のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

同窓会

2024年06月22日 | 日記・エッセイ・コラム

 今日以降は梅雨空になりそうなので、朝から野良仕事をして、夕方、中学の同窓会に行ってきました。

 うるう年に開催される同窓会ですが、コロナの影響もあって8年ぶりの開催です。みんな還暦を過ぎたので、赤いものを身に着けて参加するというのが今回のドレスコード。なので私は鬼殺隊の炎柱、煉獄杏寿郎さんスタイルで参加しました。

 受付会場からすでに異様な雰囲気で、下面の忍者赤影スタイルになぜか宇随天元さんの日輪刀背負ったやつもおりましたし、赤いブレザーに赤い山高帽かぶってきている奴もおりました。着物姿のおばちゃんが二人おりましたが、一人は赤い長じゅばん。もう一人は紬の着物の下に赤い股引はいて見せびらかしておりました。堅気の一般客の皆様もいらっしゃるので、仲間だと思われないようこっそりロビーの隅で時間待ちしていました。

 離れて原から立ちを眺めておりますと、女子の皆さんはそれぞれ横幅が増し、クルマで言うなら3ナンバーサイズになっております。特に、中学時代にガリガリの子の方が反動が大きいのかな?タケコちゃんと言う同級生がおり、名前を逆に読むとコケタで、上背はあるけれどガリガリにやせこけた子でした。今や両国国技館サイズになっています。コケタちゃん、蒲田に住んでおりましたが、シン・ゴジラが上陸する前の年に大森に引っ越したので、被災は免れたと言ってました。「私が住んでいた五丁目なんかガタガタに破壊されて爽快だった!」と映画見て喜んだそうです。

  20歳ごろの同窓会では女性たちがきれいになって、昔いじめなきゃよかったなぁ。と後悔したものですが、還暦過ぎると、ちょっかい出さなくて良かったなぁ!と、わが先見の明をほめたくなります。

 同級生の三分の一、60人程度集まりましたが、この8年で2名ほど鬼籍に入りました。それでも卒業してから亡くなったのが6人ですからみんな元気ですよ。1年上なんか30人超えたみたいです。

 クラスを担当していた恩師も既に一人亡くなり、一人が介護施設に入っておりますが、二名来てくださいました。若い方の先生は大学出て新採用で赴任してきて、いきなり新入生の私たちの学年の担任。「よく新人にクラス押し付けるなんて、こんな大胆なことできたなぁ。」と、後に校長まで経験してしみじみふりかえってしたが、めちゃくちゃな先生だったもんなぁ。柔道部の顧問でしたが、大学時代に野球やっていたもんだから野球部に顔出す方が多い。ちなみに学芸大学なので100年くらい後輩にWBCを優勝に導いた栗山監督がいます。

 お祭りなんかがあると「生徒指導」と称してやってきてただ酒飲んで酔っ払っている教師でしたが、昨年、お祭りの荷物運ぶ軽トラの荷台から飛び降りたらこけて、膝の半月板割る大怪我をしました。

 この先生と人生100年時代について話をしましたが、どうも我々世代の女性は100歳を念頭に晩年計画を立てているようだ。なんて話をしました。「お前ら10年20年先程度のことしか見ていないだろうけど、娘どもはその倍は先を見越して老後を考えているぜ。女性の行動、言動には着目しておいた方がいいぞ。」私たちの年代、女性の方が優秀ですから。

 とは言え女子で4年生の大学に行ったのはたったの二人でそれも国立。短大はずいぶんいるけど、そっちの方が就職有利だった時代です。受験戦争の厳しかった時代ですから、案外女の子の方がのびのびしていた。男は?今日顔出した連中では、千葉大学、金沢大学、新潟大学、東京理科大、東洋大学、東京経済大学、早慶etc。結構バラエティーに富んでいますが、就職難の時代に世に放り出されました。定年後もそれぞれ再雇用などでまだまだ現役続けています。

 「勉強しろ!と、尻叩いて、その結果がこの土地を離れていく人間ばかり作っちまったのだから、教師としての仕事ってよかったのかな?」と疑問はいつも持っているんだ。と、先生がおっしゃってました。良い悪いで考えると断片しか見えなくなるから、こうして同窓会で帰って来るってことは「悪くはない!」ってことですよね。

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