のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

歪んだ青春の城下町

2009年11月15日 | 日記・エッセイ・コラム

20091115  沼田の図書館で借りていた本の返却期限がきょうだったので、昨日に引き続きえびす講で賑わう街に行くことになってしまいしました。

 雨が降っていた昨日とは違い晴天だったこともあり、人も多く賑わいをましていました。

 晴れ着を着た子供達を見かけたので、今日は七五三だったことに気がつきました。ってことは狩猟の解禁日でもあるので、うっかり山に入れません。

20091115b  須賀神社に行けば七五三の様子が見られるかな?と足を運んでみましたが、午後になっていたこともあり、もう人影は見えませんでした。

 私も4歳の時(かぞえ5歳)この神社に七五三に来た記憶があります。兵庫県の母の実家から家紋入りの紋付袴が送られてきて、母と弟(生後6ヶ月だった)と一緒にこの神社にお参りして、参道にあった写真館で写真を撮りました。混んでいて随分待たされた記憶があります。父はこの神社の近くに中日軒というこの時代では珍しかったラーメン屋があり、ここで顔見知りたちと一杯飲んでいました。

20091115bb  ちょうど左側の駐車場になっているあたりに写真館があったと記憶しています。

 獅子舞の布のような暗幕をかぶってピント合わせをする4×5(シノゴ)と呼ばれる写真機で撮影して、今にして思えば贅沢な写真でしたが、当然白黒写真でした。

 えらく寒い日だったようで、順番を待つ間丸い石油ストーブにしがみつくように暖を取っていた想い出があります。千歳飴も母の実家から送られてきた神戸物で、こんな田舎の千歳飴とちがうんや!と気張っていましたが、私がちゃっかり先に中身を食べてしまったため、袋だけ持ってきての記念撮影でした。

20091115j  地元の高校生達が街の再生についてシンポジウムを開いていました。

 会場で我が家の近所の信金職員に会いました。私よりも10歳くらい年下ですが「我々のころはこんな文化的なことはしなかったよね。」なんて話をしました。屈折して花がない暗黒の中世でした。

 むさくるしい男子校だったので、こんなステージに女子高生と一緒に立とうものならどんな目に合わされたことやら?

 高校生が「城下町沼田の再生」なんて発言していましたが、我々が高校生の頃は「城下町」なんて意識はまったくなく、最近になって情緒ある街並みだったんだと気がついた次第で、当時はいかにこの暗い田舎から抜け出して花の東京で一旗あげるか、そればかりメラメラと考えていました。

20091115a  この会場の近くにある三浦食堂。女子高生がよく利用する食堂だったので、高校生の頃よく行きました。

 カツ丼からパフェまである幅広いメニュー。無表情で無口なおやじが一人で黙々と料理を作っていましたが、短歌が趣味だったようで自分の作品を店に張っていました。それも「サルトルを読みし長夜の・・・」とか「マルクスを語りし友の・・・」なんて真っ赤っかな短歌でした。

 思想信条よりもいかにして女子高生とお友達になるか?フロイトの心理学のカテゴリーで行動していた高校生でした。テーブルには連絡帳のようなノートが長年書き綴られて何冊もあり、「お~女の子が書いた文字だ!」と、しょっぱいカツ丼かき込みながら眺めて喜んでいました。

20091115d  たおやめな三浦食堂に行くと「女目当てだろう」などと揶揄されましたが、野村食堂はますらおの店でしたので遠慮なく入れました。そんなわけで、ばばっちぃ運動部の連中ばかり集まっていました。

 柔道の練習の後仲間たちとここでメシを食べていたら、練習試合に来た渋川女子高のソフトボール部の一団が入ってきて、まさか女子高生が来るとは思わなかったのでえらく緊張したことがあります。慌てて少年ジャンプをカバンにしまって、教科書開いてラーメン食べながら勉強しているふりをしました。

20091115c  野村食堂の隣の神明神社の常夜燈。江戸時代末期に作られた今で言うところの街灯。沼田も今でこそこのザマですが、文明を先取りした城下町だったんですね。

