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ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

甲斐よしひろ BEAT HARDWORK(5/6)3

2022-05-19 15:39:00 | メディア
神戸のサテライトスタジオの話題に続いては…
「えー、まあ、そういうことで…あの…今ですね、実は、えーと…YouTubeで
僕、映像上げてまして…えー、まっ、それが『レッド・スター』っていう、ねぇ?
えー、YouTubeなんですけども…」と甲斐さん

続いて読み始められた、ウクライナ情勢に関する投稿の中の
「『さっさと降伏しないから、多くの国民が亡くなった』と
ウクライナ政府を批判する意見があったり…との一文に
「ねぇ?これは、アレですね、どこかの玉川徹ですね、これね、言ったのは…
これ、ホンット問題になってるんですよ、この発言」と腹立たし気におっしゃってましたが

橋下徹さんも全く同じことをおっしゃっていたのが
ウクライナ兵士の方が、現場の様子を伝え、この戦いの意味を訴えておられるのをご覧になると
一転して「頑張れ!応援する!」と言い出されたのを聞いて

前者の発言については「イヤイヤ!降伏するということは
ウクライナという国がなくなってしまうってことだと判ってんのかな?」と疑問だったし
後者に至っては、何をかいわんやって感じで
こういうコメンテーターの方々にとっては、この問題も「ただの時事ネタの1つ」なんだなあと…(汗)

ともあれ…元コメンテーターの甲斐さん(笑)は…「えー、そうですね、ロシア側がですね
何万人ものウクライナ人を国に連れて帰って、シベリアで働かせてるという…
もうね、えー、もうその噂が出てて…これ、間違いなくホントだと思うんですけど
もう、ナンかね、第二次世界大戦かと思うもんね

日本人はもうシベリア抑留…あの…抑留したっていう経験があるから…
えー、僕の周りにも、もう何人かいましたし
えー、戦争が終わってるのに、えー、3年も4年も5年も帰って来ないっていう人がいましたから…
もう、こういうのは、ホンットにもう、アレですよ、ねぇ?」と話されてましたが

そのロシア国内の情報統制も、先の大戦時の日本のそれと同じだと言われていたりとか
ウクライナカラーの小物を身につけていたり
少しでも反戦の意志を示す言動があれば、即刻逮捕連行されたり…といった部分でも
第二次世界大戦時の日本を彷彿させるとのご意見も少なからずあります(汗)

続いて…「『レッド・スター』胸に響きました!」という方からの投稿
「3月最後の全体朝会で、開催中の北京パラリンピックのこと
そして『明日は東日本大震災があった日』のこと
そして、ウクライナの惨劇のことについて、子供たちに語りかけました」…と読まれて
「ああ、これ(の投稿者の方は)先生…先生なんですね」と甲斐さん

「そうすると、子供たちは生徒会を中心に、ウクライナ支援の基金活動を自主的に始め
『家の者から預かって来ました』と、お札が入った封筒を募金箱に入れる生徒も多く
ウクライナについて考えてる人たちが、想像以上に多いことを実感しました
大きなウクライナ国旗をデザインしたメッセージを生徒と職員で書き
ウクライナ大使館に送りました」…と書かれていて

その生徒さん達の思いが伝わればいいなと思う一方で
例の「千羽鶴」問題や、大量に廃棄処分された支援物資の「古着」など
ウクライナへの思いが、空回り(失礼!)しちゃったなあ…っていう感じもナキニシモアラズ(汗)

それはともかく…「そんな時に観た『レッド・スター』のビデオ、胸を突かれました
甲斐さんは、重厚なメッセージを込めていたんですね?発売当初は気がつきませんでした
それ以来、毎日のようにアルバム『カオス』を聴いております」と投稿者の方

甲斐さんは「えー、ということで聴いて貰います」と「レッド・スター」をおかけになったあと
「あの、これー…を書いたのはですね、湾岸戦争…えー、湾岸戦争の時に初めてテレビでですね
アレ、ホンットに生中継で…戦争風景が生中継されたという
たぶん、もう初めての体験だったと思うんですけど

それも、昼帯はなくて、夜帯ばっかり…えー、まあ、その時も話題になったんですけど
もう、画面の中の画がですね、ナンかちょっとテレビゲームのような…えー、感じで
やっぱり夜帯なんでね、えー、まあホンット生々しくて…
にも関わらず、それが、その…不謹慎ながら
僕も『わあ!キレイだなあ!』って、一瞬思った訳ですよ

ホントに…まっ、テレビゲームみたいだと、みんながこう…延々、えー、話題になってたんですけど
ナンか、その…キレイだなと思った、その時の自分の自己嫌悪っていうのがあって
えー、まっ、この『レッド・スター』を…まっ、書かしたという感じで…

その直後も、そのあとも延々ですね、こう…色んな映画で、中東の戦いの悲惨さを…
映画で、ほとんど出て来て、もう…直後くらいからもう、出始めてたんですけど
もうホントに10年くらいの間に、相当な数…映画…映画があって
それ、つまり、そのー、初めてなんだよね
あのー、アメリカも派遣…兵隊、こう…派遣してて、だけど、もう行っても行っても砂漠…
砂だけっていう、その…その中での不毛な戦いという感じなんで…

えー、まっ、そんな…そういうのを観つつ、えー、この『レッド・スター』のメッセージを…
まあ…が、生まれたという感じですかね、ええ…
もう、みんな、あのー、僕が上げてるYouTubeっていうのは
結局、その抗議っていうことでのメッセージではあるんですけど
やっぱり、何かの抑止力になればいい、何か…まっ、効果を生めばいいという感じなんで

