ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

甲斐報 VOL.134

2017-02-23 14:02:00 | 日記
今回の甲斐報は、昨年の押尾さん、上綱さんとのツアーに関する記事が中心で
もう2ヶ月以上も前のことだし…と
ややテンション低めに読んだんですが(苦笑)

中野サンプラザの打ち上げの席で
「クールなキーボーディストに質問したTVプロデューサー」や
「年季の入った甲斐ファンである女流漫画家」
「国民的ドラマで活躍して来た人気俳優」を前に

…って、ファンの方なら、どなたのことか判っちゃいますよね(笑)…

「翌日も公演を控えているから、いつもにも増して
入念にマッサージを受けたボーカリスト」が

「【ダイヤル4を廻せ】に出て来る電話番号って
実は、昔つきあってた彼女の実家の番号なんだよね」と話され

更に…「ええっー⁉」一同、驚く。と、彼はいよいよ面白そうに
「レコーディングの時に、大森さんが
『大丈夫?ほんとに大丈夫』って心配してくれたんだけど
まあ、その彼女は、今は家に居ますけどね」

…という、甲斐バンドフリークの皆さんには
有名なエピソードが記されます(笑)

当時、奥様に「そういった電話がかかって来るかも知れないよ(笑)」と
お断りになっていたにも関わらず
「全然かかって来ない」とお知りになって

「ナンでかけないの!?」と甲斐さん(笑)
「[もう一つ最後を廻したら…]って書いてるんだから
1〜0まで順番にかけてみればイイじゃん!」とおっしゃったみたいで

「チラッとそう思った(笑)」と奥さん(笑)
「でも、まさか甲斐さんの自宅じゃないだろうし
[こんな曲があるんですが、どちら様ですか?]って訊けないでしょ(笑)


…確かに、ただの間違い電話よりタチが悪い(笑)
もし、それで奥様のご実家に繋がったところで
当の奥様ならまだしも「コワイお父さん」が出られたら…(汗)

ともあれ、久々にステージでこの曲を演奏なさった理由として
「携帯電話が普及してから歌えないと思ってたけど
もうこれだけ経ったらイイかな(笑)」と話され

「公衆電話から警察や消防にかける時に
小銭は要らないことを知らなかった少女」について触れられたのは

「そういうアナログなリアリティーこそが、今は大事だと思うんです」
…という思いがおありだったからなんですね

サンプラザのレポを書かれたキョードー東京のTさんは
「【最後の夜汽車】が特に圧巻
演奏が終わった後の熱く長い拍手は
決して何度もやり直したためではなかったはず」…とおっしゃってるんだけど

当日の奥さんは「オチは3回め」という関西人の血が騒ぎ(笑)
甲斐さんが、わざと間違えるんじゃないかとドキドキしていたみたいで

その3回めに「まさか、あの押尾さんが!?」となって
Tさんほど集中して聴くことが出来なかったようです(苦笑)

実際、翌日のビルボードで甲斐さんご自身が
「もう1回やろうかな?(笑)って思ったんだけど
さすがに怒られると思って止めた(笑)」と話されてたらしいし…(笑)

それはさておき…「ずいぶん以前にふと考えたことがある」とTさん

「自分も含め、甲斐さんファンが
1日だけなりたい人に替わることが出来るのであれば
甲斐さんではなく松藤さんになることを選ぶのではないか、と。

甲斐さんになってしまうと、甲斐さんのことを楽しめない
一番近くにいて信頼されたり、いじられたり
意見を言えたり、心を開かれる唯一無二の存在
松藤さんを選ぶだろう」と書かれてます(笑)

奥さんも、かつて友人たちとそんな会話をしたことがあるらしく(笑)
「今なら松藤さんと替わりたいけど(笑)
その頃は、佐藤剛さんだったなあ」と…

これは、当時の奥さんにとって
甲斐さんが神のごとき存在であり
松藤さんは、その「甲斐バンドのメンバー」でいらしたから
やはり、神様に近い「雲上人」とも言うべき方だったみたいで(笑)

一方、佐藤さんは、バンドメンバーの皆さんと
同じくらい甲斐さんに近しい方ではあっても

ご一緒にレコーディングなさったり、ステージに立たれたりして
「甲斐バンドの音」を作っておられた訳じゃないぶん
冷静な目で甲斐さんが見れるんじゃないかと思ったんだとか…(笑)

