多病息災発達障害者こよりの日常

両手で数えきれない障害と持病を抱えつつ毎日元気に活動中。発達障害の息子たちの子育ても終え、悠々自適の毎日です。

父の日に思う事

2019-06-16 05:56:06 | 思い出
父の祥月命日が近づく。


亡くなってから20数年が過ぎた。


私の中の父は、まだ60歳のままだ。


私も後数年で、父の年を越す。



父の両親、私から見ると祖父母。どちらも若くして亡くなった。


私にとっての祖父母は、写真の中の人である。


父が 祖母の年を越え、祖父の年をも越した時、


親族一同で 祝いの宴があった。


父のきょうだいの中で、父が一番祖父に似ていたため、


父も 父のきょうだいも、「父が祖父のように 若死にするのでは」と思っていたらしい。


祖父母も、父も、若い姿のまま亡くなった。


白髪頭になる事も、腰が曲がる事も、耳が遠くなる事も、老眼になる事も、


何も経験しないままだった。


私にも数年前から 白髪が生え、「染めたらどう?」と


言われる事が多くなった。


父は祖父に良く似ていて、私は父によく似ている。


白髪頭の自分を鏡の中に見る時、私はそこに 父や祖父の面影を見る。


祖父母も 父も 経験した事の無い事を私が代わりにしているような気がする。


生まれたその日に「助からない」と言われた私が


生きながらえ、長じては結婚し 子どもを産むとは、


誰も 想像していなかった事で、不思議な事だなあと思う。






子どもの頃の事

2019-06-05 20:27:38 | 思い出
私は生まれた時の状態が悪く、


子ども時代には 病院と縁が切れなかった。


病院に行くと 痛い処置をされた。


大抵の子どもは 注射が嫌いだが、


私にとっては 注射はさほど痛くない。


もっと嫌な処置が山ほどあったから、「注射しますね」と言われるとほっとした。


入院もしなくていいし、手術も無い。注射だけで帰れるんだ、と思った。


私は 幼い時に大やけどをした。


母は 私が寝ていると思い、何かに夢中になっていた。


起き出した私が はいはいをして母の方に近づき、


傍にあったポットにつかまって立とうとしたそうだ。


ポットは倒れ、熱湯は私の両足にかかった。


やけどのあとは、かなり後まで残っていたが、私が10代の頃に、消えた。


こんなこともあった。


私に下着を履かせていた母。


私が「ぎゃーっ!」と叫び声をあげた。


母は 訳がわからずにいたが、


下着を脱がせたら、大きな蜂がいたそうだ。


どちらのエピソードも、母の話は同じ言葉で締められた。


「あの時はお父さんに怒られる、と気が気じゃなかった」と。


父からは その時の話を聞いたことがない。


「寝た子であっても、目を離すな」


「子どもの衣類は、異物確認」


私が母の話から得た事は、自分の子育ての時に大いに役立った。


先日 母から電話があり、


「蜂に刺されて大変だった」と言う。