まあ、あの…みんなですね、あの…その映像どんどん…長くても短くてもいいんで
あのー、そのYouTube観た人は、色んな所にリツイートして
まっ、どんどん拡散して欲しいなと、僕は思ってます
えー、もうそれが何かの効果を生むかも知れないんでね」
…って、これは、ビルボードツアーのMCでも、おっしゃっているそうです

そして…「あの…今、曲かける前に読んだ、そのメールにしても
ホントに、こう…みんなが心を痛めつつ…
で、で、それは、日本が敗戦国だからなんですよね
だから、その時の悲惨さを…つまり、第二次世界大戦(の時)は
まだ国連もNATOも、ちゃんと成立してなかったから…
えー、今は、民間人を殺しちゃいけないというのがあるんだけど…

そのー、日本はもう敗戦国で、どんな状況でも、ひどい…
あの…空襲、フツーは工場とか、そういう…基地とかしか(攻撃しては)いけなかったのに
まあ、あの当時は、その…アメリカは、何も国連も成立してなかったんで
民間もガンガン襲ったんでね、ええ…

まあ、僕は…そうですね、僕、昭和28年生まれ…えー、1953年なんで
おばあちゃんとおふくろから、もう延々『福岡の大空襲をどうやって逃げ回ったか?』とか
そういうのは、ちっちゃい頃から聞かされてたんで
ナンか、観てると、やっぱりこう…痛い、痛むもんね、心がねぇ、ええ…」

…と話されてましたが、奥さんの母上は広島出身で、今住んでる街には疎開でやって来たらしく
そのまま、広島に残っていたら、奥さんも生まれてなかっただろう…といった話を
奥さんも子供の頃によく聞かされていたみたいだけど
そうやって、実際に戦争を知っている世代の方々が少なくなって行ったら
今度は、その世代の方々の話を聴いて育った
我々世代が、次の世代に伝えていかなければなあと…

「ということで、えー、もう1曲かけましょう
これはですね、もう…僕が高校生の時かなあ?
そうですね、中学から高校生にかけての時に、フォーク・クルセダーズっていうですね
えー『帰ってきたヨッパライ』を生んだ、そのバンドのライブ盤の中に入ってる…
えー、これ、レザースターっていう…高石ともやか誰かが、これ
えー、訳詞したんじゃないかと思うんですけど、反戦歌、ね?」

…と、フォーク・クルセダーズの「大統領殿」を流されたあと
「ハイ、ということで、ね?えー『僕らはみんな兄弟だ』っていうフレーズはもう
『ラブ&ピース』の時代ですからね、これ…
ウッドストックもこれだと思えば、えー、まあ、ナンて言うか…これ、あの…
そう!そう!これ、アレですよね、ボリス・ヴィアンが
フランスのド・ゴール大統領に書いた反戦歌…(と、紙をめくる音がして)
なるほど、フランス人なんですね」と説明なさってましたが

ボリス・ヴィアンは、フランスの詩人、小説家、ジャズ評論家
トランペッター、歌手…といった数々の肩書きを持った方で
徴兵カードを受け取った際に「僕は逃げる 戦いたくない 哀れな人を殺したくない」
…と「脱走兵」という詞を書いたそうです
ただ、今、ウクライナで戦っておられる方々は
「戦いたくない」のは同じでも「逃げる」訳にはいかないんですよねぇ(汗)

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甲斐よしひろ BEAT HARDWORK(5/6)2

2022-05-18 15:37:00 | メディア
続いては…かつて、甲斐さんもお見えになった、神戸の『さんちか』にある
ラジオ関西のサテライトスタジオが3月末で終了するとの投稿…
新しい音楽を聴く媒体が主にラジオだった当時、55年続いたこのサテライトスタジオには
「デビューして間もないミュージシャンがよく来ていた」…との一文に「そうですね」と甲斐さん

「今の若者は、ラジオよりYouTubeなどで音楽を聴くようになり」と読まれたトコで
「そうか、YouTubeとか、そういうのでね
あの…ダウンロードとかっていう風になっちゃったんで…」とおっしゃって
「サテライトスタジオは、若者を集めるためのものではなくなった」説に納得されたご様子?

そのサテライトスタジオ最後の特別番組には
アリスのべーやん(堀内孝雄さん)や、ばんばひろふみさん等がお見えになっていた
…といった内容を読み終えられると「…ということで、えー、まっ、僕も実は…
僕もデビューしたての年と、翌年も行ったんですよ、そこ…

で、僕らは、あのー…フツーはですね、そこはライブ絶対やらせないんですけど
まあ、ちっちゃな金魚鉢みたいな、あの…スタジオだったんで…
そこで、片耳イヤホンだけでですね、まっ、あの…モニターもなく生演奏…無理やりやらして貰って…

もう、とにかく、あのー、バンドは『上手くなりたい!』っていうことだけだったんで
もう絶対、生しかやらないと決めてたんで…
まあ、あの…それを飲ませた、ウチの武石さんっていうマネージャーもスゴイんですけど
それを飲んだラジ関もスゴイなあ!と…(笑)」と振り返っておられましたが

確かに、当時かなりの影響力があったラジオという媒体…たとえそれが地方の放送局だとしても
まだ無名に近い新人バンドとしては「出演させて頂きます!」って感じだったでしょうし
ラジオ局の方でも、平身低頭でオファーした訳じゃなかったと思われるし?
開局以来の異例なスタイルだったんじゃないかと…?(笑)

ともあれ…「今、考えたら、あんな狭いトコで、ええ…
だから、ドラムセットもギリギリ置いた感じだったと思うんですけど
そこでね、もうちゃんとやらして貰って…ホント、感慨深いですよ
あの…サテライトスタジオで、えー、生演奏やったの、僕、ここだけなんで…
『さんちか』ねぇ、神戸の…ハイ、えー、懐かしいです、残念ですね、ナンか…」と甲斐さん