あっ!でも、今の甲斐さんや松藤さんが
「地上に降りた天使」になられたという意味ではないですよ(笑)

奥さんは今でも、甲斐バンド時代の
「ピリピリした甲斐さん」をご存知なさげな世代のファンの方が
親しげに声をかけられるのを見ると
ヒヤヒヤ、ハラハラするらしいし…(笑)

10代の頃のように、全身まるごと、人生のすべてを捧げます!(笑)
…という環境にはいられないってことでしょうね

で、Tさんのレポの続きには…
松藤さんになりたいというのと「同じ発想で
今回のライブは、皆が押尾さんに自分たちの想いを託し
押尾さんと一体になって
甲斐さんの一挙手一投足を楽しんでいたのではないだろうか

始まる前は不安を抱えていた方も多かったであろう1回目
安心感の2回目。3回目の今回はそれらを全て超越

押尾さんは客席から最大限の信頼感を得てステージに立っていた
ツアーが終わってしまうことに涙することまで含め
客席の思いも全て背負ってくれていた」と記されているし

また、AmazonのKさんも
「甲斐さんには怒られるかも知れないが
ステージ上に観客の心強い味方がいる

押尾さんは私(たち)にとっては、優れたミュージシャンである以前に
甲斐バンドと甲斐よしひろを知り尽くした熱狂的なファンだ

熱狂的なファン代表がステージにいる
それだけで私(たち)のステージに臨む気持ちが全く違うのだ」

…と、おっしゃっていて、甲斐報に投稿される方々も
皆さん、奥さん達と同じ印象を持たれるんだなあ(笑)と改めて実感した次第です
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今月の奥さん

2017-02-22 12:41:00 | 日記
甲斐さんのビルボード・ツアーの詳細が記された甲斐報が届き
予め奥さんが休みを確保していた日が、予約開始日になっていたんだけど

去年と同様、名古屋ブルーノートは「2名まで」とのことで
ビルボード東京、大阪、名古屋、名古屋とそれぞれに電話する人手が足りず
弟君の奥さんにお願いすることに…(苦情)

義妹さんは、スタレビのファンで、ライブチケット入手の経験はあるものの
ビルボードのシステムは初めてらしく

奥さんから念入りなレクチャーを授けられ(苦笑)
緊張しながらも満を持して挑んでくれたようで
まだ奥さんが名古屋と格闘してる最中に
LINEで「取れました」との連絡が…♪

弟君もフレックス出勤にして
ネット予約にチャレンジしてくれたみたいですが
こちらは全く繋がらなかったんだとか…(汗)

弟夫婦には、とっておきの「チーズケーキ」を郵送したと奥さん
ただ、同じ関西出身とはいえ、やや北部に在住だった義妹さんはともかく

高校まで奥さんと同じ屋根の下に住んでいたはずの弟君が
「初めて食べた!ビックリした!」と言ったことに、奥さんがビックリ!(笑)

地元じゃかなり有名だし、芸能人の方もよく訪れるお店で
奥さんも中学に入った頃から…それこそ甲斐バンドが地元に来た時には
必ずと言っていいほどライブ前に足を運んでいたそうだし

空港に支店が出来たり、堂本剛さんがテレビで紹介なさったりして
知名度も上がっていたというのに
まさかの弟君が知らなかったとは…(苦笑)

でも、確かに、ボクも初めて食べた時のインパクトは凄かったし
奥さんが「ここぞ」という時に贈った方は
皆さん「何これ!?トロトロ〜!」とビックリされるみたいだけど

まあ、見た目は「チーズケーキ」というより「ピザ」に近く
実際、トースターで軽く焼いて、アツアツを食すというのは珍しいかも…(笑)

奥さんは、甲斐さんにも召し上がって頂きたいのはヤマヤマなれど
そのままでは食べることが出来ないのと
長時間、常温での持ち歩きが不可能なのとで
差し入れにすることもなく、今に至っております

弟君の家にこれを贈ったのは、今回のお礼の気持ちはもちろん
「また何かあったらヨロシク♪」的なニュアンスも
大いに含まれているんだろうなあ…(笑)

