多病息災発達障害者こよりの日常

両手で数えきれない障害と持病を抱えつつ毎日元気に活動中。発達障害の息子たちの子育ても終え、悠々自適の毎日です。

台風の被害

2018-09-05 09:08:12 | その他
今回の 台風の被害も 甚大だった。


被害の状況が 報道されるたび、胸が痛んだ。


予想では 雨もだが、風が強いときき、


一体どうなるのか、どうしたらいいのか


わからなかった。


風は 今まで経験した中で、最も強かった。


夫に 電話を入れて、帰宅できないか 頼んでみたが、


「皆が仕事をしているのに、俺だけ帰れない」と言われた。


幸い長男の会社は 業務を停止し、従業員を帰宅させてくれた。


交通機関は どこも 運休で、車に乗れない私では


迎えに行く事もできない。夫はまだ仕事中である。


会社の方が、長男を自宅まで送って下さった。有難い事である。


家の中でも 風が轟々と 音を立てている。



自治体から「避難準備」の指示が出て、


「高齢者や障害者などは、即避難所へ」と連絡が来た。


長男は「この風だと 避難する間に


飛ばされるぞ。俺でも この風の中歩くのは難しかった。」という。


家で 様子を見るしかないが、伊勢湾台風の時に


屋根が飛ばされた事があるので、今回も同じことが起きるかもしれない。


離れの トタン屋根は がたがた音を立て、今にも飛ばされそうである。


過去に 一番危なかったのは 南向きの部屋で、あっという間に


屋根が飛んだという。


今回も屋根が飛ぶかも、と 思いながら


TVやネットで 情報を見ていた。


閉めた雨戸も、トタン屋根も、今までにない音を立てている。


どこかから飛んで来たものが当たったのか、大きな音が何度もした。


しかし 外にでるのは危ない。


水や食料などはあるので、避難所に行かなくても


なんとかなりそうだ。


そんな時、夫が帰宅した。


「会社も仕事は切りあげて、帰っていいと言われた。」とのこと。


「道路に木が倒れてて、避けたり 他の人と一緒に 脇にどかしたり


しながら来た。」


大変だったね、と声をかけたら、


「家の庭木が何本も倒れてる。家の方に向かって倒れてるから、


とりあえず そのままにして、後で 始末する」という。


ああ、あの大きな音は、庭木が 倒れる音だったのか、と思い、


何の木が倒れたのか 夫に聞いてみた。


皆 昔屋根が飛んだ、と聞いた場所の側に植えた木だ。


昔の写真では、我が家の周りには 背の髙い木はなく、


生垣も低い。


お父さんが、家の風よけに植えた木だ。


夫が子どもの頃に植えた木が、大きく伸びて、


家に風が直接当たらないように、守ってくれたのだと思った。


風がおさまり、夫について 庭に出てみたが、


かなり太く大きな木が、倒れたり枝が折れたりしている。


お父さんが 大切に手入れをしていた木ばかりだ。


お父さんが 私達家族を守ってくれたんだ、と


涙が出てきた。


お父さんの大切な木が だめになってしまったけれど、


おかげで家も、私達家族も 無事でした。


天国に行っても、私達を守ってくれたお父さんは、


やっぱりわが家の大黒柱ですね。お父さん、ありがとう。


夫は 折れた木の始末をしていた。


長男が出てきて、私の側で


ぽつりと「爺ちゃんが 大事にしていた木ばかりだな。


俺たちの身代わりになってくれたんだな」と言った。


「そうだね。じいちゃんは いつまでも みんなを気にしてくれているんだね。」


長男も片づけにかかったが、一本一本大事そうに抱えていた。


あの強風の中、お父さんが植えた木がなかったら、


屋根は吹き飛んでいたでしょう。


「俺の目が黒いうちは、庭の木を切るなよ」と


言っていた お父さん。木を切って


車庫を作りたいという夫とよくケンカをしていた。


お父さんの勝ちですね。夫も


「親父が 木を植えていてくれたおかげだな」と


言っていました。










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昭和は遠くなりにけり

2017-08-08 20:01:07 | その他
わが家には 和室しかない。昭和の 木造家屋で、


板の間はあるが、「フローリング」とは ほど遠い代物である。


客間は もちろん 和室であるから、


お客様は 皆 和室に入っていただく。


今の方は、上座 下座という事も 気になさらず、


遠慮ではなく 適当に 座る場所を お選びになる。



こちらは はらはらするが、


本当に 気になさってないと わかったので、


「お好きな場所にどうぞ」で 通すようにした。


今どきの おうちだと、和室そのものが ない事も多いので、


正座ができない方も多い。


なので 昔 我が家の 老人たちが 膝を痛めた時に使っていた


籐の椅子が 大活躍である。


畳のヘリ、なんて事も 気にしない方がほとんどだし、


私と 年が変わらないか 年上のヘルパーさんも


畳の目を無視して 掃除機をかけたりしている。


わが家では 畳のヘリから ムカデが侵入してくることが多いので、


皆 避けて歩いているが、


お客は 平気で ヘリの上に座ったりなさるので、


こっちが ひやひやである。


わが家には 玄関と 勝手口があり、


お客は 玄関、御用聞き等は


勝手口と 決まっていたのだが、


今は 「勝手口」という言葉も死語になり、


セールスが 堂々と 玄関のチャイムを鳴らす。


男性が 玄関や 客間で お客の相手をしていても、


主婦や 子どもは 勝手口で いくらでも 好き勝手にできたわけで、


これも ある意味合理的なシステムだったのかもしれない。


なにしろ 時代は 移り変わり、平成も終わりに 近づきつつある今、


昭和の常識も 消えていくのだなあ、と思う。



和式トイレを 使えないお子さんや 若い人も多いようで、


大きな駅のトイレに 行列ができていても、


和式だけは 空いている事が多い。


私は 他の方に お尋ねしてから、


和式トイレに 入るのだけど、


私が出た後も 使う方は まずおられない。


時代が 変わったなあ、と思う。











「和の心」和室での気持ち良いたちふるまい
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犬養 晴子
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じゃがいも不作のあおり

