ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

プロモーションだったのに…9

2020-04-27 14:27:00 | メディア
「甲斐よしひろさんの『かあさんのせなか』」の続き…
「20歳で上京したあと、アパートに一度だけ分厚い手紙が届いたことがあります
夕暮れのなか、電気もつけずに立ちすくんだまま読みました
初めて見るおふくろの文字でした
こんなにも、僕に対して伝えたいことがあり
胸に秘めたものがあったのかと驚きました」と甲斐さん

かつて「サンスト」の中でも…「甲斐バンドのメンバー、大森、長岡、松藤と俺の4人で
初めて博多を離れて住んだ東京は高円寺のアパートメント
音楽を媒介にして、男4人がムサイ体寄せ合って、ワァワァ住んでた頃
その間はおふくろも彼女も、絶対手紙と電話はよこすな、と…

俺たちはひとつのターゲットめがけて一丸となってるんだから
ちょっとした気のゆるみが墓穴を掘るんだ、と…
バンドをナアナアな雰囲気にしたくないんだ、と…
もちろん、その頃、地方から出て来て何かヤルってのが
今と比べると、それほどの覚悟がいる時代だったとも言えるだろうけどね」

「こうして俺は10ヶ月間、ロックという武器を引っさげ
『都会あるいは時代』っていう敵を向こうに回して
『バンドのメンバー』という戦友たちと寝ぐらを共にした訳さ
で、バンドの形が見えて来た頃、ひとりで住み出したのが阿佐ヶ谷のアパートメント」

「俺が初めてのツアー終えて、帰って来た時だったよ
ステージと旅続きで、エネルギーをバシバシ使い込んで、やっとひとりの寝ぐらに辿り着いた時
鍵を開けたら、ドアに挟まれてた手紙がスーッと下に落ちたんだな
シワクチャになったおふくろからの手紙がさ

あれだけ手紙は書くな、よこすなって言ってた俺だけど
電気もつけないで薄暗い部屋で封を切ってさ
さすがの俺もちょっとマイッタよね
やっぱり込み上げて来るもんがある訳よ、こんな時…
てめえの底の方に下って行ってさ、ヒョッとてめえ自身に立ち返ったりするんだよな」

…と話されているんだけど、PV撮影時の事故で入院された際にも
「人から貰う花とか手紙…それが嬉しいっていうだけじゃなくてね
たったひとつのメモだけでも『寝たきり(笑)』にはこたえるんだよな
こういう時、人の気持ちがやっぱり染まるっていうか、判るもんなんだよね」

…と、おっしゃっていて、心身共に弱っていたり、ダメージを負っておられる時に
ちょっとした「ひとこと」だけでも染み渡るところへ
思いがけないお母様からの長いお手紙…
それも、すべて甲斐さんに向けられた心配や励ましの言葉が綴られていたんでしょうし
「立ちすくんだまま」でいらしたのもむべなるかなあと…

お母様の文字を初めてご覧になったとのことですが
「プロ契約が決まって博多を出る前の晩、豪快な我が家の宴会の最後に
母がスクッと立ち上がり、凛とした雰囲気で『満州娘』を歌ってくれた
テレ屋の母が人前で歌うのを生まれて初めて聞いた」と甲斐さん

その後、ソロアルバムで、この「満州娘」をカバーなさって
ツアー途中からセットリストに加え歌われた時に
涙ぐんでいらしたとか、いらっしゃらなかったとか…?

このコラムでも…「日本武道館で初めてライブをやった日の同時刻には
小雨のなか、お百度を踏んでいたと、あとで兄貴たちに聞きました。心にしみました」
…と話されてますけど「九州少年」では、このエピソードの他に

「仕事で帰ったふりをして」入院中のお母様のお見舞いに行かれ
「足が痺れるらしくモゾモゾしているので
布団をめくってふくらはぎを揉んであげた
丹念に心をこめて1時間ほど揉んだ
その時、その場でしてあげられることが、それしか見つからなかったからだ。それが哀しかった

「NHKのテレビで2日後に生放送があるので
準備のためにその日の夕方に東京に戻った
翌日の夜、電話が入って母が亡くなったのを知った
次の日、NHKの『時代の歌』という番組で『安奈』を演った
無心で歌った。せめてもの恩返しだと思った」…と記されています

コラムに戻りますと…「おやじは畳の上で死ねるような人ではなかったはずなのに
それができたのは、おふくろがかばい、支え続けてきたからでしょう
おやじの死後、2年もたたずに亡くなりました
ひたむきに働き、おやじへの思いを貫いた
やっぱりすごいなあ」と振り返っておられますが

お父様のご遺体に泣いてすがっていらしたお母様をご覧になって
「おふくろの一途さが腹立たしくもあった」とおっしゃったり
「どんなに壮絶な苦労をさせられても
間違いなく父親は母の中での支えだったのだ
頭ではわかっていても、その事実に少し僕は驚いていた」とお書きになっていたり
「対お父様」に関しては複雑な感情がおありだったみたいで

「10代の終わりから20代にかけて、怒ると何をしでかすかわからない自分がいた
人を人とも思わない連中をみると、カーッと逆上しすぎて
本気で相手を殺してしまうんじゃあないかと思う瞬間が何度かあった

「僕の中の気性の激しさと大胆なくせに妙に細やかなところは
父親によく似ていると言われた。血を恨んだ」と記されています(汗)
まあ、それで名曲「冷血」が生まれたとも言える訳ですけど…

ともあれ…「ぼくはいま、財布におふくろの手紙を入れています
亡くなる前のもので短い内容なんですが」と甲斐さん
「九州少年」の「最初」の章には…「母が亡くなる寸前に書いて寄越した短い手紙がある
それをきれいに折り畳みいつも持ち歩いている
時々、取り出しては眺めている
自分の最初を眺めているのだ」と書かれ

「最後」の章では…「母が亡くなる寸前に…時々、取り出しては眺めている
最後の母の笑顔を忘れないためだ」と書かれていて
この著書自体がお母様に捧げられたものであり
また「自分の出て来た所を忘れてはいけない」という甲斐さんのモットーが
ギュウ~ッと詰め込まれているんだなあと…

ただ、このコラムの最後が「ぼくは財布をよくなくすんだけど、これが必ず戻ってくる
不思議でしょ。何なんでしょうね」となっているのは、照れ隠しなんでしょうか?(笑)
コメント
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