洗濯物についていた蜂に気付かなかったらしい。


洗濯物のチェックに行くわけにはいかないが、


明日にでも 母の所に寄って、何か手伝ってこようと思う。



陛下が、東宮殿下でいらした頃の事

2019-05-02 08:18:00 | 思い出
今上の陛下が、東宮殿下でいらした頃の事。


平成何年だったか、記憶にない。


明治生まれの夫の祖母のもとに、


子どもや孫、ひ孫が集った。


その事は別に珍しい事ではない。


そのうちに「おばあちゃんとみんなで、旅行をしよう」という話が始まった。


夫の祖母は 旅行が好きで、若い時はあちこちに出かけていたが、


私が嫁いでからは、自分の子どもの家にすら、出かけた事は数回しかない。


「おばあちゃんが元気なうちに、みんなで旅行をしよう」というので、


すっかりへそを曲げた。


「わしが 生きてるうちに、ってことか?」


こうなると もう何を言っても無駄である。


「こよりさんも 何か言って」と言われたが、


私が口をはさんだら、もっと手に負えなくなるので、黙っていた。


旅行に行くように言えば、おばあちゃんのご機嫌が悪くなるし、


旅行に行くなと言えば、おばあちゃん以外の全員の機嫌が悪くなる。


早く終わってくれないかなー、と思った時に


おばあちゃんの一番末の息子、夫の叔父が口を開いた。


「お袋が行きたくないのはわかるけど、


俺たちもきょうだいで出かける事なんかないしな。


これが最初で最後だから、お袋付いてきてくれよ。


酒が入ってけんかになった時、仲裁役がいないと安心して飲めないから。」


これを聞いたおばあちゃん、納得して


「そりゃそうだな。わしがいないと収まりそうもないな」と上機嫌。


年寄り扱いされることは嫌でも、「子どもの監視役」という事なら


納得できたようです。


2泊3日のお出かけ。あちこち出かけた事のあるおばあちゃんには、


「なんだ、あそこか」という行き先でしたが、


何しろ子ども達が決めた事ですし、観光ではなく


「子どものきょうだいげんかの仲裁」が目的なので。


息子・娘・その配偶者・孫数名。総勢10数人の団体です。


私は もちろん留守番です。


その間 何をして過ごしたか、記憶がありません。


帰宅したおばあちゃん、上機嫌でした。


特急列車に乗っての移動。


ある駅で、「しばらく停車いたします」のアナウンスがあり、


「何だろう?」と 思っていた時、


乗った電車の反対側のホームに、


東宮殿下のお姿があったそうです。


おばあちゃんが座った座席から、ホームをお歩きになるお姿がはっきり見えたそう。


「旅行に行ってよかった。東宮さまのお姿が見られるなんて。


良い冥土の土産ができた。立派な方だった。」


わが家での平成の一番の思い出です。


陛下の即位のニュースを見て、


この時の事を思い出しました。








 



自閉っ子のための道徳入門、重版出来!