ともあれ、大阪は比較的スムーズに予約完了し
名古屋は一度繋がったものの途中で切れてしまい(汗)
少々、手こずったようですが
無事に全公演全ステージの席を確保(笑)

もっとも、名古屋ブルーノートは、昨年10月から
テーブル予約の際に席も決定するシステムに変更になり
開場前に店頭に並んで、整理番号をゲットする必要はなくなったんだけど

以前のように席の指定は出来ず
「見やすい席から順に自動割り振り」のため
奥さん達ファンが考える良席とは、必ずしも一致しないんじゃないかと…(笑)

最初にビルボード東京に参戦した時に会場側の方が勧めて下さった席は
ステージの端やステージに背を向ける席ではなく
少し後方でもステージ正面か正面に近い席だったみたいだし…(笑)

それはともかく…これで、奥さんは5月まで
職場への根回しを含め、着々と準備を進めて行くんでしょう(笑)

まあ、宿はとっくに(笑)だし
来月のダイヤ改正後の時刻表もすでに置いてあるし

それに、どういう風の吹きまわしか?
奥さんの職場が急に福利厚生に目覚め(笑)
通勤用、勤務用を問わず、新しい靴を購入した社員に
その半額の補助金が出ることになったらしく

通勤用という名のライブ参戦用(笑)の靴がすでに2足(笑)
更にもう1足探してるみたいです(笑)

本人が「善いことしたからご褒美だよ」と言ってるのは
スーパーが閉まる前に…と急いでいた時、財布が落ちているのを発見し

交番まで歩いて戻って、届けを出している間に
スーパーが閉まってしまったことを指してるんですが
そちらは、落とし主の方からお礼を頂いてるんじゃ…?(笑)

出来れば「通勤用」の洋服代も補助して欲しいと奥さん(笑)
でも、その前に、クリスマスから年末年始、自分の誕生日やバレンタインなどで

たらふく食べて身についたモノ(汗)を落とさないと
「2月は逃げる」と言われてますもんね(笑)

余談ですが…常日頃から「持ってない」ことでは
右に出る者はいない(笑)奥さんだけど
職場でもその評判が浸透するくらい
何かとトラブルに巻き込まれがちで(苦笑)

それも決まって終業時間前後に
緊急な依頼や他部署からの応援要請があるため
「残業の女王」というありがたくない呼称まで賜っております(笑)

その一方で、いついかなる時も、どの部署の仕事についていても
必ずと言っていいほど、定時で帰れる女性がいるらしく

つい先日、初めてその女性と同じ部署でペアになり
職場の皆さんは「早帰り」と「残業」どちらの女王が強いのか?と
興味津々だったみたいですが

ナンと、奥さんだけが残業になることもなく
「有り得ないくらい」早く帰れることに…♪

が、奥さんがウキウキと駅に向かうと
ほんの2〜3分前に近隣の駅で人身事故が発生したようで

運行見合せ中の上に、振替輸送もまだ始まっておらず
結局、残業するより遅い帰宅になったんですよねぇ…(汗)
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歌のゴールデンヒットおまけ

2017-02-21 16:48:00 | メディア
甲斐バンド初の「ザ・ベストテン」出演にまつわる様々なこと…
「テレビ局側からの執拗な出演交渉」「テレビ拒否」「魔女狩り(笑)」など
…について書かれた【噂】という曲
(英語タイトル【THE TELEVISION】)は

「どこかの歌手が2分間の魂ってヤツを歌ってる」との歌詞を
ライブでは「あのピンクレディが2分間の…」と歌われていたそうだけど

これは当時、歌番組に限らず
「テレビをつけたら、ピンクレディ」状態だったことはもちろん
何より、大森さんが大のファンでいらしたことが大きかったんでしょうね(笑)

「ピンクレディに会いたい」という大森さんの一声で
ピンクレディも出演するイベントのオファーを
お受けになったこともあったみたいだし…(笑)

【一世紀前のセックスシンボル】や【時の人】でも
その時期によって「固有名詞」を変えられていたらしいですが

ビルボード・ツアーで、ん十年ぶりにこの曲を歌われた時には
本来の歌詞通りだったらしく
奥さんは「逆に新鮮だった(笑)」と…(笑)

