こちらも、まごうことなき(笑)甲斐バンドツアーのプロモーションですが
甲斐さんは、近藤真彦さんの番組の中の「週末の対談~マッチ・オブ・ザ・ウィークエンド」
…というコーナーに、4月のマンスリーゲストとしてご登場ということで
全4回に分けてオンエアされた対談の第1回目をご紹介します♪
番組開始29分から「HERO」が流れ、CMを挟んで
34分過ぎに近藤さんが「マンスリーゲストはこの方です!甲斐よしひろさんです!」とコールされ
「甲斐です、よろしくお願いしまーす」と甲斐さん
…って、名字だけ名乗られるの珍しいですよね?
近藤さんが「イヤー、会える日がこうして…」と話し始められるのへ
「そうですねぇー」とカブセられたものの(笑)
そのあとは「僕、あの…何十年も前なんですけれども
甲斐さんに曲を書いて頂いて…」という近藤さんの言葉に「ハイハイ」とか(笑)
「『ブルーシティ』という曲を…」に「ハイ」とか(笑)
「…書いて頂いたことがあるんですけれども
あの頃、僕はあのー、中学生の…3年生だったかな?
男友達と初めて男友達の家に一泊して…」「ハイ」と相槌に留められ(笑)
「その時に、バックミュージックに甲斐バンドがずーっと流れてたんですよ
で、イヤー、男友達同士でナンかね、気持ちが…『俺たち、今コレだよな!』みたいな(笑)
そんな男の、まあ…少年の心をね、グサッとこう…
かき回されたようなイメージが…」とおっしゃったトコで完全にカブセられて(笑)
「いえいえ、ありがとうございます」と甲斐さん
「ナンか、そういう…小・中の時って
ホントに好きなものだけ聴いてますもんね、男たちは…野郎といる時はね
だから、共感とか共鳴とか出来るものじゃないとね
好きか嫌いかしかもうないんで…(笑)」と、近藤さんの相槌をものともせずに話されると(笑)
近藤さんは「ええ、だからもう…あと声と…甲斐さんの声と、ナンか、詞とメロと
僕、そんなに音楽詳しくない…中2中3の頃だったんで
まあ『テレフォン・ノイローゼ』辺りからガーッ!と来て
もう『HERO』でドカーン!と行ってみたいな…そんな時代を過ごしましたけども」と振り返られ
ボクは、その接点にちょっと意外な感じがしたんですが
奥さんは、当時の少女マンガ誌や「セブンティーン」などに
甲斐バンドの記事やグラビアを見つけては買っていたらしく
それには必ずと言っていいくらい「たのきん」の記事が載っていたそうで
「まあ『HERO』以降の同期みたいなもんじゃない?(笑)」と…(笑)
ともあれ…甲斐さんは「ありがとうございます
ナンか、あの…金八かナンかで…『金八先生』の時に、僕の『特効薬』がかかって…
それで、ナンか商店街かナンかを、こう…グレた感じで歩いてる時に…
それがもう、僕、当時NHKの方で…FMで(番組を)やってたんですけど
ドーン!と来て…ま、あの頃、ハガキですけどね
ドーン!とナンか…(『かかってたよ!って…?』と近藤さん)
かかってた…かかってるだけで、こんなに来るんだ!?って(笑)
それはビックリしましたけど…ハイ」と笑っておられましたが
奥さんは「金八先生」どストライクの世代で
下手したら(笑)卒業式で「贈る言葉」を歌う羽目になったかも知れなかったにも関わらず
「金八先生」を1度も観たことがなく(笑)
残念ながら、この時の「特効薬」は聴けなかったんだとか…(笑)
でも、甲斐さんも「金八先生」が、福岡の先輩でいらっしゃることには触れられず…(笑)
…と思った途端に「甲斐さん、ご出身、福岡なんですね?」と近藤さん(笑)
「そうです、そうです」という甲斐さんのお返事を受けて
「金八先生」の話題を振られるのかと身構えていたら(笑)
「あのー、ちょっと失礼なんですけど
僕よりたぶん10コくらい上なんですよね?僕、56に…今度なるんで…
福岡時代の…訊きたいこといっぱいあるんですけど
