気ままに日記

大好きな写真と思いつくままに綴る日記です

高齢者になってからの年齢感覚と身体と心について思う事

2018-11-13 20:42:16 | Weblog
私は今年の九月に誕生日を迎えると八七歳となります。九〇歳近くまで随分齢を重ねたもんです。こんな高齢になっても気持ちは若い頃とあまり変わっていないが、体力的には衰えが激しく高齢になった事は肌に感じている。長年務めたN社を昭和六十三年五十六歳で退職した。N社には定年と言う制度はなかったが役職者は概ね六十歳迄と言う不文律があった。五十四歳でノンキャリアにはガラスの天井と言われた職位に抜擢され、夢は大きく拡がり、新しい職位でも業績を上げて、これから先まだまだ新しい職位で活躍する夢を膨らませていた時、突然肩を叩かれた。N社でこれからまだまだ頑張れると退職など微塵も考えていなかったのでシヨックは大きかった。俺も後輩に道を譲らねばならない歳になった事を悟り溜息を着くばかりだった。幸い再就職も無事出来、その再就職会社先の定年六二歳まで勤めた。更に七〇歳まで働くぞ!と中小企業の工事会社に再々就職し、六九歳まで勤め上げた。まだ仕事する元気満々であったが、残った時間をもっと自由にやりたい事をする為、退職した。
すべての仕事から解放され、好きな旅行など随分楽しんだ。七〇歳前半は体力的にも衰えは殆ど感じず、現役時代と同じ様な感覚で自由な時間を謳歌した。
しかしである。八〇歳台に入り体力の衰えを痛切に感じる様になった。七〇歳台は高齢者ではあるが、気持ちは若く社会的弱者と見られるといい気はしなかった。例えば電車に乗っても席を譲られるとそんな年寄では無いと聊か反発したくなったが、最近は席を譲られて感謝!感謝!だ。気持ちも大分老いて来た。一昨日も急に胸が痛くなり気分が悪くなり横になった。もしかしてこのまま逝ってしまうのではないかと思うくらいしんどかった。しかし一晩寝ると平常な状態に回復し安堵したが、この様な事はこれから度々起きる事は覚悟しておかねばならない。
最近仕事を共にした友人や若い頃からの盟友も相次いで鬼籍に入った。親しい話し相手の友人がこの世から去って行くのは寂しい限りである。
しかし来年は傘寿となり、ラグビーのワールドカップが、再来年には東京オリンッピク、そして更に大阪万博と、この目で確かめたいイベントが目白押しだ!何としても元気で頑張って生き抜かねばならない。最近弱った体力は、道を歩いていても背中が猫背になり、歩く歩幅が小さくなって、おじんのよちよち歩きになっている。電車からプラットホームに降りる時、ふらついたり階段の上り下りには必ず手摺を持ち、他人から見ると介護老人そのものでの風采だ。醜い歩き姿を親しい知人に見られたくないと人を避けようとする。高齢者が車椅子を使っている様子を近い将来の自分の姿に映して考えたりしている。
今日も少し庭仕事をしたら身体が凄く疲れたが、毎日やる事が無いと言う友人がいる。私には毎日やらなばならない事に追はれている。しかしそのやらねばならない事に対する熱意が衰えていることに問題がある.朝起きて今日やるべき事をメモして一つ一つこつこつと遣りとげる気力が必要だ。よし気力を奮い立たせて頑張ろう。