多病息災発達障害者こよりの日常

両手で数えきれない障害と持病を抱えつつ毎日元気に活動中。発達障害の息子たちの子育ても終え、悠々自適の毎日です。

父のこと

2016-12-03 18:00:56 | 思い出
父が亡くなって、何年たつのか わたしは 覚えていない。


いつでも そばにいてくれる気がするから、亡くなったという実感がまだない。


どこに行くにも 連れてってくれたけど、行き先は


パチンコ屋さんだったり 競馬場だったりした。


私は お菓子や おでんを 一本握らされて、「ここで待ってろよ」と


言われたところでいつまでも父を待っていた。


父は たくさんの お菓子を抱えて上機嫌のこともあったし、


逆に 手ぶらで さびしそうな時もあった。


今 思えば 勝てなかったんだなあ、小遣い使い切って がっかりしていたんだなあとわかる。


その頃は 父が「行くぞ」と言えばどこへでもついていった。


両親の実家は 新潟で、兄弟親戚が集まると 酒盛りが始まるのが 常だった。


私たち子どもは、近くの酒屋さんまで「ビール 箱でください」


「お酒 3升お願いします」と お使いに行ったり


酔った大人たちの前で、踊ったり 歌ったりするのが 役目だった。



私は 人見知りだったので、父のそばにいて


動かずにいた。私の きょうだいや いとこたちは 積極的に座敷の前に出て、歌って踊って


伯父たちや その他の親せきからおひねりをもらっていた。


母や叔母たちは 台所で 忙しくしていた。


父は私がそうしていても 何も言わなかったしつまみの中から 私の好きなものを


分けてくれたりした。


その時に よく目にしたのが 八海山というお酒だ。全国的には


越乃寒梅が 有名らしいが 私が田舎で よく見たのは こっちの八海山である。


懐かしいお酒であるが、私は ドクターストップがかかっているので


もう味わえないが、それを飲んで上機嫌だった 父の顔が 大事な財産である。 









八海山 純米吟醸 (新潟) 1.8L 1本
クリエーター情報なし
八海醸造(清)新潟

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