のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

相模湾

2024年06月05日 | 日記・エッセイ・コラム

 キャンプ場に行くと言う湘南ナンバーと横浜ナンバーのクルマが薪を買いに来ました。ちょっと話をしましたが、藤沢と鎌倉の人たちで、藤沢は湘南ナンバーで鎌倉は横浜ナンバーなんですね。こちらの土地勘からすると江の島鎌倉で一緒くたに感じる地域なんですが。江ノ電走っているし、どっちも道路混んでいるし。

 現地の人が言うには「微妙に違うんですよ。」

 相模ナンバーの地域は海に面していない市町村ばかりで、相模湾と呼ばれる海があるのに山の中と言うのもなんだかおもしろい感覚に思えました。

 相模湾で思い出したのが日本武尊の東征の伝説で、海が荒れて海神の怒りを鎮めるために日本武尊の妻の弟橘姫が船から飛び降りて海に沈んだのが相模湾と千葉県の間あたりだという話。あのあたりがそんなに海が荒れるイメージはないのですが、何とか上陸を果たした日本武尊は北へ向かうものの、前橋と渋川の間あたりで土着民の抵抗に屈して泣きながら逃げ帰ります。その時、海に身を投げた妻のことを思い出し「あづまはや 世におらず」と泣いたというので、群馬には「吾妻」「嬬恋(つまごい)」かつては県内に複数の「東(あずま)村」がありました。武尊山や、北橘、南橘と言う地区もあります。

 で、相模湾と言えばゴジラの通り道でもあります。シン・ゴジラではアクアラインを破壊せずに鎌田方面に上陸しインフラ打撃に配慮しましたが、終戦直後のゴジラマイナス1ではやばいルートを通っていますね。

 ゴジラがあのあたりにやって来ると言うのは、弟橘姫の祟りだろうか?案外、日本武尊の東征で海が荒れたのは、海底にゴジラがいたとか。ゴジラ・日本書紀。映画にするなら京の都でゴジラの出現を科学手に分析する理系女子が沢口靖子で、私はそこに夜な夜な通う陰陽師風科学者なんかいいですねぇ。和歌の代わりに数式のやり取りをする恋のあやとりなんてロマンチックですねぇ。

 さて、バカなこと考えていないでまじめに仕事しよう。

コメント
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