2019-01-22 07:44:07 | 思い出
自閉っ子のための道徳入門が重版出来(しゅったい)と聞き、うれしくまた懐かしくなった。


この本が出版された頃、兄ちゃんは勤労学生、


自閉っ子は 高等養護学校に朝5時起きして通っていた。


私が 「卒母」目前の時代である。


私の日常は、育児ではなく 家族の介護と自分の闘病であり、


子ども達は 私のサポートをしてくれる立場になっていた。


進路の事で 助言はしたけれど、基本自分たちで決めていたので、


私が手を出す場面は 本当に少なくなっていた。


せいぜい書類の書き方を教える事くらいである。


その後 自閉っ子が内定をもらい、学校を卒業して


私も めでたく「卒母」の日を迎えた。


息子達は 経済的自立を果たし、同居しているとはいえ


職業人、社会人として 経験を積み、「子ども」から「大人」になっていった。


本を読み返し、私以外のお母様方の お子さんへの取り組みの素晴らしさを思った。


また 瀧澤さんや愛甲さん、浅見さんの 見解にも。


出てきた方々に比べると、私はやはり「がさつ・ぐうたら・ずぼら」である。


それは 今でも変わらないが、私なりに進歩し、病気も軽快し


中には治癒したものもある。「道徳入門」から広がったお付き合いが、


子ども達はもちろん私には大きなプラスになり、それが「猫本」に繋がった。


私は 発達凸凹の専門家でもなく、医療や教育の資格もなく、従事経験も無い。


学歴もないし ないない尽くしの子育てだったが、それがプラスに働いた。


医療の知識がない分、先入館に惑わされなくて済んだ。


診断がつく前に 自分流の「修行」の取り掛かる事ができたし、


診断後も 自分流を貫く事ができた。


診断名や 発達検査の結果に一喜一憂しなかったし、


子ども達の将来を悲観したこともなかった。


わが家は古い木造家屋で、子育て中は4世代同居だった。


共有スペースが多く、子どもが入れないスペースも多かった。


よく世間で聞く「構造化」もした事がない。


それでも 子ども達は育ち、働く大人になり、夫や私を支えてくれる存在になった。


よく「大変ではなかったですか?」と聞かれるが、私の中に主体性があったことが、


忙しくて不眠不休の生活の中でも 役に立ったと思う。


自分の子どもを育てる事、自分の家庭の切り盛りをする事、自分の家族の世話をする事。


すべて「自分」というものがあったから、やってこられたのだと思う。


人にやらされている、自分だけが重荷を負っている、と思っていたら


できなかっただろうと思う。


私よりも、あれもこれも満足にできないおっちょこちょいの私と生活していた


夫や子ども達や夫の祖父母や両親、その他周囲の人たちのほうが、


気苦労が多かったのではないかなあ、と思う。


私も様々な事をできる範囲でやってきたが、周囲に助けられた部分も同じくらいあったと思う。


自閉っ子のための道徳入門
クリエーター情報なし
花風社

クリスマスプレゼント

2018-12-24 12:34:58 | 思い出
子ども達が小さなころに、クリスマスプレゼントを準備したかどうか、記憶がない。


アルバムの写真を見ると、長男が小さなころには


クリスマスケーキが写っている。実家のじいちゃん婆ちゃんが来て


乗用おもちゃに乗せてうれしがっているものもあるから、


その頃は じいちゃんサンタ ばあちゃんサンタが何かしら


買ってくれてたようである。


私は 子ども達に 高価な物を買った記憶がないので、


子ども達は ささやかなプレゼントをリクエストしていたようである。


最後のサンタさんは、自閉っ子が小学校卒業あたりだった気がする。


「いつまでサンタさん来てくれる?」という自閉っ子に、


「OOちゃんとこも 赤ちゃん生まれたし、親戚のOO兄ちゃんととこも


赤ちゃん生まれたよね。小さい子もプレゼント欲しいから、大きくなった子が


サンタさんに(もうプレゼントは 要りません)って いわないと、


小さい子の分まで 用意できなくなっちゃうよね。」と説明し、


納得してもらった。


よそのおうちには 髙いゲーム機が届いているのに、


わが家にはなぜ来ないのか、という疑問が 兄ちゃんや自閉っ子から来たけれど、


「うちは古い家なので コンセントの数が足りない」


「電気工事費までは サンタさんは出せない」


「第一ゲーム機が来ても、ゲームソフトを買うお金はうちにはない」


と 説明したら 納得していた。


煙突がないのに どうやってくるのか、という問いもあったが、


「うちは古いから、サンタさんなら 簡単に戸が外せる」


「煙突はないけど どの部屋も 天井板はずせば かんたんに入れる」と答え、


爺ちゃんが 時代劇見てるときに 天井裏から隙を伺う忍びを見せたら


「そうかあ」と言っていた。


私も幼い時にサンタさんにおもちゃをもらった。


中がどうなっているか知りたくて 父の工具箱を持ちだして


ドライバーで 分解したら 母にこっぴどく叱られたので、


サンタさんに物をもらうと ろくなことにならない、と後悔した。


クリスマスにはあまりいい思い出がないし、クリスマス予算もないので


今日の 我が家は鍋いっぱいのおでんで おでんパーティーです。


おでんだけでは 男たちのお腹は満たされないので、お肉を焼く予定。


おでんと お肉。変な組み合わせですが、兄ちゃんのリクエストなので、


今 米のとぎ汁で大根の下ゆでし、大量の卵茹でてます。


大根と卵だけやっておけば、練り物は すぐ火が通るし。


大鍋いっぱい作っても、あっという間です。茹で卵は一人3個まで。


 








かみさまからのおくりもの
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