今年の誕生日を迎えると満八十歳となるが、我々の世代は育ち盛りの幼年期、戦後の混乱の真っ直中で十分な食料が無く空腹に喘いでいたにも拘わらず八十歳の今日まで生きながらえて来たと言う事は不思議と言う外は無い。自身の認識もそんなに高齢になったと言う感覚は無く、ただ歳をとったな!と言う感じである。精神的にもまだまだやりたい事や、欲しいものも一杯あり五十代中年の感覚と変わらない気持ちでいる。
それでも新聞やテレビで著名人の訃報に接すると、その年齢が自分より歳下の場合が多いのに驚く。つまり年齢的にはいつその様な事態になってもおかしくない年齢だ言う事だ。
若い頃は少し体調がおかしいな!と感じても、一過性の事態と認識し、それが原因で生命拘わる事など考えもしなかったが、最近は少し頭がくらくらするとか、胸騒ぎを感じるとか言った状態になると、いよいよ来るものが来たかと不安にかられる様になった。
死に際までピンピンと元気で突然コロリと死ぬ事をPPKと言うらしい。PPKは誰にも迷惑をかけず死に様としては好ましい死に方かもしれないが、死ぬ本人にとってみれば、世話になったみんなに囲まれてお礼の一言も言って旅立ちたいものである。
いずれにしても残り少なくなった限られた時間を如何に生き生きと生きるか、人生最後の仕上げを急がねばならない。
それでも新聞やテレビで著名人の訃報に接すると、その年齢が自分より歳下の場合が多いのに驚く。つまり年齢的にはいつその様な事態になってもおかしくない年齢だ言う事だ。
若い頃は少し体調がおかしいな!と感じても、一過性の事態と認識し、それが原因で生命拘わる事など考えもしなかったが、最近は少し頭がくらくらするとか、胸騒ぎを感じるとか言った状態になると、いよいよ来るものが来たかと不安にかられる様になった。
死に際までピンピンと元気で突然コロリと死ぬ事をPPKと言うらしい。PPKは誰にも迷惑をかけず死に様としては好ましい死に方かもしれないが、死ぬ本人にとってみれば、世話になったみんなに囲まれてお礼の一言も言って旅立ちたいものである。
いずれにしても残り少なくなった限られた時間を如何に生き生きと生きるか、人生最後の仕上げを急がねばならない。