のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

マリア観音

2007年05月04日 | 日記・エッセイ・コラム

 田中澄江さんが上毛新聞社から出した本で「群馬の隠れキリシタン」という本があります。あまりキリシタンとは縁のなさそうな群馬県ですが、実は隠れキリシタンが多く住んでいた土地だったようです。

 群馬県北西部の鬼石町(現在藤岡市)や北部の旧沼田藩に多いときいていますが、私の住む地域はこの沼田藩に属します。

070504_1  相俣宿の海円寺にはマリア観音が祭られています。こちらで有名なのは川場村のマリア観音ですが、海円寺の入口にさりげなく置かれています。

 住職にマリア観音の話をしたら「そんなのがあるのですか?」と驚いていましたが、先代住職が亡くなって、他所から来た住職なので知らないのも無理はありません。

 意識しなければ慈母観音の一つだろうか?と見過ごしてしまいますが、仏教のお地蔵様や観音様が持つ”慈愛”の雰囲気とは微妙に違う雰囲気を漂わせています。

070504d   赤子を抱いた観音様ですがキリスト教のマリア像のイメージを巧みに取り込んでいます。

 意識してこの界隈の石仏や石塔を見ると「これは?」と疑わしいものがたくさん存在します。

 石工はどんな思いでこの像を掘ったのだろう?無論ご禁制の宗教ですから危険と紙一重ですが、こうやって自分たちの存在を遠巻きに知らせようとした信者の気持など考えると興味深いものです。

070504i  左の写真は宗太画伯のパパが藤原地区の森の中で発見した庚申塔。庚申塔につきものの太陽と月が上に記され、下には見ざる言わざる聞かざるの猿が掘られており、ここまではどこにでもあるもの。

 台座の右側に十字が刻まれています。ここまであからさまに十字を記した石塔は珍しいです。

 石塔の裏や底に十字を刻んだり、何かしら十字を他の絵の中に混ぜ合わせてごまかすのが普通なんでしょうが、危険を覚悟で大胆不敵なまでに明確に十字を刻んでいます。

 隠れキリシタンが住んでいたとい割れる土地には十二神社信仰が見られる特徴もあります。十二神社は熊野神社系の神様といわれていますが、新潟から群馬県北部に良く見られる神社で、山仕事をする人の守り神になっています。

 新潟の豪雪地帯松之山町が隠れキリシタンが住んだ土地という話を聞きますが、ここにも十二様が多く見受けられました。ユダを除けばキリストの弟子は12人です。

070504k  私の村の赤谷という地区に十二様を祭っている神社があります。この神社の集落からこんもりとした1300m級の山が見え十二社の峰と名がつけられています。

 赤谷の十二様は間引きされた子供を祭ってあるといわれていますが、間引き絵馬という絵馬が祭ってあるそうです。

 

070504l  この神社の裏に並んでいた石仏を見ていたら槌から半分顔を出したこんな石塔を見つけました。

 十二社とでも掘ってあるのでしょう。と見過ごしそうになりましたが、”なにかおかしいぞ?”とよく見てみると、「十の」文字に微妙な違和感を感じました。

 筆を押し付けたときに強く出るポイントがあるのは普通ですが、微妙に形に違和感を感じました。

070504h  拡大した写真です。

 明らかに縦の線の頭は筆のポイントと違いますね。あえて三角に尖らせたような意図を感じます。

 「我々がここにいたんだぞ」という時を超えたメッセージなんでしょうか?

 最近歳をとったせいか、こういうものを見て作った人の意図なんかを考えるようになってしまいました。意思に掘り込む労力を思えば簡単な思いでは刻めないでしょう。

 書き込むのに手間暇かかるものほど長持ちします。歴史的に見て一番古くからあるのは石に刻んだもので、次は中国などの竹に書き込んだもの、エジプトのパピルスに書き込んだ文書はもう少し新しくなります。

 大学ノートにボールペンで書き込んだものなど30年もすれば読めなくなってしまうものもあります。もっと簡単に書き込めるワープロのフロッピーなどもっと寿命が短いでしょうし、書き込みが最も簡単なメモリーなど停電になったハイそれまでよです。

070504n  今日、石仏を眺めながら「喜怒哀楽」にも年代があるのだろうか?なんてことを考えていました。

 10代の頃は「喜」の時期で、将来はいくらでもあるからやりたいことがたくさんありますし、今できなくてもやがてできるようになる希望がある。

 20代、30代ともなると現実の中でもまれて、気力体力充実しているので、できないことがもどかしく思えたり、それに対して怒りをもっていた「怒」の季節。

 40代ともなるとその身勝手が恥ずかしく思えたり、あきらめねばならないことが多くなって、他人の「悲しみ」などもわかるようになってきて「哀」の時期なんだろうな。なんてことを考えていました。

 それでは「楽」とはいかなるもの?いかなる顔?と思い浮かんだのが「翁」の顔で、喜びも悲しみも知り尽くして、老いて翁の顔つきになれればこれこそ時あわせなことなんではなかろうか?「楽」は年金で楽に生活の楽なんかでは決してありません。070504m  

 眺めていてこんなことを考えるのですから、古の人たちはどんなことを考えながら石仏を掘ったのだろう?

 隠れキリシタンが理論整然とわかるような掘り方はしないので、表情やポーズに微妙な変化をつけて「私達に気がついてくれ」と掘り込んだのでしょうから、石仏と対話しながら見つけ出すような思いでした。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 獅子舞 | トップ | 原始日本人? »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記・エッセイ・コラム」カテゴリの最新記事