ともあれ、お目当ての映像が終了したため(笑)
奥さんは甲斐友さん達とLINE、ボクは資料整理(笑)で
あまりじっくりとは観てなかったんだけど

近藤真彦さんがゲストで登場され
1位獲得が16曲、2週連続1位が10曲という記録は
「ジャニーズでマッチだけ」らしく

当時の映像とスタジオでの生歌が、共にメドレーで流れていた頃
奥さん達の間では「カラオケ大会」が話題になっていたようで(笑)

カラオケ大会の翌週に「甲斐さんが[青いイナズマ〜♪]と歌った時
ホントに雷が鳴った」というハガキが来てた(笑)と
遠い記憶まで呼び覚ましてました(笑)

その甲斐さんが歌われた【ブルージーンズ メモリー】を改めて聴いて
「甲斐さんがマッチの歌い方に寄せてる?」と奥さん(笑)

でも「さよならなんて言えないよ、バッカヤローッ!」のセリフは
甲斐さんが照れておられる分(笑)「聴いてて照れる(笑)」と…

まあ、当時の近藤さんは「嵐を呼ぶ男」をリメイクされたりして
ちょっと「昭和」な香りもナキニシモアラズ?だったし

甲斐さんも「【ケジメなさい】が好き(笑)」とおっしゃったり
ご自身も曲を提供なさったりしていらっしゃいますもんね

そうそう!近藤さんの特集の後に
中森明菜さんの1位曲が続々と紹介され
思わずワイプに注目してしまったんですが(汗)
CM明けのスタジオに近藤さんの姿はなく、ドキドキして損した気分…(苦笑)

甲斐さんは、当時のその「ウワサ」をリアルな歌詞になさったせいで(笑)
ジャニーズ側から「シングルは難しい」と言われて

12インチでの発売になったと話されてましたけど
奥さんは今でも「あの歌詞は甲斐さんの実体験♪」と申しております(笑)

ちなみに、近藤さんは「やんちゃ坊主」っぽいイメージとは裏腹に
衣装などスタッフの方が用意されたものに
好き嫌いをおっしゃることがなかったそうだけど

【ブルージーンズ メモリー】を歌われている当時の衣装は
スギちゃんの「ワイルド」な衣装にそっくりで
ちょっと笑ってしまいましたm(__)m

ボクが【ハイティーン・ブギ】の出だしの歌詞「海辺にバイクを停めて」を
嘉門達夫さんが替え歌メドレーで
「海辺にバイクを停め」たら錆びる(笑)と歌ってたねと言ったら

奥さんが【スニーカーぶるーす】の「BABY この世界中」という歌詞が
「BABY 殺せ怪獣(笑)」に聞こえると返して来て
「空耳アワー」「思い込んだら」のコーナーに突入(笑)

巨人の星【行け!行け!飛雄馬】の「重いコンダラ」
【ふるさと】の「ウサギ美味しいかの山」やら

「赤い靴はいてた女の子」は「ひいじいさんに連れられて…派」(笑)
「良いじいさん派」「イージーさん派」がある(笑)やら

「アルプス一万弱 子ヤギの上で
アルペン踊りをさあ踊りましょ」は
一万人が子ヤギを踏んづけている画がコワイ(汗)とか
意外に笑顔で踊ってるんだよ(笑)とか、バカ話をしていて

甲斐バンドの曲にも「あたりに飛び散るチト河内(笑)」という
コワイ画の秀逸な「空耳」があったなあと…(笑)

それはさておき…ボク個人的には、やっぱり「キョンキョン可愛い♪」(笑)
「パジャマ姿で歌う【なんてたってアイドル】」の映像を観ていて

甲斐さんが「キョンキョンはいいなあ
歌手ってのは、そもそもイメージを売ったりする部分がある訳だけど
彼女は出して来るものにアイデアの良さが見える、ヨイよ」とか

「自分のコンサートに来てくれてる客とはいえ
他の客の迷惑になるくらい騒いでたヤツに
アイドルが[バカヤローッ!帰れ!]って言ったって良いと思うよ
キョンキョン面白いよなあ(笑)」

…と、話されていたことを思い出したんですが
奥さんは、この頃はまさか自分の娘が
ライブで口にするとは思ってなかっただろうね(笑)と…(笑)
まあ、ご自身も「殺す!」とおっしゃった方だから…(笑)

奥さんが初めてフミヤさんのライブに行って
「ちょっと甲斐さんに似てる」と騒いでいた
「ギターを手にした時の歌い方」を見ようとしたら

【TRUE LOVE】を歌われる際のフミヤさんは
ほとんどギターを弾いておられず、残念…
あっ!もしかして、そこが似てる?(失礼!)

