多病息災発達障害者こよりの日常

両手で数えきれない障害と持病を抱えつつ毎日元気に活動中。発達障害の息子たちの子育ても終え、悠々自適の毎日です。

夫の変化

2018-09-09 18:21:41 | 愛着障害
私は 子どもの頃から、「理不尽な事」があっても、


ひたすら 受け入れて 耐える事が当たり前になっていた。


そんな様子を


「可愛げがない」と 言われ、傷ついても、


それを 顔に出さずに ひたすら耐えた。


自分では それが 当たり前の事になり、どんな状況でも、


嵐が去るのを ひたすら待つような 過ごし方をしてきた。


仕事をするようになり、能力さえあれば、容姿や 体型、


そういったものが 人並み以下でも、評価してもらえる世界があることに


正直驚いた。


結婚後、夫という伴侶を得、私は 自分の重荷を減らすことができ、


夫と一緒に居られる時間は 本当に 気楽で、安心していられた。


夫も また 出生時の状況や、生育歴に 大きな問題があり、


よく言えば 忍耐強く、逆に言うと なんでも 自分の責任だと思い、


自分で自分を傷つけてしまう面があった。


私も 夫も、似た面が いろいろあった。


私が 夫に 慰めを得、自分を取り戻していけたように、


夫も また 私が変わる事で 変化していった。


最近の事だが、何でも「自分が悪い」あるいは「運が悪い」で済ませてきた夫が、


「これは どう考えてもOOがおかしい」と 言い出した。


以前なら、私が いくら説明しても、納得せず、「自分が悪い」で


片付けていた夫だが、私が 自分に対する理不尽さに気づいていったように、


変化していった。


正直、びっくりした。人は いくつになっても 変われるんだなあ、と思った。


夫も息子達も 「愛着障害」という言葉も知らない。


私は 家では あれこれ理屈をつけて


話したりはしない。愛着障害がどうの、とか 話題にもしない。


思い出話や 愚痴を聞いたり、他愛ない話をするだけである。


私は 家族の治療者ではないし、子育ても終わった今は


母親としてより 大人同士、として息子達とも接している。


息子達は 私より 精神的にも上を行っているようだし、


今は 夫との 時間が何より 大切である。


夫は 本も読まないし、セミナーにも関心がないが、


夫も 自分で 自分の中の資質に気づき、


過去の 経験や 私や息子達との 関わりの中で、


今 「自分は無理な我慢をしなくていい」という気持ちが出てきたと思う。


「理不尽な事には 従わなくていい」と自分で気づいて


変わってきた夫。夫の変化、成長、発達が、本当に嬉しい。


息子達の成長の何倍も、何十倍も。





  




