからと言い出し、部屋へ行った。


料理を作ってくれて、二人で夕食。


その料理に入っていた人参の皮がむかれてなかったり、


きのこの石突きが少し入っていたりが気になって、


その人は食べられない部分を残したのだという。


で、後片付けになり、恋人からは料理を残した理由を聞かれた。


その人は正直に理由を話した。


相手の方はむくれて、「もう料理は作らない」といい、


それ以後連絡がないのだという。


「自分はどうしたらいいですか」と聞かれたのだが、


ご本人は 自分に非があるとは思っておらず、人参の皮や


きのこの石突きは「気持ち悪くて食べられない」し、


「食べようとも思わない」そう。


でもその恋人の事は気にいっていて、「結婚はしたい」そうだ。


私が話したのはこんなこと。


料理以外にも、一緒に生活をしていく上で、あなたが


「こんなこと、信じられない!」「受け入れられない!」と思う事が


たくさんでてくると思う。それはどっちが正しいと判断できるものではなくて、


人ぞれぞれ生まれ持った素質や育ってきた環境の中ではぐくまれた物が違う以上、


どんな人とお付き合いをしても避けられない事だと思う。


どこまで受け入れるか、どこに目をつぶるか、という事は


それぞれが判断することなので、私は何をどうするのがいいかはわからない。


結婚生活をするなら、こうした事はいくらでも起きる。


結婚だけでなく、人と人がある程度密に関わるようになれば、


お互いの文化の差から来る衝突は付き物で、


それは正しいか正しくないかではなく、お互い歩み寄って行くしかないと思う。


「人参の皮やきのこの石突きを料理に入れるのは非常識」という考えを、


恋人に強要するのは行きすぎかなと思った。


その後 お二人がどうなったかは、私は知らないけれど、


両方が歩み寄らないと難しいかなあと思った。


ちなみに、料理を振る舞った方が定型発達の男性で、


料理を残したのが発達障害の女性です。私は女性の方と少しお付き合いがありますが、


男性の方とは直接会ったことはありません。


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自閉っ子の修行仲間たち

2019-11-13 06:32:52 | 日記
自閉っ子が小さい頃、今から20年近く前の事になる。


その頃にはコンディショニングも「治る」情報もなかった。


私は子ども達の偏りに気付いてから、自己流でコツコツ修行を続けていた。


不思議なもので、同じようにお子さんたちにかかわっているママさんたちと


知り合い、情報交換をするようになった。


お子さんの障害は様々で、発達障害、知的障害、身体障害、視覚、聴覚、もろもろだった。


先天的な障害もあり、病気や事故で、という後天的に負った障害もあった。


家庭の状況も様々で、経済的な余裕がないおうちもあり、


シングルマザーでとにかく時間が足りない、というおうち、


それぞれお子さんの障害以外にも困難があったけれど、


どのママもそれを言い訳にしなかった。


私達は今の子どもの限界が、その子の将来の限界になるとは思っていなかった。


今できなくても、将来もできないとはみじんも考えていなかった。


今できる最大限の努力を親子でして、それが実る日を夢見ていた。


置かれた状況が違っても、子どもが抱える障害が違っても、


そこには連帯感があった。


医学的な「治りません」「一生OOできません」に惑わされず、


子どもの可能性を信じた。


毎日会う事はできなくても、たまに会った時にお互いの子どもの話をするのは楽しかった。


「Aちゃんね、きざみ食が食べられるようになったんだって!」


「うちの子ねえ、自分でシャンプーができるようになったよ!洗い残しはあるけど、


一つ階段上がった!」


お互いの子どもの自慢をし、他のお子さんの進歩を喜んだ。


「こういう話ができるっていいね!」とあるママさんが言った。


頑張る話ができない雰囲気の場所が、あまりにも多かった。


頑張る事に否定的な親仲間がほとんどだし、いわゆる「正しい療育」以外の


努力は、「トンデモ」だと嫌われた。


あるママさんは、「どうしてそんなに伸びたの?、って聞かれても、本当の事は言わないようにしている。


ウソだ、って言われるし、信じてくれてもとてもそんな事できない、で話が終わるから空しい。」と言った。


その後。


「一生赤ちゃん(並みの発達段階)のままです」を鵜呑みにしなかったママのお子さんは、


身辺自立をし、読み書きを覚え、支援学校を卒業して、就職をした。


「話せるようにはなりません」と言われたお子さんは、


発音に癖はあるけれど、意思疎通ができるようになり、知的なレベルも平均以上になった。


離れた場所に引っ越してしまい、その後どうしているのかわからないお子さんもいるけれど、


きっと元気で過ごしていると思う。


こうした話がいつでもできる場所が、


「治そう!発達障害どっとこむ」と言うサイトである。


障害を治すという思想自体が差別だ、とか、


医学的に根拠のない民間療法を勧めるな、とか


まだ雑音がある世の中だけど、


親子で努力をし、その成果を報告し合い、お互い喜べる場所ができて、


私はうれしい。


是非一度、のぞいてみてください。親御さんも、ご本人も。





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