徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

ゴースト・コリオグラファー ~ 幻の振付師 ~

2012-08-18 21:57:55 | 音楽芸能
 今週の15、16日に行われた「山鹿灯籠まつり」。このまつりの呼び物は何と言っても頭に灯籠をいただいた女性たちが踊る灯籠踊りだ。この大宮神社の灯籠まつりは1000年を超える歴史があるといわれるが、灯籠踊りが創られたのは意外と新しく、戦後の昭和28年のことだという。全国有数の温泉町だったかつての賑わいを取り戻そうと山鹿市が、その起爆剤として目を付けたのが灯籠まつりのメインとなる灯籠踊りの創作。そしてその創作の重責を担う人材として白羽の矢を立てたのは、既に山鹿の検番で師匠として芸者さんたちに踊りを教えていた藤間富士齋さん(当時は豊太郎)だった。この時なんと富士齋さんは九州女学院高を卒業したばかりの18歳。しかし産みの苦しみは大変なものだったらしい。最も富士齋さんを悩ませたのが踊り手が持つ灯籠。ある日、富士齋さんは自宅にぶら下げた灯籠が偶然頭にぶつかったことから突然ひらめく。そうして出来上がったのが今日おなじみとなった頭に灯籠をいただくあのスタイルだ。しかしあのスタイルを実現するまでにはそれを作る灯籠師の協力を取り付けるなど、さらにひと苦労があったらしい。
 そしてもう一つの重要な要素である音楽は、明治時代から座敷唄として唄われ、昭和8年に野口雨情によって温泉町の唄として改作された「よへほ節」を使うことになったが、これがまた大成功の要因となった。
 こうしてスタートした灯籠踊りだったが、山鹿市は歴史のある灯籠まつりの幽玄性を損なわないよう、踊りの振付者がいることを公表することを憚ったという。そして長い間、富士齋さんは灯籠踊りのゴースト・コリオグラファーとして一般市民にその存在を知られることはなかったのである。



下の映像は灯籠おどりが創られるずっと前、まだお座敷唄として唄われていた頃の「よへほ節」
2012年4月13日 熊本城本丸御殿 ~春の宴~
「俚奏楽 山鹿湯籠踊り」より「古謡よへほ節」
構成 本條秀太郎
振付 中村花誠
立方 ザ・わらべ
地方 本條秀美と秀美社中、中村花誠と花と誠の会、藤本喜代則と喜代則社中


裏の山椒の木こしょどんが嫁入る ヨヘホ ハァ コリャコリャ
からし嬶立ちゃ鼻はじく ヨヘホ ヨヘホ ヨヘホ

裏の窓からこんにゃく投げて ヨヘホ ハァ コリャコリャ
今夜来るとの知らせかな ヨヘホ ヨヘホ ヨヘホ