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私の愛着障害の歴史

2018-05-03 13:10:56 | 愛着障害
私の 発達障害やその他の障害が、生まれつきのものなのかは


わからない。私の一番古い記憶には、母親も父親も出てこない。


記憶にあるのは、病院の 多分集中治療室である。


保育器の中だと思うが、眩しくて とにかく嫌だった。


体に チューブが入れられていて、


周りでは 人の声や 器具の金属音がする。


それが 私の一番古い記憶である。


何度も 呼吸困難を起こし、生死の境をさまよいながら、


何とか 生き延びて、退院して自宅に帰った。


その頃の写真を見ても、母は抱きにくそうに私を抱いている。


幼い時から おいやめいの子守りをしていて、


自分でも「赤ん坊の世話は得意だ」と言っていた母が、


丸太を 抱えるように私を抱いている。


沐浴の時も、私は かっと目を見開いて、


体を縮めている。


乳児の私が リラックスして写っているのは、


一人で 布団やベッドにいる時、


それと 身近に 「物」がある時。


たまに 母と 笑っている写真がある。


母は 自分に笑っているのだと 思っただろう。


写真を写す父も 同様だろう。


写真の中の私は、母のブラウスの ボタンを握って


上機嫌で笑っている。


歩けるようになり、母の方へ近づく写真。


でも 母に向かってではなく、


母の後ろの 鏡台の光に 私の注意が向いている。


妹が生まれた後の写真。


母の注意は 妹に向いているので、


私は 一人で 気兼ねなく遊べて上機嫌である。


母の入院中、私は あちこちの家に預けられていた。


迎えに来た父の事は 理解ができたが、


家に帰って 「見知らぬ赤ん坊を抱いた女の人」を


母とは 認識できなかった。


妹が 座れるようになった時、


母が 私の横に妹を座らせて 写真を撮ろうとしたが、


私は 得体のしれないものを見たような姿で、


何とか 妹と距離をおこうとしている。


母親とも、きょうだいとも、


いい関係が 作れないまま、幼少期を過ごし、


他の子ども集団、園や 学校でも 適応する事は


できず いじめにも遭った。


母や 学校の教師に ぶつけられた言葉に、


傷ついた事も 日常茶飯事だったが、


それに負けずに 過ごせたのは、


本を読む習慣の おかげだと思う。


私は 文字を2歳で覚え、就学時には


小学校で習う漢字は 一通り読み書きできた。


学校の教科書や 子供向けの本が退屈で、


父の 本棚の本を読みあさり、それを読み切ってからは


図書館で 大人向けの 本を読んでいた。


心理学、福祉、教育、その他 学校では教えてもらえない知識を


楽しめた時間が 私の土台になった。


その過程で、一番私の注意を引いたのは、


精神分析の本だった。誰しも 育つ過程で


どこかに 見えない穴を抱えている事、


そのことに自分でも気づかずにいる人が多い事、などなど。


私は 「私の親もまた、愛されずに育った人なのだ」と理解し、 


その後は 両親を 少し違った目で見るようになった。


本を 自己流で 理解しただけで、分析を受けたことは


ないけれど、その聞きかじりの知識のおかげで


乗り越えられた事は多かった。


夫と 結婚し、子どもを授かった時、夫は


「自分は子育てはしないから」と言った。


私は 最初は他人であった私と 夫婦として暮らすだけでも


変化で 負担が大きかっただろうし、また今


妻が「母親」になる変化が 恐怖なのだろうと推測した。


夫に いきなり「父親」になる事を要求するのは 酷だと思い、


夫には これまでと変わらない生活ができるよう配慮した。


夫も ゆっくりゆっくり 変わっていき、


何年か かかりはしたが、子どもとの関わりを持てるようになっていった。


それは ほんの少しの時間から始まり、


いつのまにか 私を仲介しなくとも、夫と子どもたちで


楽しい時間を持てるようになっていた。


私も 夫という伴侶を得た事で、


自分のなかの問題が解決されていったし、


夫も いつのまにか 自分らしさを取り戻して


いったように思う。


子どもたちは成長し、自分の世界を持ち、


一緒に暮らしてはいるものの、私達親が 手を出す事は何もなくなった。


夫と 二人で いられる時間が、何よりうれしい。


夫は そうではないようだが、それでも私に付き合ってくれる事が


感じられて、ますます 嬉しい私である。














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求める愛と受けられる愛

2017-10-12 08:50:27 | 愛着障害
私は 母親との関係が 良くなかったので、


結婚して 親元を 離れた時は、何とも言えない解放感があった。


夫は 無口で 愛情表現も下手で、そもそも


お見合いして 会って3回目くらいで 


「結納の日取りは」というような 話になって


結婚式場を 決めて その後は


会うたびに 結婚式その他の 打ち合わせばかりだったので、


2人で 何かしたとか そういう思い出もあまりない。


私も 夫も 結婚は決めたものの、「結婚式」には


興味が なかったので、双方の両親と 仲人さんの話をふんふんと


聞くだけであった。


新婚旅行も お互い そんなに慣れてない間柄なので、