 通りの横を結ぶ路地には時代の名残がまだ残っています。

 道を挟んで反対側に古本屋があり、10円20円の文庫本を良く買ったものですが、買うのにもコツがあります。活字に飢えていますから本の中身や常態など関係ない。重要なポイントは、女の子が買ったと思われる本を探すことです。本の最後に万年筆で名前が書かれていたり、本に書き込みがあったり、もうこれで感動ですね。どんな人が読んだのだろう?何を憂いてこの書き込みをしたのだろう。そして最後に「きっと美人に違いない!」、この対話ですね。この想像力の豊かさが10代でした。

20091115e  中央公民館となりの喫茶エスポワール。ここは本格的なコーヒーショップで、よくお嬢様系女子高生が利用していた喫茶店で、むさくるしい運動部は入りにくい気高さがありました。

 当時、公民館になっている右の建物が消防署と図書館で、勉強しながら女子高の皆さんが入る頃合を見計らうんです。勉強ったてモカにキリマンジャロにブラジルになんてコーヒーのことを調べてノートに書き込んで、こういうことは真面目に勉強するんですね。で、喫茶店に行って女子高生の近くのテーブルで、図書館で借りた吉本隆明「異端と正系」とか、高橋和巳の「孤立無援の思想」などをため息をつきながら読むんです。実際、何を言いたいのかわからない本なので、面白くなくてため息が出ましたが。ここまで努力してももてなかった。

20091115f   裏通りは表に出ない歴史も残っているもので、こうした路地裏は昭和33年以前には「白線」などと呼ばれた非合法娼婦街なんかがあったようです。

 25年位前に山岳会の打ち上げでこの界隈のホルモン焼き屋の二階を使ったことがありますが、古い建物その作りは襖で間仕切りされた小さな部屋の集合体。昔の逢引宿か女郎屋だったんでしょう。大人数で使うために襖を取っ払っていましたが、ワンフロアーにならず、不自然に壁で仕切られて折れ曲がったような宴会場になっていました。

20091115ii  このあたりの路地に共和軒というラーメン屋がありました。沼田のラーメン屋は先述の中日軒と共和軒が発祥で、その後に野村食堂などが続いていると聞いたことがありますが、共和軒は華僑と呼ばれる人がやっていたラーメン屋だったと記憶しています。毛沢東時代だったので諸事情から台湾(中華民国)国籍だったと思います。

 共和軒に最後に行ったのは高校3年に冬でしたが、うっとりするような美しい中国女性のポスターが張られていました。「リー・シャンランの写真だよ。」と言われ、中国の女優さんですか?と聞くと、「なんだねあんたは何も知らないんだね。今、参議院やっている山口淑子だよ。」え?その人中国人?「戦争中は中国人を装って李香蘭って呼ばれてたんだよ。」と、その生い立ちなどを教わったことがあります。

091115k  路地裏の話題はまだまだあるので、次の機会にまわすとして、今回は城下町の話題なのでそちらに話を戻します。裏話ではネタの写真がないからで、もっと写してくれば良かった。

 有名なところでは後北条、真田、松平のお城であった沼田城。その跡地が沼田公園になっています。

 銀杏が見事な色合いを見せていました。写真では匂いが伝わらないので幸いです。

20091115h  ギンナンの実を拾う人たち。この一帯がギンナン特有のウンコ臭さで満ちているのに、しゃがみこんでノグソでもしているのか?と疑いたくなるような光景です。

 ギンナンを拾う人たちのあたりが黄色い銀杏と赤い楓との境で、歩道の色が黄色から赤に急激に変わります。

 匂いさえなければ歩いて気持ちよい枯葉の踏み心地ちでした。自動車に乗ってから「えらいところを歩いちまった」と気がつきました。

20091115i   ほどなく北風が吹いて色づいた葉が落ちてその上に雪が積もる。

 ジョギングをする人たちが通り過ぎる様子を見ながら、昔はスポーツの選手でもなければジョギングなんて無駄なことはしなかったよな。こんなことして健康に害があるのではなかろうか?などと横着を正当化。

 またこんな季節になったかと思う反面、後何回この季節を見られるだろうか?と考えてしまうのが曲がり角を曲がった人生。

 歪んでいない梶光夫の青春の城下町。

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