ちなみに…このラジ関の番組は「ワイワイヤング」という番組で
甲斐バンドがゲスト出演され、生演奏を披露なさったのは、75年1月22日なんですが
これは、水曜日ということで、当時、中学1年生だった奥さんには
「遠い世界のこと」だったみたいです(苦笑)

ただ、甲斐バンドが生演奏なさったという、阪神淡路大震災前のサテライトスタジオは
今回閉鎖となったスタジオよりは、若干?広かったとはいえ
「あんなスペースによくドラムセットが入ったねぇ!?」とビックリするくらい狭かったし

「生演奏やったの、ここだけ」という甲斐さんの言葉は
武石マネージャーが、甲斐バンドのサテライトスタジオ出演の際には
いつも「生演奏を!」という条件を申し出られていたものの
それに応えてくれたのが、ラジ関だけだった…という風に受け取れますし
担当者の方と、何かしら通じるものがおありだったのかも…?

その後、奥さんが、甲斐バンドがゲストだというので参加した公録番組…
クラスメートのお父さんが、番組スポンサーの会社にお勤めで、招待券を戴いたらしい(笑)
…も、ラジ関の番組で、こちらは、局内の小ホールみたいな所で
各ゲストが3~4曲ずつ披露する形だったそうだけど

歌謡曲畑のゲストの皆さんが、カラオケをバックに歌われたのに対し
甲斐バンドは、もちろん生演奏で、しかもラジオ番組であるにも関わらず
照明に関しても、こだわっていらしたらしく(笑)
「『氷のくちびる』なんて、ちゃんと通常のライブと同じように
赤いライトがピカピカしてた(笑)」との証言もアリマス(笑)

それはともかく…「だけど(閉鎖になったとはいえ)今の今まで続いたっていうのも
まあ、考えたらスゴイなあ!という…(笑)
もう、どこ(のサテライトスタジオ)も、20年くらい前に
もう、どこ…全国ほぼもうなくなってるからね」と甲斐さん

そして、いつもこのエピソードとセットで話される(笑)というエピソード…
「あと、あの…神戸…神戸っていえば、そう、思い出すのがですね
あの…流れるプール…流れるプールでやったの(笑)
えーと…2年目くらい…『裏切りの街角』もうやってたんで…

で、流れるんで、目の前をこう…お客が…お客っていうか
まあ、その(施設に訪れた)人たちが流れて行く訳ですよね?
だから『裏切りの街角』の『♪ラッタタタター♪』ってやって
イントロ聴いた人たちが、バーッて流れて行って
その人たちが戻って来たのが間奏の時だったんですよ

だから、つまり…『えっ!?ひょっとしたら、こ、この人たち、俺…俺たちのことを
インストゥルメンタル・グループって思ってる可能性あるよな』…とかって思いつつ
えー、流れる…流れるプールでやると…スゴイなあ!と思って…
えー、ねぇ?もう、ナンか…なかなか…
そのあともうネタにしてましたもんね、これ…面白いなと思って…」…を披露されてましたが(笑)

奥さんは、いつもこの話を聴くと「イントロ聴いて流れて行った人たちの中に
よっぽど印象に残る人がいないと、戻って来たって判んないよね?(笑)」とツッコんでおります(笑)
ちなみに…こちらは、75年7月29日「きよみづスポーツガーデン」のプールでのことかと…?

でも、そういうキャンペーンで全国を回っていらしたのは
やはり、例の「屈辱のデビューコンサート」以来
「たった何十人でもいいから、俺たち甲斐バンドを聴きに来てくれる
本当のファンを掴むために、必死で歌い始めた」からで

甲斐さんの著書「荒馬のように」の中でも…
「色々な所でやったよ。デパートの屋上でもやったし、ビルの駐車場の横でもやったし
レコード店の店頭で、客寄せのために歌ったりもした
忘れもしない宝塚(?)のプールサイドでも歌った
客が30人とか50人とかはザラだった。子供が鼻を垂らしながら
俺たちが歌ってる前を鬼ごっこしてたりさ。とにかく、どんな所でもやった

それでも俺が、いささかなりとも幸福に感じられたのは
そんな少ない人数であれ、俺たちを目当てに来てくれている人が必ずいるということだった
それは、ものすごい励ましだったし、支えだった
『裏切りの街角』が売れたその年は、俺たちはたったの1日も休んでいない
毎日、どんな所へでも出かけて行って
『裏切りの街角』をヒットさせようという意気込みで必死でやっていた

小さな地方都市のサテライトスタジオにゲストで出たこともあった
普通なら、カラオケのテープを回して、それに合わせて客の前で歌うんだよね
でも、俺たちは絶対に自分たちで演奏して歌うという基本を崩したくはなかった
だから、悪条件でも可能な限りは自分たちで演奏し歌った

それでも、どうしても自分たちで演奏することが出来ない場合は
レコードをかけて貰って、客に向かってお辞儀をしていたよ
でも、デビューコンサートの屈辱に比べたら
そんなことは少しも苦になんかならなかったね、ヘッチャラだったよ

それは、ホンの少しずつかも知れないけれど
確実に俺たちのことが浸透して行ってると思えたし
何人かずつでも理解者が増えて来ていることが伝わって来ていたからね
それがきっと『裏切りの街角』の70万枚に繋がったんだと思う」…と振り返っておられますが

奥さんが「オリジナル」の甲斐バンドにこだわりがあるのも
右も左も判らないまま、福岡から東京に出て来られ
「俺たちは、これからプロとしてやって行くんだ!おいそれとは福岡に帰れないんだ」という
不退転の覚悟を共になさったメンバーでいらしたからであり

また、自分がその過程の一部をリアルタイムで目にしたことと
微力ながら、その甲斐さん達の気持ちの「支え」の1人になっていたと思うことが
当時の自分の存在証明みたいに感じられるからじゃないかと…?
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甲斐よしひろ BEAT HARDWORK(5/6)1

2022-05-17 15:05:00 | メディア
この放送日は、甲斐さんのビルボードライブ&ブルーノートツアー2022が開幕した翌日で
奥さんが、パネルプレゼントの抽選券を入手するため
これ幸いと、大阪3DAYSのオフ日に急用が出来た体で4連休を取り、上京した日です(笑)

もっとも収録は4月末…といっても、そのビルボツアーやベストアルバムのプロモーション
それに、ツアーのリハーサルなど予定がぎっしりでいらしたのか?
メール募集の〆切が4月18日になっていたので
通常の収録日よりは、やや早めだったんじゃないかと…?