2017-04-13 14:34:44 | その他
天候の影響で、ジャガイモが不作で 品薄である。


我が家の 近所のスーパーでは ジャガイモをみかけなくなったし、


あっても 一個あたり100円越えも 当たり前で、


なかなか手がでない。


精肉売り場で 牛肉が 破格の値段で 出ていたが、


ジャガイモが ないと 肉じゃがもできないし カレーも できない。


カレーに ジャガイモを入れなくても 別に いいのだが、夫が


ジャガイモが 好物なので、芋抜きカレーだと がっかりするので、


お肉だけ 買っておいた。



カレー粉も 普段より安く、大箱が ひと箱 128円と


驚くような 安い値段だった。


昨日の夕食は 子どもたちと 私は 芋抜き野菜カレー、夫は


カレーに 不満で、別のおかずを 出しておいた。


ジャガイモなんて あって当たり前、と 夫は 思っているから、


なぜ 食卓に 上がらないのか 理解できないらしい。


まだ ここまで 不足していない時に、北海道フェアーで


「じゃがバター 真空パック 4個入り」というのを 買っておいた。


それが あるので、時期を見て 温めて


食卓に出そうと思う。


ポテトチップスも 製造休止、とか やっていたが


ポテトチップスの 何々しか食べない、とかいう 自閉っ子が いるおうちや


デイサービスでは おやつの 変更とかも ありそうで 困っているんじゃないだろうか。


以前知り合いの自閉っ子で、「食べられるものが 3種類しかない」とかで


毎日 お弁当持参というお子さんが いたが、その3種類の中に


ポテトチップスが 入っていたら 大変なことになるだろうなあ。


でも ポテトチップスの食べすぎは よくないので、


これを機に ポテトチップス大好き自閉っ子の みなさんに


他の物を 受け入れる 修行の必要性を 周囲の方が 知ってくださるといいのだけど。


オークションサイトを見た子どもが、「ひえー。ポテトチップス すごい値段になってるぞ」と


驚いていた。


手に入らないとなると 欲しくなるんでしょうねえ。



他の食べ物が いくらでもあるのに、「これだけ」に 執着した 食習慣を


定着させてしまうと 後が 大変だと 思いますね。


アレルギーは 別の配慮が 必要ですが、


いざという時 別なものに 変えられても 大丈夫なように


小さい時から 修行しておくと 後が 本当に楽です。












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最近のトイレ、多種多様でびっくり

2017-03-12 11:58:51 | その他
私は自閉っ子の 端くれであるから、普通の人から見たら どうでもいい事に


びっくりすることがあり、変化についていけないことがある。


最近では スーパーや駅等の トイレも


多種多様になり、ドアも ただ開けるだけでなく


回転式だったり 入ると 途端に「このトイレは何々式で・・・」と


説明が 聞こえてきたりする。


自動水洗の 所も増えて、さて 水を流そうとすると


ざーっと いきなり 流れたりして 変化についていけない私である。


自動で 音消しの  水音が流れるのがあるが、あれが嫌いで


止めようとするが 止まらないのと 止まるのが あってその区別が


わかった時には もう 用が済んで しまっている。次に来た時には 忘れているから


また びっくりする。


エアータオルというのか、風で 手に付いた水を 吹き飛ばす、という機械が


嫌いなので、手拭きタオルを 何枚も持ち歩くので 周囲の人は


「なんで タオルで拭くの?あれ使えば?」と不思議そうであるが


私は どうも 慣れないので タオル持参である。


たまに エアータオルがない施設もあるし、使用者が多い所では


ペーパーが切れていたりもするが


私は 「水に流せるティッシュ」とタオルがあるので 平気である。


そういうトイレに 入ったあとは、次に 待ってる方に


「ペーパー切れてますが お持ちですか?」と聞く。


大抵の方が お持ちでないので、一つお渡しして 「お使いください」と


渡して出てくる。


エアータオルがない時も みなさん手を洗うが その手で 髪の毛撫でつけたり


ささっと手を 振って水を切って 出ていかれる。


子どもの頃に「ハンカチ 鼻紙 忘れずに」を 口を酸っぱくして言われて


育った 私には できない芸当である。


私は 普通のティッシュ、水に流せるティッシュ、手拭きタオル最低2枚、


汗拭きや 病院で うつ伏せになる時に 顔に当てるタオル、等々


何枚も持って歩くので タオルだけでも 結構な荷物である。


病院も 診察券さえ出せばいい所もあるし、番号札を自分で取る所、


診察券と引き換えに 番号札をくれる所、などがあったが、


先日 とある病院に行ったら 「再診受付」への自動ドアを通ると


センサーが 感知して、受付にいくと 機械から 患者番号と 受付番号が書かれた


レシートみたいな 紙が出てくる、というシステムに変わっていて、