わいわい楽しむような旅行ではなく、


ただ一緒にいる、というような 感じだった。


タクシーの 運転手さんにまかせて 名所をまわり、


夫は 行く先々で あちこちにくばるお土産を


リストを見ながら 買っていた。


私は ここの名産は何だとか、


そういうことも知らない。実家に居る時は


親の 故郷に行くくらいで 旅行など経験がないので、


夫に くっついて いるだけである。


夫が あれこれ 買い物をし、支払いをしたところで、


お店の人が 「奥様の お好きなものを何か お選びになったら」と


夫に 声を掛けた。


夫も 何を選んだらいいかわからず、私も わからない。


お店の人が「これは いかがですか」と


ネックレスと イヤリングのセットを見せてくれ、


夫が「これにします」といい 私に 渡してくれた。


私は 宝飾品の類は あまり好きではなかったが、


夫が くれたものだし、と受け取った。2・3度使ったが


その後は 箪笥の中である。


ブランド品でもなく、それほど高価なものでもないが、


新婚旅行の 思い出の品である。


私が 母に 求めたものと、母が私に与えてくれたものも


同じように 差異があり、子ども時代の私は


満足できなかったけれど、


親と離れて 夫という 配偶者と暮らし、


夫との生活の中で 知らず知らず


今まで 得られなかったものを 与えられて、


変わっていけたように思う。


夫は 具体的に 何かをしてくれたわけではないし、


外的にみたら、私が 夫や その家族に


してきた事が 多かった。でも それ以上に


私は 夫から 有形無形に関わらず 大きなものを受け取ったと


感じているし、今 一緒に 暮らしていけることが ただうれしい。


夫には 理想の結婚ではなくて、愚妻との暮らしで


気の毒だと 思うけれど、いつか


夫から 「お前と暮らして 大変だったけど まあ それでも


これは よかったな」と 何か 一つでもいいから


ほめてもらえる日が来たらいいなあと 思う。


自分が 求めたものが すべて手に入る人生は どこにもないと


思うけれど、私は 夫という 伴侶に巡り合えたことが


一番 大きな幸せだし、人生の転機になったと


振り返って思う。



















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私のイヤイヤ期その後

2017-09-22 20:10:26 | 愛着障害
幼児期に、「イヤ」と 言えなかった事を 知らず知らず


引きずっていました。そして その「ヌケ」を 取り戻すべく、


私は 心身共に 「イヤイヤ期」に 入っています。


最初は 夫に 様々な人、特に親や 幼い時に関わった大人の姿を


投影して、やたら 八つ当たりしたりしていました。


夫も辟易して 「お前は何が気にいらないんだ?」と


聞かれ、自分が イヤイヤ期にいるんだなあ、と


感じた次第です。


その後 大きな 爆発は 起きていません。


先日 通院先の病院が 移転しました。


場所もすぐそばで わかりやすく、迷うこともないのですが、


「移転のお知らせ」を もらってからも、診察に行こうとしても


足が止まります。薬が切れかけて 限界、と言う日に


ようやく 病院へ行きました。そばを何度も 他の用事で通っていても、


その病院には 行く気が 起きませんでした。


出掛けた日。病院のある ビルの入り口の階段で足が止まります。


移転前には 無かった 入口の階段。


抵抗を感じるのは 自閉症のこだわりや 変化への弱さではない気がします。


感じるのは 「何でここに階段があるの?」という 疑問です。


幼い子が 「何で?何で?」と 質問を 繰り返す、そんな感じに似た感情です。


大人の 私が 通りかかる大人をつかまえて質問するのは 


おかしなことです。ですが 私の中の 「小さな子」は


答えを求めて 立ち止まっています。


私は ビルに入る他の人の じゃまにならない場所によけて、


「自分が 知らないうちに なぜ 入口に階段ができたのか 知りたいよね」と


小さな自分に 声をかけ、少し時間をかけて ビルに入りました。


病院の内装も 変わっています。


ソファの色も、壁の色も。


私は 探し物をするふりをして、すみっこの席へ行き、


しばらく 時間をかけてから、受付へいって 手続きをしました。


ポーチに入れた筈の 診察券がありません。


「診察券が見当たりません」と 言って 番号札をもらいました。


久しぶりなので、検査の後 診察です。


検査室も 器具の位置が違うし、新しい機械も入っています。


指示に従いつつも、何となく違和感。


検査が済んで 結果が出てから 診察室へ。


先生に 来なかった間の経過等を 報告して、


無事 診察終了。


待合室に戻ったら、看護師さんが


「忘れ物ですよ」と 持ち物を届けてくれました。


しばらく待って 会計をすませ、処方箋をもらって


バッグを開けて ポーチに 保険証を入れようと開けたら、


さっきは なかった「診察券」が ちゃんと ありました。


見当たらなかったのではなく、私が 多分「出したくなかった」のだという気がしました。


「思うようには 動いてやらないぞ」という 反抗でしょうか。


診察室での 忘れ物も、「だだこね」の代わりのように感じました。


こうやって 少しずつ「ヌケ」を 埋めているのだなあ、と思いました。