で、甲斐さんのオープニングトークは…「えー、まあ、もと…4月の7日にですね
えー、某『セイヤング』っていう番組で、あのー、それ元々…
あの…いつもアシスタントっていうんじゃないと思うけども
ラブリーパートナーっていう…松藤っていう甲斐バンドのドラムが一緒なんですけど

ナンかね、そん時だけナンか『関西でライブがあるの』とか言って
ナンか、アヤシイんですけど、アイツは…『ラブリーパートナー、違う人でやって』って…
阿川(佐和子)さんが快くですね、えー、引き受けてくれて…
で、阿川さんは、もう昔から…まあ、それなりには知ってるんですけど

あの人…『TVタックル』とか、まあ例えば、あの…週刊文春の『阿川対談』とか
そういう、その…自分が、こう…回さなきゃいけない時は
非常に沈着冷静でですね、抑えも利いてるんですけど
片や、急にゲスト側に回るとですね、トンでもなくヤンチャになるっていう人で
あの…悪い目をして、悪い顔で、回す人をイジるっていうか
そういう非常にですね、ナンかこう…『ナンで!?』っていう(感じになられる)…

こないだも、あの…その番組で、冒頭に僕ね
『そういえば、鼻唄好きだよね、阿川さんは…』って言っちゃったもんだから
ナンか、そのキャラを演じなきゃいけないと思ったのか?判んないけど
僕が喋ってる間、ずっと鼻唄ちっちゃく歌ってるっていうですね

それ、あのー、他の人からしたら、そんなに阿川さん…
もちろん、阿川さん有名ですけど、そんな阿川さんの普段は知らない訳だから
『どうしたの!?この人…』っていう感じなんでしょうけど
イヤ、でも、あとで知り合いに訊いたら、みんな『ムチャムチャ面白かったね』って言って
『あっ!これ、面白いんだ(笑)』と思って…えー、僕の友人数人が言ってました(笑)」

…って、もしかしたら、阿川さんの鼻唄に翻弄されながら?(笑)
ナンとか、1時間の生放送を進行なさろうとする
いわば、レアな甲斐さんが「ムチャムチャ面白かった」んじゃないかと…?(笑)

まあ、憧れのジュリー・アンドリュースと「阿川対談」でお会いになった際に
「私がどれほど好きかっていうことをアピールしたくて、7曲くらい歌ったの」という話を
和田誠さんになさったら「阿川佐和子は、ジュリー・アンドリュースに『Enough』と言われた」
…と、エッセイに書かれたと明かされてましたし(笑)
ナカナカ「操縦」が難しい方なような気が…?(失礼!)

ともあれ…「あと、あの…14日、4月の14日…『TOKYO SPEAKEASY』ですね
えー、まっ、以前、あの…船越英一郎さんと…船越さんから呼ばれて、僕、出たんですけど
今度は、まっ、僕が誰かを呼ぶっていうことで
えー、高橋克実くんにお願いしたんですけど…克実くんにお願いする時に…(笑)
えーと…『セールスマンの死』っていう、ナンかパルコ劇場でやってるんですけど…

えー、僕…あっ!今これ、収録してる今日は、4月19日…
あっ!4月19日!松藤の誕生日、ヤな感じだなあ!えー、…っていう4月19日で
段田くん…段田安則くんが、えー、主役の『セールスマンの死
それに、克実くんも出てて…っていうのがあって、もう先にチラシ貰ってる訳ですよ、僕は…

で、チラシ貰ってて、今回はまあコロナっていう…まっ、まん延防止とかって…
あったみたいなんで、あの…昼間の方が多いんですよ、公演が…
で、夜(公演)は、あのー、ちょっと少なくて…
『ここの…ここの週の4日間から5日間は、絶対大丈夫だと…(笑)
夜の公演も1回か2回しか入ってないし、オマケに週の頭は休み
月曜日休みだったら、絶対大丈夫だな』っていう風に

えー、全部…えー、スケジュールを頭ん中で押さえといて、電話したんですよ、僕…
『克実くん、出ない?』って言って…(笑)
『甲斐さん、そういうの…番組は船越さんでしょ?やっぱり…』って言うんですけど
『違うんだよ、前回、船越さんから呼ばれて、それ、出てるんで
船越さんとは、俺、もうやれないんだよね』って言ったら『そうかあ…』…
で…『オマケにさあ、スケジュール全部、こう大丈夫だよね?(笑)』

もう、ナンての?人間として、非の打ち所のないサイテーなヤツっていう…(笑)
それ、マネージャーもそこまで押さえないからね、フツー
えー、…っていう、もう完全に断れない図式が出来上がってて…(笑)
オマケに、僕、あのー、12時からだと思ってたんですよ(その)番組…したら、ホントは1時だった…
だからもう、12時半過ぎくらいに入んなきゃいけない訳じゃないですか、1時から(始まるから)