甲斐少年は、どんな少年だったか?…ま、例えば小学生くらいだったら…」との質問で(笑)
甲斐さんが「イヤ、小学校はわりと…兄貴が…上に3人いるんで…
とにかく、僕、生まれて育った街が、一番、繁華街…色街で繁華街でっていう…
だから、斜め前に…皆さんご存知ないかも知れないけど…遊廓っていう
でっかい遊廓みたいなのがあって、そのちょっと先の方に行くと、でっかいグランドキャバレーが…
いわゆるその…生バンドが生演奏するようなトコがあって…
(『夜の街ですね、じゃあ』と近藤さん)…そうなんです
そいで、スナックからナンから、とにかく軒並みあって…
だから、そこが寂れて行って、その…中洲の方に移って行ったんですけど
とにかく、天神っていう街…いわゆる博多のど真ん中に一番近い、まあ繁華街
花街みたいなトコなんですけど…」と、ご生誕の地について説明なさると
「それ、少年にとっては、ちょっと環境悪いですねぇ(笑)」と近藤さん(笑)
でも、甲斐さんは「だから、逆に言うと、小学校に上がって
『みんな平等だ』とか言うじゃない?
イヤイヤ、平等じゃないし!みたいな…もう、もう知ってましたからね
もう、ほら、色んな種類の人たちがいっぱいいるから
だからもう、こう…3~4歳の頃にナンか、そういうトコで生まれて育ってたんで
逆にあとは、すごいもう楽しかったんですけど…」と話されていて
「社会の縮図みたいな街」と自ら評された土地で過ごされたことを
「幾つになっても忘れてはいけない」と思っておられるんだなあと…
「あのー、ま、6歳の頃に引っ越して…
で…そこ、結構、田んぼがいっぱいあるような街だったんですよ、今度…逆に…
いきなり、だから、カエルの声で怖くて眠れないようなね、ホントに…
ま、2~3年で、ベッドタウンになって行くんですけど…
その時にはもう…もう既に洋楽とかは全然聴いてたんで…
ウチの親父、あの…商売やって大当たりしてたんですけど
夜な夜な、さっき言ったキャバレーで生演奏してたんです
で、当時、福岡って、あのー、東京から色んなミュージシャンが来て
で、福岡のミュージシャンと一緒になって、長崎から日本丸っていうのに乗って
それが『上海バンスキング』っていう…
有名な香港の和平飯店っていうトコで演奏して帰って来る…1ヶ月とか2週間とか…
その一行に、ウチの親父もいたんで、あの…ま、楽器はいっぱいあるし
生ギター…ナンての?楽譜からレコードから…
だから、洋楽も邦楽も、自分の中では全然一緒で…
だからこう…メロディで泣きたいんだったら、洋楽ばっかり聴いてるんですけど
日本語で泣きたい時あるじゃないですか
それで、同じように歌謡曲も聴いてたんですよ」
…と「音楽に溢れた環境」で、お育ちになったことを明かされると
「日本語で泣きたい時…」に「あります!判るなあー!」と反応なさっていた近藤さんが
「甲斐さんの詞は泣けますもんね
イヤ、たぶん僕、コンサート行ったら泣けますね、絶対泣けます!」宣言(笑)
でも、甲斐さんは、褒められるのは苦手でいらっしゃるからか?(笑)
「僕、あの『ブルーシティ』書いた時は、超リアルなのを書き過ぎて
ホント、ホントにスイマセン!(笑)むちゃリアルだったね(笑)」
…と、当時の芸能人同士の恋愛事情に斬り込んだ?(笑)
歌詞をお書きになったことに触れられてましたが
奥さんは、甲斐さんが近藤さんのラジオ番組に出たとおっしゃった時に
「あの歌詞の意味をご本人に言っちゃたの?」と思ったのが現実となり(笑)
「まあ、今だからイイようなもんだけど…」と苦笑い(苦笑)
確かに当時のアイドルは、まだ今ほど自由じゃなかったですもんねぇ(苦笑)
それでも、近藤さんは「今朝も僕ね、ちょっとそれ聴いて来まして…
イヤー、もうホントに、あの…甲斐さんに書いて貰って…
でももう…今となったら、もうちょっとなあ…
まともに歌えたのになって思うんですけどね
少年だったんで、まだ…背伸びしすぎたかな?