放送後に知ったんですが、ジャニーズファンの方々の間では
おニャン子クラブの映像が映った時に

「顔にボカシが入った人がいたけど、〇〇くんは大丈夫?」とか
「●●●は映せるの?」といったツイートが膨大な数になってました(汗)

我が家では、スタジオゲストの薬丸裕英さんが
「1人じゃ歌えない」とおっしゃいつつ
【NAI-NAIシックスティーン】が流れると
「ジタバタするなよ!」まで、キッチリ歌っておられたり(笑)

男闘組やTOKIO、それに【青春アミーゴ】など
甲斐さんのお好きなトコに反応しただけでしたが…(笑)

ジャニー喜多川さんへのインタビュー記事によると…
「宗教家だった父に幼い頃から
お金を取られても、取る側になるよりずっと良いと教えられて来た
だから、僕は何かを持って行かれても幸せだ、と思っているんです」

「その選択が本人の意思であり、プラスになるなら
絶対に応援しなきゃいけない
例えば、アメリカへ行って勉強したいと言われれば大賛成ですよ」

「オーディションでも、グループを構成する時でも
最も重視するのは[やる気]

顔で選ぶんですか?とよく訊かれますが
例えば、井ノ原はジャニーズ顔ですか?
要は、本気で闘っているかどうかです」とジャニーさん

イノッチの顔についてはともかく(笑)
何かと「しきたり」が取り沙汰されるジャニーズ事務所の社長は
意外に(失礼!)ワンマンな感じがなくて、ちょっとビックリ

「時代は追っかけるものではなく、創るもの
50年前の自分の夢を達成したという思いはあります

でも、アメリカでは俳優が大統領にまでなっている
日本でも芸能人のステータスの向上がもっと必要だとの思いは変わらない」

…と、だてに「最も多くのショーをプロデュースした」などで
ギネス記録に認定された訳じゃないんだなあと…

ともあれ、4時間に及ぶ番組のラストは、スタジオの皆さん全員で
1973年9月10日にチャート1位に輝いた
チューリップの【心の旅】を歌われエンディング

ラスト曲に選ばれたとはいうものの
チューリップファンの方にとっては
当時の映像が観られず、残念だったのでは…?

もし、奥さんが4時間も見続けた挙げ句に
甲斐バンドが映らない【HERO】を聴かされたら…と思うと、以下省略(笑)

チューリップのテレビ出演自体が少なかったのか?
さすがのTBSにも保管されてなかったのか?

でも、この日の放送では「オリコン1位曲の10分の1に抑えてる
全部放送すると3日かかる(笑)」らしいので
またの機会を楽しみにしましょう♪
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歌のゴールデンヒット3

2017-02-19 19:16:00 | メディア
さて、やっと1976年までたどり着きました(笑)
でも、甲斐バンドの【HERO】は、78年12月に発売されたものの
オリコンチャート1位に輝くのは翌年2月…
という訳で、少し駆け足で参りましょう

「モントリオール五輪」や「田中角栄元首相の逮捕」
「記憶にございません」という言葉が記憶に残ったこの年は

【およげ!たいやきくん】の大ヒットのおかげで空前のたいやきブーム
【だんご三兄弟】の比じゃなかったですね

山口百恵さんの【横須賀ストーリー】の映像は
「トップスターショー」のもので
宇崎夫妻にインタビューされているのは
自他共に認める「百恵ちゃんファン」の久米宏さん(笑)

宇崎竜童さんが、ご自身の作られた曲を
「歌って頂けるだけで嬉しいです」とコメントされると
久米さんいわく…僕は(曲紹介の)原稿を読ませて頂けるだけで嬉しいです(笑)

