徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

輝いていた時代! ~ インターハイ連覇から50年 ~

2011-04-12 13:09:35 | 水球
 わが母黌、濟々黌の水球部が全国大会に顔を出さなくなって久しいが、今年はインターハイに連覇してからちょうど50年になる。夏休みの東京合宿を終えて、チームはインターハイの開催地、金沢に向かったが、僕ら1年生は、インターハイグループと国体グループに分けられ、僕は国体グループになったので金沢には行けなかった。金沢で優勝して凱旋したチームを熊本駅に迎えに行った日のことを鮮明に憶えている。母黌チームはなぜか、国体には運がなく、前年の地元熊本での大会に続き、この年の会津若松大会も決勝で宿敵、京都の鴨沂(おうき)高校に敗れた。しかし、当時は間違いなく、鴨沂高校と並び高校水球のトップに君臨していたことは間違いない。これ以降も、インターハイ1回、国体1回の優勝があるが、母黌水球部が最も輝いていたのは昭和36年(1961)であることは間違いないと思う。
※写真はこの年の春、恩賜記念運動会でパレード前に撮ったもの。(前列左端が僕)



最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
校名の変更について (きりりん堂)
2011-04-12 20:30:11
1960年代の熊本の高校運動界では水球とハンドボールが全盛であったイメージがあります。私が住む京都では今でも、水球と言えば鳥羽高校と鴨沂高校(娘の母校が鴨沂高校です)。ハンドボールは洛北高校≪息子の母校です≫でしょうか?この両方のクラブが我が母校熊本商業にもありましたが私が在学中に活躍したという記憶はありません。ところで、熊本の高校の公私を問わず学校名の変更は凄まじいですね。熊本第一工業、熊本女子商業、九州女学院、熊本市立高校、熊本市立商業、熊本家政女子、君が淵高校=≪熊本電波≫etc.は変わってしまいましたね。我が故郷では阿蘇農業と阿蘇高校も合併したようです。中等教育で働く身ですので、校名変更や共学化そして学校の改革は理解するものですが。(すみません。まとまりのない文章で)
 
返信する
Re:校名の変更について (FUSA)
2011-04-12 21:22:54
熊本に帰って13年になりますが、最近やっと高校の名前に慣れてきました。帰った当初は、例えば「国府高校」と聞いても「それってどこよ?」「女子商たい!」「あ~そうね!」「意味ね~ッ」みたいな会話をしたもんです。共学化が進んで学校のイメージも私たちの時代とは随分変わりました。
返信する
Unknown (ひろ)
2011-04-12 22:27:52
フェイス学院、開新、必由館、慶誠、国府、文徳、千原台が以前からあり校名を変えた高校とはつい最近まで知りませんでした。また、学園大付属、真和、東海大第二、第二高校、マリスト学園、西、湧心館、北、東稜などの高校は離熊後に創立されたことを知りました。今では熊本市内には男子校は無くなってしまったそうですね。
返信する
Re:ひろ様 (FUSA)
2011-04-13 08:07:37
学校のイメージも変わってしまいましたから、要するに前身が何だったかなんて考える必要はない、ということに最近やっと気が付きました。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。