これからも大事に歌わして頂こうかと…」
…と、甲斐さんが、この収録を終えられた後のセイヤングで
「変な言い方なんですけど、すっごい大人になって…
それは当たり前なんですけど」と話されていたように
いたって大人の対応で、ホッと致しました(笑)
そして…「少年時代の甲斐さんは、ま、要するに、大人の男女の物語とか、乱暴者だとか(笑)
酔っ払ってフラフラしてるの全部見てた訳ですね」と近藤さん(笑)
甲斐さんは「そうそう!そうそう!(笑)だから、そうですね…
だから、とにかくロックも、小学校の3年の途中で、ビートルズなんですよ
だけど、それはビートルズだけじゃない…リバプールサウンズって言って
ストーンズとかキンクスとか…っていうのも全部一緒に聴いてたんで…
だから、もう基本的にはフォーク…フォークっぽいのを中学校からやってましたけど
でも、頭ん中、鳴ってるのはロックのサウンドが鳴ってたんで…
僕、レコード会社と契約した時、ソロシンガーなんですよ
(『あっ!バンドじゃなかった?』と近藤さん)…なかったんですよ
こう…ハーモニカ、こう…ディランみたいに…だけど、バンドの音しか鳴ってないから
だからもう…契約する時に『もう実はバンドのメンバー決めてるんだけど』って言って
レコード会社が、のけぞる…っていう感じだったんですけど(笑)」
…と、甲斐バンドフリークの皆さんには、お馴染みのエピソードを披露されると(笑)
近藤さんは「だから甲斐さんの歌は、フォークの…何となく匂いがする詞があって
その裏で、ドッカンドッカンっていうロックがあるんですよね」と返され
その間「うん、うん」「そうです、そうです」と頷きながら聴いていらした甲斐さんが(笑)
「そう!だから、メロディとかサウンド、大事だけど、歌詞がやっぱりね
まあ、泣けた方が良いじゃないですか、ね?」
…と、おそらく?身を乗り出して(笑)お訊ねになり
「ある曲は、すごくポップな感じがするんだけど
ある曲は、ちょっと演歌チックな詞があったりする」とのお答えに大笑いなさって(笑)
「ああ、ハイハイ」「なるほどね、ちょっとそういうメロディ的な…
そういう節回し的なトーンありますよね」とおっしゃってましたが
そういえば、宇崎竜童さんプロデュースの「上海帰りのリル」や
「夜霧のブルース」のカバーが大層お気に入りでいらっしゃいましたよね?(笑)
近藤さんが「僕は、デビューした時に、やっぱりポップじゃなかったんですね
何となくブルースじゃない、演歌じゃないポップスみたいな…
『スニーカーぶる~す』って曲がそうだったんですけど
やっぱり、詞はね、ブルースっていう…」と話されたトコで「イヤ、でもねぇ」と甲斐さん
「スニーカーぶる~す」について何か?と思いきや
「『♪あばよ ブルージーン お前と…♪』ってあるじゃないですか
僕、あれ、カラオケで真っ先に歌うんですけど…大好きなんですけど、あれ…
あれは、非常に通じるものがありますよ」と「ブルージーンズ・メモリー」のお話へ…(笑)
サンストの「カラオケ大会」で、この曲を歌われた際
「コーフンして、マイクに突っ込んでしまいましたが(笑)」
…と、おっしゃったくらいの熱唱ぶりでしたけど(笑)
奥さんは「今もカラオケで歌う時に『さよならなんて言えないよ!バカヤロー!』って
ちゃんとセリフも言ってるのかな?(笑)」とクスクス(笑)