「ザ・ベストテン」時代になっても
「いちファン」として司会なさってましたよね(笑)
その分?八神純子さんに関しては、衣装をご覧になるなり
「魚河岸の帰りですか?(笑)」など、かなり失礼なご発言も…(笑)

「中三トリオ」の解散(笑)コンサートを含めた貴重映像が流れた後
研ナオコさんの【あばよ】は「全員集合」のコントの映像と共に…
正に「元祖バラドル」ですね(笑)

そして、この年のレコ大受賞曲【北の宿から】
「大賞曲予想」の生中継レポをなさっていた小島一慶さんを観て
一瞬「良いの?(汗)」と思ってしまいましたm(__)m

そういえば「手編み」のプレゼントは「重い」という風潮は
この曲辺りからじゃないかと…?(汗)
でも、阿久悠さんがこの詞を書かれたのは
ボクの故郷の近くなんですよねぇ…(苦笑)

ともあれ…1977年から、ご存知「ピンクレディ」旋風が吹き荒れます
ゲスト出演されたケイさんもおっしゃってたけど
「10年くらい(活動を)やってたような」気が…?

実際には、4年7ヶ月だったみたいですが
「17週連続1位」やら「102週中63週1位」やら
とんでもない記録を見ると、実質10年分くらいの活躍ぶりですよね

「売れているという認識はあっても
実感する余裕がない」との言葉にナットク

以前に「探偵ナイトスクープ」で「(当時の)40歳以上の人はみんな
ピンクレディの振り付けを踊れるか?」を調査してたけど

スタジオゲストの今陽子さん、小柳ルミ子さん、菊池桃子さん、千秋さんが
ケイさんとご一緒に【UFO】を踊られているのを観ると
当時は、ホントに日本人全員が踊れたんじゃないかと…(笑)

もちろん、我が家にも完コピ出来る者が約1名(笑)
「全員集合」の映像にあった
キャンディーズの【渚のシンドバッド】にダメ出ししておりました(笑)

そのピンクレディを抑えて、レコ大を受賞したのは
沢田研二さんの【勝手にしやがれ】

皆さんに囲まれて祝福されている内にイントロが流れ始め
大急ぎで帽子を手にマイクへ駆け寄るジュリーの映像が映ったんだけど

奥さんは「大賞発表」直後に「嬉しい〜!」と
どなたかに抱きついていらした沢田さんが見たかったと…(笑)

続いて「コッキーポップス」からの貴重映像で
中島みゆきさん初の1位【わかれうた】

「道に倒れて誰かの名を呼び続けたことがありますか」という歌詞に
甲斐さんが「ぶっ飛んだ」んですよね(笑)

「日航機ハイジャック事件」の際の福田首相の言葉
「人命は地球より重い」や

王貞治さんが「756号ホームラン」の際に
それまで「相手ピッチャーに失礼にあたる」と決してなさらなかった
両手を上げての喜びのポーズでランニングされたことなどが紹介され

キャンディーズ最初で最後の1位曲【微笑み返し】
堀内孝雄さんがソロで歌われた【君の瞳は10000万ボルト】

…で、いよいよ1979年へ突入♪
堀内さんは、アリスでも1位を獲得され
【チャンピオン】のライブ映像が流れたんだけど

「You are King of Kings」で奥さん爆笑
どうやら、甲斐さんが「押尾くんがコレ歌ってくれた(笑)」と
話されていたことを思い出したようです(笑)

さて、番組開始から1時間28分…
ついに甲斐バンドの【HERO】が♪
「トロッコ編」のジャケットが映り
「1度だけ出演した[ベストテン]の映像を…」と徳光さん

まあ、TBSだからそうだろうな…とは思っていたんですが
まさか、あそこから始まるとは…(笑)

徳光さんとミッツさんが
甲斐さんの手にされた「水割り」のグラスに触れられたと思う間もなく(笑)
「今、何時?」と観客に訊ねておられる甲斐さんが映り
「それもかよ(笑)」と奥さん(笑)

「35分」との答えに、再び「9時?」と甲斐さん
「9時53分の今の俺たちの…」と話し始められた途端に
客席からは「35分!」「35分!」の嵐(笑)