で、オマケにですね、えー、まっ、こう言っちゃナンなんですけど
ギャラとは言えないギャラで…で、もう申し訳ないんですけど、番組の方に…(笑)
でも、しょうがないから、4日か5日前にメール打って(貰って?(笑))
あのー『騙したみたいな形でホントにゴメンなさい、申し訳ない』って言って…(笑)
で、あの…『当日、盛り上がるように頑張ります!』って、メール打ってですね

したら、もうちゃんと『イヤイヤ、トンでもない!』
あのー『ホントにご丁寧に…』みたいな…まっ、メール返って来たんで…
えー、でも、ナンか非常に…ナカナカ『SPEAKEASY』イイ感じ、ね?
言われたんで、良かった!良かった!ということで…
で、オマケに、あのー、高橋克実と僕しかいないのに
段田安則がまるでそこにいるかのように、延々、段田くんの話をするっていう…(笑)

その…あの…昔、もう何年前だ?10年くらい前に、あまりに…
ホントにスゴいんで(段田さんの演技が)上手くて、ヤバいんで(笑)
僕が、そのあと…芝居がハネて克実くんと2人でメシ屋に行って
段田…フツー、段田くん、メシ(打ち上げ)めったに来ないんですけど
僕が(芝居を観に)行った時は、絶対来てくれるんですよ

そいで、段田くんが(お店に)着く前に、2人で『ヤバいよね、今日で芝居もやっぱり』って言って
『これはもう「サー」の称号を与えた方がいい』って言って
えー『サー・段田安則』(笑)って言ってて
その時から僕らは『サー・段田』『サー・段田』って、ずっと言ってるんですけど(笑)
えー、まあ、そういう話をしつつね、非常にこう…盛り上がって
良かった!良かった!ということでした、ハイ」

…という風に、ビルボードツアー大阪公演でも触れられていた
というか、こちらで話されたようなことを、かいつまんでMCネタになさっていた訳ですが…
克実さんへの詰め寄り方?(笑)が「狙った獲物は逃さない」凄腕ハンターみたいですね?(笑)

インターバルを挟んで、ジングルが鳴り終わると、いきなり曲が流れ始め
そのイントロをバックに「『LEGENDS・甲斐よしひろ BEAT HARDWORK』!
まずは、えー、発売したばかりのね、4月の27日…
えー、僕のソロワークとKAIFIVEの…えー、まあ、ベストアルバム
『FLASH BACK』から1曲聴いて下さい」と甲斐さん

KAIFIVEの「ラヴ・ジャック」をおかけになったあと…
「ハイ、ということで…これは、KAIFIVEの2弾目のシングルということですね
『ラヴ・ジャック』ねぇ?良い音です!ハイ
ジョン・デイヴィスっていう、今、ロンドンで一番良い…
ツェッペリンとかやってる…ツェッペリンBOXとかをやってる人ですよね
えー、そのデジタルマスタリング・エンジニアがですね、えー、やってくれた
良い…ナカナカ良い音ですね、ハイ」と話され
その出来映えに満足なさっているご様子でした
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ビルボードツアー2022(大阪5/7・5/8)5ネタバレあり

2022-05-15 18:57:00 | ライブ
昨日の記事は「MC特集」みたいになっちゃって「どうするべぇか?」と思ってる内に
保存をかけないまま、ネットニュースを見てしまい、気づくと「ふりだしに戻る」状態…(汗)
折れた心を励ましつつ、ナンとか脱稿致しました!(笑)

一方、奥さんは、甲斐さんのパネルプレゼントの当選者発表の日
朝から、タワレコ新宿店のサイトをブックマークして
ビルボツアー参戦のシワ寄せで、かなりタイトになったシフトをナンとかこなすために
疲れ果てた体を騙し(笑)出勤したものの、昼休みに当選番号を確認しようとしたら
肝心の抽選券を家に置いて来たことに気づき「やっぱ疲れてんのかなあ…」と…(苦笑)

とりあえず当選番号をチェックしたところ、ナンとなあ~く見覚えのある数字が1つあり
…って、元々、クジ運は至ってよろしくない上に(笑)
自分が引き当てた抽選券の番号が、2枚とも3ケタで
「こんなに買った人がいるんじゃ無理だよ…」という確率の問題に加え
「その3ケタの数字がまた、イケてない数字だし、全く当たる気がしない(笑)」と言っていたので

ホントに「ナンとなあ~く」しか記憶に残っておらず(苦笑)
「もしかしたら、百番台の抽選券と二百番台の券の下2ケタを勘違いしてるのかも知れない」と
ぬか喜びしないように己に言い聞かせながら、勤務を終え
帰宅するなり、抽選券を取り出すと、妙なウメキ声を発し(笑)
タワレコ新宿店のサイトを開いて、画面と抽選券を何度も見比べ「当たってる~!」と…(笑)

「買わない宝くじは当たらない!」という言葉を支えに(笑)
わざわざ上京して、すでに3枚持っているアルバムを更に2枚購入した(笑)
その甲斐はあったということで「めでたし、めでたし」
…っていうか、ボクも宝くじ買おうかなあ?(笑)

もっとも、10枚のパネルの内、どのパネルが当たったのか?は
次のビルボ横浜公演の際に、新宿店へパネルを引き取りに行くまでのお楽しみなんだけど
当選した当日ですら「どれが当たったとしても文句は…言うかな?(笑)」と言ってた奥さん(苦笑)

当選番号が横並びに発表されているページを見て
自分の当選番号が何番目に表示されているかを数え
次に「パネル展」の写真で、10枚のパネルを縦に数えたり横に数えたりして
当たったパネルを予想した結果「1番欲しいヤツも2番目に欲しいヤツもムリ~!
それどころか、一番要らないと思ったヤツかも知れない…」とブツブツ(苦笑)

