「生誕450年記念 加藤清正展」にはまだ行けていないが、来週こそは行こうと思う。
さて、加藤清正公および加藤家ゆかりの地といえば、ここ熊本の外、清正公生誕の地、名古屋市や加藤家改易後に子息の忠廣公が流された山形県鶴岡市、そして孫の光正公が流された岐阜県高山市などがある。そのいずれの地でも今日まで手厚い供養が続けられているという。一昨年、山形県鶴岡市を旅した僕の知人は、出会った鶴岡の人々の加藤清正公・忠廣公に対する深い敬虔の念に感動すると同時に、清正公に最もゆかりの深い熊本に住むひとりとして大いに反省させられたと述懐していた。その話を聞いた時、僕自身もハッと気づかされるものがあった。日頃「セイショコサン、セイショコサン」と親しみを込めて呼んでいるが、はたして自分にはどれだけの敬虔な気持があったのだろうかと。これは何も清正公だけでなく、歴史を築いてきた多くの先人たちを敬い謹む気持を失わないようにとあらためて思った次第である。
※右の写真は山形県鶴岡市の金峯山(きんぼうざん)。
まるで熊本と同じように加藤清正公の墳墓がある鶴岡市丸岡(旧櫛引町)から西の方角に金峯山を望む。
※下のパンフレットは加藤清正公・忠廣公遺蹟のパンフレット(クリックすると拡大します)
▼表面(Click to Enlarge)
▼裏面(Click to Enlarge)
さて、加藤清正公および加藤家ゆかりの地といえば、ここ熊本の外、清正公生誕の地、名古屋市や加藤家改易後に子息の忠廣公が流された山形県鶴岡市、そして孫の光正公が流された岐阜県高山市などがある。そのいずれの地でも今日まで手厚い供養が続けられているという。一昨年、山形県鶴岡市を旅した僕の知人は、出会った鶴岡の人々の加藤清正公・忠廣公に対する深い敬虔の念に感動すると同時に、清正公に最もゆかりの深い熊本に住むひとりとして大いに反省させられたと述懐していた。その話を聞いた時、僕自身もハッと気づかされるものがあった。日頃「セイショコサン、セイショコサン」と親しみを込めて呼んでいるが、はたして自分にはどれだけの敬虔な気持があったのだろうかと。これは何も清正公だけでなく、歴史を築いてきた多くの先人たちを敬い謹む気持を失わないようにとあらためて思った次第である。
※右の写真は山形県鶴岡市の金峯山(きんぼうざん)。
まるで熊本と同じように加藤清正公の墳墓がある鶴岡市丸岡(旧櫛引町)から西の方角に金峯山を望む。
※下のパンフレットは加藤清正公・忠廣公遺蹟のパンフレット(クリックすると拡大します)
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