これには びっくりした。「紙をお取りになっておまちください」と


職員さんが 声をかけてくれた。


どこに いっても 進化しているなあ、と思う毎日である。












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三土 たつお
実業之日本社
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愛着障害は治りますか ~我が家の場合~

2016-11-22 17:03:11 | その他
私も 愛着障害が あったし 夫も愛着障害で 長年苦しい思いをしてきた。


でも 結婚して 一緒に過ごすうち、夫も私も 変わっていったように思う。



私は 未熟児で生まれて医師にこれはもうだめだろう、と匙を投げられたのだが、保育器に半年入って


懸命に治療してもらって 家に帰ることができた。


母も難産で 子癇発作を 起こして 死にかけて、父は



葬式の準備をしなければと 大変な思いをしながら 親戚一同に電話を掛けたという。


しかし 死にかけの赤ん坊でも 治療しないわけにはいかないので、


「出生届を出して、名まえをつけて、健康保険証を大至急作ってきてください」と言われ


寝る暇もなかったらしい。


「自分が 戻るまででもいいから 生きててほしい」と父は願って、


自分の名の一字と、「長く永久に」という意味の文字を組み合わせて


私に名を付けた。


その祈りのおかげかわからないが 私は 奇跡的に助かって、今もまだ 生きている。


母と長く離れて過ごしたからかはわからないが、私は母に懐かなかった。


私が 幼い時、母が添い寝をしようと 私のそばに来たのだが、


まだしゃべれない 私が、手まねで「あっちへいけ」とやったので、


母はかなりショックだったらしい。


もう少し大きくなって、妹が生まれるときに、母の体調を心配した医師が、


母の入院を勧めた。小さい子の世話をしながらの安静は むつかしいし、


また 難産にならないように万全を期したほうがいいといわれ、


父は 考えた末 わたしを 親戚の家に預けた。


私は あちこちの家を転々としたが、別にダダをこねるわけでもなく


親戚の人たちの話だと いい子にしていたそうだ。


母がお産を終え、退院して家に戻ってしばらくしてから、


父が私を 迎えに来た。


私はその時 父を見て しがみついて泣いたそうだ。


世話をしてくれた 親戚のおばさんたちが 「よかったねえ、お父さん来て」と


言ってくれて、私は 上機嫌だったそうだ。


家に帰ったら 妹を抱いた母がいた。


私は 母のことに関心がなかったらしく、


「お母さん」とも言わず、「おばさん、ここの家の人なの?」と言った。


母も 「おばさんも ここのうちの人だよ」と返事をしたというから


かなり 変わった親子関係だったんだなあと思う。


妹が成長してからは、私と父、妹と母、とで別れて行動することが増えた。


母が「どこどこへ行こう」と誘うこともあったが、


私は 断って 一人で留守番をしていた。



私にとっては 母は 自分の親というより「父の奥さん」という感じに近かった。


妹ともどうかかわっていいか わからなかった。


私と母の関係が変わったのは かなり後で、



私に発達障害の診断が ついてからだ。


母が私を理解してくれなかったことや、 私とした約束を何十回も破ったこと、


妹を溺愛したことなどが 診察のたびに思い出されて腹がたった。


買い物先で 子どもが 何かねだったとき、「また今度ね」と済ます親は多いと思う。


私は それを 断り文句や ごまかしと 思わず 言われるたびに


「いつか 買ってくれるんだ」と思っていた。


何十年たっても かなえてくれないことに腹が立って、


母に 愚痴をたくさん言った。


「そんなこと 覚えてないけど あんたは 私がOOを買えば 納得できるんだね?」といい


私は あるものを 30年かかって やっと買ってもらった。


母に愚痴をいっぱい言って、


気が少しは晴れたし 父が亡くなって 母しかいないことが寂しいと 母が傷つくような事まで言った。


あれこれあったけど 今は母と出かけたりもするし


実家にもちょくちょく顔を見に行く。


「この人が私の親なんだなあ」と実感するのに長い時間がかかったけど、


夫の家族の介護や 二人の子の子育てを していくことで


私の 愛着障害も 癒されていったような気がする。


でも 一番の癒しになったのは 夫に出会えたことだと思っている。


夫も 複雑な 親子関係で育ち、大変だったけれど、


私や子どもたちと過ごすうちに 徐々に変わってきてくれた。


夫の細かいことは ここには書かないけれど、


今 私たち家族は 幸せです。



















愛着障害は治りますか? 自分らしさの発達を促す
クリエーター情報なし
花風社
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