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愛着障害

2017-07-27 08:44:03 | 愛着障害
子どもが 愛情豊かな親に育てられて、すくすく育つのが


理想かも しれないけれど、


何を 愛情と するのかは 人によって 判断が分かれるだろうし、


親が「愛」と思っていても 子どもは そう思わないかもしれないし、


難しいだろうなあと 思う。


私自身は 母親との 関係が 決していいとは いえない環境に育ったけれど、


育つうちに 両親もまた その親から 十分な 愛情を


与えられなかったこと、物質的経済的に 恵まれなかったことを知り、


そういう二人が 家庭を持って 生活していくだけでも


精一杯だっただろうなあと思うようになった。


きょうだいの中で、私は 親に限らず 大人から見て


「問題児」であったし、可愛げの無い子だったから


あちこちで 疎まれたし いじめにもあった。


その中で 社会には 「自分たちと違う」人を


攻撃してくる人が たくさんいるという事を学んだ。


障害に限らす、出自や 国籍、病気、経済状態、 その他もろもろ。


そういうことを 自分の生活の中から 幼い時に知ることが


できたのは 良かったと思う。


障害のある子を 授かってショックを受けた、という方の


話は 何度聞いても 私には理解ができない。


人生は 自分の予想外の出来事の連続なので、


結婚してみたら 思っていたような人じゃなかったとか


子どもを 育てるのが 大変で 嫌になったとか


そういう話を聞いても 


私には どうも ピンとこない。


私は 障害や 病気を多数抱えているけれど、


障害も治ったし、病気も 完治したものもある。


まだ 不便なことは たくさんあるけれど、


悩んでいても 楽しくないし、


今日一日 心置きなくすごすことが


毎日の 目標である。


今日は お天気が悪く、夜中から 関節の激痛に


悩まされ、トイレにも行けず困っていたのだけど、


なんとか 起きることができ、トイレにも行き、


食事もできたので うれしい限りである。


痛みはあるものの、動くことはできるので、


これから何をしようか 考え中である。


お盆が 近いので、実家への お供えを 見つくろってこようかなあ、と


思う。


父が好きだったものと、母も使えそうなもの。


小さな箱で 二つ贈ってもいいし、いいものがみつかるといいなあ。


父も母も 私には さぞ手を焼いただろうから、苦労させたことを


おわびしつつ、死なせずに 育ててくれたことに感謝である。


両親に 命をもらい、早産で 死にかけた所を


たくさんの医師に助けられて その後の何度かの危機を


乗り越え、今 元気(気持ちだけは)に生きている。


過去に内臓だけで 4回手術をしたので、もう 内臓系の手術をしようにも


癒着や その他の部分の弱さを 考えると


切ることができないそうなので、


「お願いだから もう 内臓の病気はしないでね」と


言われている。しないでね、と言われてそれがかなうかは


私も確約できないが、言霊というものがあるので、


私も 「眼や脳や関節の手術は大丈夫ですが、内臓だけは


手術しないで済みますように。先生が困る事がありませんように」と


願っている。


前回の 手術の時は


医師の 苦渋の選択で、「女性は なるべく傷口狭くして


目立たないようにするんだけど、そんな事言ってたら死んじゃうから


前の傷3つを避けて、縦に 大きく切らせてね」という事で


私は 一も二もなく同意したのだけど、ご本人が嫌がったり


パートナーが 体に大きな傷をつけないでほしいと 言い出したりして、


同意書が 取れなくて 困ることが しばしばあるそうだ。


夫は 病院が嫌いだし、先生との話を早く切り上げたかったので、


速攻で 同意書にサインして 捺印してくれた。


私は 同意書以前に 「今後の 内臓の手術不可能」だそうなので、今後


切ってもらえるとしたら 死んで献体するときになるんだろうなあ。


生まれてすぐから 大病して


あっちこっち 病変があるから、


献体のし甲斐もあると いうものである。


多分 私の 脳は 良い研究材料になるんじゃないかなあ。


脳の 障害と 病気が けっこうあるし。


夫や 子どもたちに そのことも 伝えておかないとなあ。


一番 残念なのは、その病変を どうがんばっても


本人である私は見られないのと、解剖結果の解説を


聞けない事である。あー、残念だあ!見たい!聞きたい!


多分 面白い結果がでるだろうになあ。


葬儀で よく 故人の人柄やら 思い出の写真なんかが


出るのを見るけど、


私は できれば 主治医全部呼んで、


過去の病気の記録と 解剖結果ってのを


見てもらいたいなあ。


内科医と てんかん専門医、


眼科医と 整形外科医その他、多くの主治医が集まって


「へー、話では聞いてましたが こことここの


病変は 私の 治療と関係ありそうですねえ」とか


話に花が咲きそうである。


でも 私より先に 主治医が亡くなったり


外出もできないようになってたら 来てもらえないしなあ。


どうでもいい事が次々頭に浮かぶ私である。





























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