ボクが「何、贅沢なことを…」と言ったら
「なけなしの運を使い果たした気分なのに、その使い道くらい選べたってよくね?」と…(笑)
クジ運の悪い人生を歩んで来た者らしいというかナンというか…(笑)
それでも、とりあえず甲斐さんのラジオ番組に当選報告のメールは送ったようです(笑)

ただ、他のアーティストのパネルが当たったという方々のツイートを拝見する限り
引き取りの際には、抽選券を渡し、当選券であることが確認されると
プレゼント用のパネルが用意されている箱の中から
お店の方が任意に選ばれたものを渡されるとのことなので
抽選券の番号とパネルが紐付けられている訳じゃないみたいだけど…?(笑)

それはさておき…本編ラスト曲「風の中の火のように」が終わり
演者の皆さんが、いったんステージを降りられる際には
メンバーの皆さんが先にステージ上手側奥のカーテンの向こうに下がられ
甲斐さんが一番最後に戻って行かれるんですが

その間、スタッフの方がカーテンを持ち上げたままでいらっしゃるので
そのカーテンの前の席にいる奥さんには、メンバーの皆さんが笑顔で何か話をしながら
甲斐さんを待っておられるご様子が窺えたらしく
「ステージに立ってる人が楽しそうなライブは良いライブ」という持論が
また1つ証明されたような気がして、とても嬉しかったんだとか…(笑)

やがて、演者の皆さんが再びステージに登場され、アンコール1曲目は「汽笛の響き」
冒頭の山田さんと鈴木さんの掛け合いから、大きな手拍子が起こり
サビの部分では「絶対みんな、マスクの下で歌ってるよね?(笑)」ってくらいの
「ハミング」が聞こえて、奥さんクスクス(笑)
まあ、本人も「それじゃあ…」とハミングしたみたいです(笑)

アンコール2曲目の「八日目の朝」は、初日に続き、3日目も手拍子が始まったそうだけど
「いかんせん、リズムがバラバラ…(苦笑)」で
奥さんは、もっぱら鈴木さんのバンジョーに合わせて暴れまくっていたらしい(笑)

ここで、甲斐さんが「ビルボードライブの客の熱の伝わり方は独特で素晴らしい!」
3日目には「独特で懐かしいなあ!」とおっしゃったそうで
改めて、甲斐バンドでのビルボツアーは「スペシャル」なものであり
甲斐さんは、この本来のスタイルでのライブをやりたいと
思っていらしたことが伝わって来たみたいです

そして、今回のツアーの大トリ「目線を上げて」
ステージを重ねられるに連れ、高音部を歌われる甲斐さんの声から
苦しげな感じ(失礼!)が、なくなって来たらしく
「この曲に込められたメッセージが、グッと刺さって来るようになった」と奥さん

この曲のリリース当時、甲斐さんは「こんな世の中だけど、せめて目線は上げて行こうよ」
…と呼びかけていらっしゃいましたが、今回は、タワレコの特別レシートに記された
「転がる自分を信じろ!」というフレーズに、より重点を置かれているような気が…?

すべての演奏を終えられたあと、今年もやはりコロナ禍ということで
メンバー全員で肩を組んだり、握手をしたり…といった光景は見られなかったみたいですが
全員揃って、客席に深く頭を下げられ…って、この時、山田さんだけ両手を前に組んでおられ
「きちんとしたお家の方なんだなあ」と奥さん
今回は、フィドルが大活躍の曲が多く、甲斐さんのMCの間も
熱心にフィドルのチェックをなさっている山田さんの姿がたびたび見られたそうです

2日目には、ステージを引き上げようとされた木村さんに
甲斐さんが、小突くみたいな肘タッチをなさって、珍しく木村さんビックリの表情(笑)
もっとも、3日目には、木村さんも心の準備が出来ていらしたようだけど(笑)

木村さん→鈴木さん→と肘タッチをなさって、山田さんの元へ行かれた時には
山田さんがステージ奥のカーテンの方へ向かおうとされていて
ナンの弾みか?甲斐さんの肘が山田さんの肩に乗ってしまい
奥さんは「子供がじゃれてるみたい(笑)」とクスクス(笑)

ともあれ…「今ツアーの皮切りとしての役割は充分に果たせた」という感じの3日間だったらしく
この先ももちろん、進化・深化して行かれるであろう「甲斐よしひろバンド」に
ますます期待が高まっているみたいです♪

そのバンドメンバーの皆さんは、ご自身のツイッターで感想を呟かれていて
鈴木さんは、2日目終了後に…「甲斐よしひろ ビルボード大阪2日目
楽屋でもずっとより良いステージのためのディスカッション かなり仕上がってる
今日のビルボード かなり良いのでは?と思ってる
明日は3日目 さらにブラッシュアップ!」…とツイートされ

その3日目には…「甲斐よしひろ ビルボード大阪3日目 最終日ありがとうございました
リハ&楽屋でディスカッションし オーディエンスの皆さんの前で
ライブで演奏して育っていく 楽しい 良いライブだったと思う
コーラスの声 でかすぎたみたいで大変失礼しました…」
…と更なる高みへ上ろうとなさってるご様子ですし

木村さんは「甲斐さん ビルボード大阪6公演でした!次回はビルボード横浜!」と
シンプルながらも「!」マークに、次のステージへ向けての意気込みが感じられます(笑)

そして、3年ぶりに復帰なさった山田さんは…
「甲斐よしひろ Billboard Live OSAKA 長そうであっという間の6公演でした!
この何とも言えない緊張感を楽しめるようになった 自分も成長したなぁと思う一方
まだまだなことが沢山で日々学ぶことが多くて感謝です
次はビルボード横浜!手洗いうがいをしっかりして次回も楽しみましょう!」…と呟かれていて

ボクが「3年前よりも、良い意味で欲が出て来られたような感じがする」と言うと
奥さんも「そう!そう!演奏してる時も、ずいぶんアグレッシブになったなあって思った!
今までは、ナンか甲斐さんに言われた通りに弾いてるように感じてたけど
今回は、自分からもアイデアを出してるみたいな…衣装のシャツもメッチャかわいいし(笑)
(甲斐友さん達も)みんな『拓斗くん、大人っぽくなったね』って言ってたし…」との返事で
山田さんのプレイにも「要注目!」のようですね?