ともあれ…「あの…マイナー7なんだけど
でも、ちゃんとこう…リズムとしては強いんだけど、絶対泣かせて…
絶対泣かせるところがあるじゃないですか
ああいう感じがないとダメだよね」と甲斐さん
「ナゼかは判らないけど心惹かれる(笑)」という「ヤマトナデシコ七変化」や
「死ぬほど好き(笑)」な「青春アミーゴ」も「ああいう感じ」なんでしょうね?(笑)
近藤さんが「僕もそこ好きなんですよね、絶対崩したくなかったです
ちょっと暗いんですけどね、詞は…」とおっしゃると
甲斐さんは「詞、暗いですかね?でも、あれ、みんな歌えるでしょ?だって…逆に、一緒に…
ああいうのがイイと思うけどねぇ
みんなが歌えるってことは、つまり暗くないんですよ
暗い歌って、ホントにみんな歌わないから」と説明され
半信半疑なご様子だった近藤さんも「甲斐さんのライブだと
『♪テレフォン・ノイローゼ Aha♪』…みんなそうですもんね
あれは、ちょっと鳥肌立ちますね」とご納得?(笑)
「そうそう!そうなんですよ!あれ、生ギター1本で
武道館で1人でやってました(笑)」という甲斐さんの言葉に
「男…いい年の男がみんな『♪テレフォン・ノイローゼ♪』
あれは、やっぱり甲斐さんの魅力だと思いますね」と返されるのにカブセて(笑)
「でも、その貴方のヤツもよく、すぐみんな歌えるじゃないですか」と甲斐さん
「特にサビ!サビ一緒に歌える…で、バン!って歌わなくなっても
(観客が)勝手に歌ってる…って、ライブでもあるじゃないですか
あれが一番だと思うんだよね」と甲斐さんのライブでよくある光景(笑)に触れられ
「あの…あまりにポップス過ぎると…あ、それ、日本なんですけど
日本のポップスって、実はみんな歌いそうで歌えないんだよね
バーン!って、その歌手がヤメる…歌い手がヤメると
みんな歌わなくなるじゃないですか」とおっしゃると
近藤さんも「確かに、僕もライブで、ちょっとココ息つぎしようかなと思って
ふっと放っとくと、歌ってくれてる…みたいなことありますね」と返されてました
更に、甲斐さんが「そうそう!そうそう!
だから、僕、伊集院(静)さんともすごく仲が良いんですけど
今、ちょっと大変ですけど…だから、その…2年くらいずっと
連れ立って飲み歩いてたんですよ、2人で…
その時によく…時々やっぱ貴方の話になって
『イヤー、歌えるからイイんだよね』って言って…
だから、僕…あの人、ホントひどい人なんで、性格が…(笑)
(『今ね、ちょっとね、あれですよ、お元気に少ーしなって来たんで…』と近藤さん)
そうですか!ああ、もう気になってたんですけど…
だから、あの『小林旭を今日どうしても聴きたいから』って言って
六本木で一番古いオカマバーに、僕を無理やり連れて行って
『甲斐、頼むから6曲だけ歌ってくれ!』って…すごい乱暴な人ですからね(笑)
僕、6曲歌ったこと、ちゃんとありますよ」…とNHKのMディレクターばりに(笑)
甲斐さんを「ジュークボックス代わり」になさったことを明かされてましたが
「ナンかね、井上陽水さんも歌わされてたような気がしますね」と近藤さん(笑)
その近藤さんも甲斐さんも登場なさった伊集院さんの著書
「眺めのいい人」に取り上げられた方々の中には
何人くらいの「犠牲者(笑)」がいらっしゃるんでしょうね?(笑)