余談ですが…奥さんの主観まみれの話を、ボクの拙い文章力でご紹介して
どこまで伝わるものなのか?全く自信はないんだけど(汗)
毎回、甲斐さんのツアーが始まるたびに「アリエナーイ!(笑)」くらい
大勢の皆さんに読んで頂いて恐縮しております(汗)

奥さんによれば…ビルボードライブが発行している冊子や公式サイトの
「甲斐よしひろ 予約受付中」の欄に掲載されている紹介文が
「全てを物語っている」そうなので、最後にご紹介しておきます

「2015年のスタート以来、常に進化と深化を重ねてきた
甲斐よしひろのビルボードライブ・シリーズ!
今年で8年目を迎え、斬新な発想を鮮やかに音楽化しながら
オーディエンスの心を震わせる熱いサウンドを鳴らし続けてきた
今回はどのような深化をみせるのか?
甲斐の圧倒的な存在感をダイレクトに浴びながら
その音楽的挑戦、野心的なステージングをたっぷり味わって欲しい」

これからツアーに参戦される皆さま、存分にご堪能下さい♪
あっ!でも、ご自身で体験なさったライブと、このブログの内容が
あまりにかけ離れていたとしても、何卒ご容赦を…m(__)m
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ビルボードツアー2022(大阪5/7・5/8)4ネタバレなし

2022-05-14 15:34:00 | ライブ
大阪公演2日目の1stステージで「1回目なのに素晴らしい!」と
観客のノリ具合にお褒めの言葉を口になさった甲斐さん
でも、3日目の2ndステージでは「さっきの1回目、途中から腹立ってたんだよね、実は…」
…と、ビルボツアーならではの緊張感が漂う客席の雰囲気がご不満だったご様子?(汗)

イヤ、奥さんによれば…甲斐さんのイメージとして、フツーなら徐々に緊張がほぐれて来て
後半へ向かって高まって来る…みたいな流れになるところ
3日目の1stステージには、その空気の変化が、お感じになれなかったらしく?
まあ「のれんに腕押し」というか、打っても響かない感じがおありだったみたいで(汗)

…って、奥さん自身は、ヘラヘラと甲斐さんを見つめながら(笑)
曲に合わせて、椅子の上でリズムを取っていただけだったようで
そんな雰囲気には全く気づいていなかったんですが(苦笑)
そこから「去年(のビルボードツアーの)東京でブチ切れたんだよね」と話は転がり
「それ、まだ言いますか!?」と奥さん(苦笑)

その時は、マンボウに代わって緊急事態宣言が発令されたこともあり
ビルボ東京側が、かなりナーバスになっていて
開演前から、スタンディングや発声することに関して
テーブルごとやグループごとにではなく、観客1人1人に注意をしに回って来たために
注意に従わないファンが多いと、甲斐さんに迷惑がかかるんじゃないか?とか
今後、会場として使えなくなるんじゃないか?…といった心配も相まって
「ダメだ、こりゃ…」な空気になってしまい(汗)

甲斐さんから「打っても響かない!」とのお叱りを受けたそうだけど
その際に、甲斐さんご自身が「スタッフに何か言われたのか!?」とおっしゃったらしく
「判ってんなら、甲斐さんからビルボに一言、言ってくれればよかったのに…」と
奥さん達は奥さん達で、そのお怒りが理不尽に感じられて、不満だったみたいです(笑)

ただ、今回は、後半の弾け方がスゴかったようで、最初は「ハイハイ、これね(笑)」と
いつもの固い雰囲気に思われたものの、その後も一向に変化がなくて
「2~3回、蹴ろうかと思った」ほど苛立たっていらしたのが
「人間ね、ずっと抑圧してると、あとがトンでもないことになる(笑)
まあ、嬉しかったんですけど…(笑)」と結果オーライだった模様…(笑)

そういえば、以前に松藤さんが、甲斐バンドツアーの大阪公演直前に
「こっちが何もしなくても、ヤツらは勝手に盛り上がりますから(笑)」
…と、笑っていらしたことがあったし(笑)この3日目の1stステージでは
前日の1stステージが弾けていた反動も手伝って?
「大阪で3日目なのにオカシイなあ…」的な印象をお持ちだったのかも知れませんね?(笑)

大阪といえば…初日のMCでは「今年は大阪でもディナーショーをやる
たぶん、やれると思うんですけど…」みたいなニュアンスでいらしたのが
2日目からは、開催が確定したようで「どこでやるか?…そりゃプリンスでしょ?」とか
「12月の28日」という日付も発表されたらしいんですが

昨年末のディナーショーでは「1曲目から、もう後ろの方(の観客)が揺れてて…
ナンなんだろう?と思って、あとでスタッフに訊いたら
『スイマセン、(ディナータイムは)飲み放題だったんです』って…(笑)
甲斐バンドのファンに飲み放題はダメだろ!(笑)
ビールやワインやカクテルまであって…」と話されてる途中で

今、気がついたけど…東京でアレだよ?大阪なんて絶対、飲み放題ダメじゃん!(笑)
制限しないと…ビール2杯までとか、焼酎2杯までとか…
あっ、でも、ビールとチューハイだけにしたら、それをめっちゃ飲むよね(笑)
大阪の人、自制して下さい(笑)」と話の方向がズレて来て
その東京の「飲み放題」で、やらかした(笑)我が家の住人は
「今度は絶対に飲まない!」と決意した模様(笑)

そうそう!3日目は、特にMCが長かったらしく、甲斐さんが、メンバーの皆さんに
「話、長くなるから、座ってていいよ(笑)」とおっしゃったというくらい…って
メンバーのお三方はどう思われたか存じませんが、観客のほとんど全員が心の中で
「イヤイヤ!『座ってていいよ』って、椅子ねぇし!(笑)」
ツッコんだのは間違いないんじゃないかと…?(笑)

ナンせ、かつてのKAIFIVEライブで、オールスタンディング・スタイルなのにも関わらず
開演前に「カメラ・テープレコーダーの持ち込み禁止」等の注意事項がアナウンスされたあと
「それでは、開演までお席に掛けてお待ち下さい」との言葉が続いた途端
観客から総ツッコミが入った街ですから(笑)…それも3日間ずっと…(笑)

ともあれ…「ステージから見てると、その街の客の気品みたいなものが判る」と甲斐さん
「飲み放題」の話の時にも触れられた「東大阪とか河内とか」の地名を挙げられ
その東大阪から花園ラグビー場でのライブを連想なさったらしく
「そういえば、花園ラグビー場の近くにお好み焼屋があって
そこでお好み焼1枚だけ食べて帰りました(笑)」

…と、まるでライブ終了後に行かれたように話されたそうで
奥さんは「イヤイヤ、その日は『ほろ苦いハリハリ鍋』でしょ?
ラグビー場近くのお好み焼屋さんに行ったのは『大阪巡り』みたいな番組で
当時ライブに参戦していたファンと話すためだったじゃん(笑)」とツッコミ(笑)

それはともかく…「SWITCHインタビュー」に出演なさった話にしても
「最初に僕にオファーが来て、僕が相手を選ぶんだけど…岸部一徳さん…それから役所広司…
でも、2人とも、そんなに活発に話す感じじゃないんで…やっぱり、打てば響く相手じゃないと…」
…って、候補者リストから松重豊さんが消えてますが…?(笑)

実際に番組で対談なさった中井貴一さんについては…
「僕、段田安則って役者がすごい好きで、段田くんに紹介して貰ったんですよ
段田くんと中井貴一さん、おんなじ楽屋だったんで…」というなれそめから
「ネタ持ってる人は強いんですよ!」と、中井さんが「はなまるマーケット」で話されたという
例の学歴詐称議員の話…中井さんの奥様が、その詐称に使われたペパーダイン大学の卒業生で

「短期留学なんかアリエナーイ!」「復学なんてない!ない!アリエナーイ!」
…と、おっしゃっていたのをご覧になった…ナンなら、そのあと「徹子の部屋」でも
同じネタを披露なさっていたのもご覧になったと明かされ(笑)
その議員が、朝の8時半から演説していたのが
「俺が育った大橋って街の駅前で『ナンだ!?こいつ!』って…(笑)」
…と、思われたことまで披露なさったあと(笑)

昨年12月に、本来2回に分けて収録するところ、コロナ禍のため
1日で撮り終えられたら「てっぺん…12時過ぎてた」そうですが(汗)
NHKはスゴイねぇ!編集が素晴らしい!すごい頑張ってくれて…」と大絶賛
その放送回が、番組編成によるお引っ越し前の最終回で
今は、日時を変え継続中であることも紹介なさっていたんだとか…(笑)

で…「ネタを持ってる人は強い」という話から「松藤は、いっぱいネタ持ってんだよ」と
かつて、松藤さんが「一生懸命お金貯めて、やっと買った
『プレイボーイ』のグラビアが、カルーセル麻紀だったとか(笑)
(ツアーで行かれた)広島の駐車場で、こ~んな低いトコにあったチェーンに蹴つまずいて
頭打って『大丈夫!大丈夫!』って…大丈夫じゃないじゃん、頭から血が出てるのに…(笑)

でも、その次の日、松藤のドラム最高!(笑)力が抜けてて…(笑)
『松藤、それ!それ!いつもそうやって力抜いて』って…(笑)
イイなあ!松藤は…いっぱいネタ持ってて…(笑)」
…と、かなり本気で羨ましがっていらしたようです(笑)

2年連続で、甲斐バンドでのビルボツアーに参加なさって
松藤さんともずいぶん親しくなられたあろう鈴木さんと木村さんは
そう話されている甲斐さんの後ろで、ケラケラと楽しげに笑っておられたらしく(笑)
「松藤さんって、年上にも年下にも愛されキャラなんだなあ(笑)」と奥さん
「まあ、イジられキャラとも言えるけど…(笑)」とクスクス(失礼!)

でも、そういう良い意味で「隙がある」というか、ツッコミどころ満載って感じの方(失礼!)は
「チーム」の潤滑油として欠かせない存在なんじゃないかと…?

余談ですが…2日目のライブがハネたあと
奥さんは、本当に久しぶりに甲斐友さん達と打ち上げに行き、アルコールは飲まなかったのに
やはり、東京から帰ったその足でライブに参戦して疲れていたのか?
自宅の最寄り駅の1つ手前の駅を過ぎたあとにウトウトしたみたいで
ふと気づくと、1駅乗り越していたらしく、慌てて下車(苦笑)

でも、その列車は姫路方面まで行く列車だったので「1駅で済んでよかった~!」と思い
上り電車に乗り換えようとしたら、コロナ禍で減収となったJR西日本…
上り電車の発車時刻が繰り上げられ、すでに終電も走り去ったあとで
仕方なくタクシーで帰って来たんだけど(苦笑)
そういう意味でも「1駅で済んでよかった~!」と申しておりました(笑)
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