これは、後に「何ヵ月間もツアー先まで追っかけ回されてたら
当然1位だと思うだろ?(笑)
それにしちゃ、時間が早いとは思ったけど…」と
まさかの3位に驚かれてましたが(笑)

【HERO】のジャケットが映った際
「2月26日」に1位になったことがクレジットされていたし
奥さんの記憶によると、このご出演は3月下旬だったみたいだし

ベストテンは、リクエスト葉書に重点を置いてランキングを決めていたために
ラジオや有線などに比べ、反映が遅かったから無理からぬことかなあと…

当時の奥さんは「無事に何事もなく終わりますように」と
祈るような気持ちで、テレビを見つめていたらしく(笑)

今回、改めてこの映像を観て
「甲斐さん細い♪」「髪の毛サラサラ♪」
「声が若い♪」「甲斐さんカワイイ♪」などとウルサイこと(笑)

「きゃ〜っ!長岡さん♪」と喜んでいたかと思えば
スタジオ外のコンソールやスタッフの方々が映ると
「そんなのいいから甲斐さん映して!」と怒ったりと、まあ忙しいこと(笑)

LINEでやり取りしている甲斐友さん達も
「カワイイ♪」やら「キュートなヒップ♪」やら
奥さんとご同様の反応だったようです(笑)
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歌のゴールデンヒット2

2017-02-18 14:34:00 | メディア
甲斐バンドの【HERO】目当てと言いつつ
あまりの懐かしさにナカナカ話が進みませんが(笑)
1971年の最後は、欧陽菲菲さんの【雨の御堂筋】

甲斐さんは、後にカラオケ大会で【ラブ イズ オーバー】を歌われたけど
【安奈】が「南へ向かう」という歌詞だった話をなさった時に
この曲も「南へ歩く」になってるとおっしゃってましたよね(笑)

72年の1位曲は、ぺトロ&カブリシャスの【別れの朝】
二代目ボーカルでいらした高橋真梨子さんが若い♪

「飛び出せ青春」の主題歌【太陽がくれた季節】は
奥さんが「太陽が暮れた」と思っていた曲(笑)
そんな「たそがれた」青春はイヤだ!(笑)

【瀬戸の花嫁】【ひとりじゃないの】とくれば
「新・三人娘」のもうお一人、南沙織さんの曲も入ってそうなのになあ…

かと思えば、菅原兄弟の【さよならをするために】は
当時「石坂浩二さん作詞」にスポットが当たり
曲自体は【白いブランコ】ほど注目されなかったみたいな記憶があるし…?

それにしても、この年は「浅間山荘事件」や「札幌冬季五輪」
「横井庄一さんご帰還」に「沖縄返還」
「パンダ初来日」など大きな出来事がめじろ押し

甲斐さんが「明け方までず〜っとニュース見てたのに
突入の瞬間に寝ちゃってたって人いるよね(笑)」とおっしゃった
あの「鉄球」の映像は今も忘れられません

この話題になると、奥さんはいつも
「あの現場で生中継していたのは、新人だった露木茂さんなんだよ」という
よく判らないトリビアを口にします(笑)

そうそう!【女のみち】が国民的大ヒットになったのは
「全員集合」のコントで、カトちゃんがよく口ずさんでおられたのを
子供たちがこぞってマネしたおかげでもあるみたいです(笑)

そして、ようやく73年(笑)…ガロの【学生街の喫茶店】は
昨年、ボブ・ディランのノーベル賞受賞のニュースと共によく耳にしました

スタジオゲストの高見沢俊彦さんは
アルフィーが、ガロと同じ事務所だった関係で
たびたび前座を務めていたとおっしゃってたんだけど

あるステージで、幕が上がる前に演奏を始められたら
客席から大きな拍手が起こったものの
幕が上がった途端に「ブーイングに変わった(笑)」…と苦笑い
同じ3人グループだし「まぎらわしい!」って感じだったんでしょうね?

浅田美代子さんの【赤い風船】は、同局の「時間ですよ」の劇中歌で
スタジオには堺正章さんがいらっしゃるし…で
当時のドラマ映像が流れたんですが

この頃の堺さんは、ホントにさんまさんそっくりで
美代ちゃんと一緒に歌われるシーンに
思わず「歌、上手いなあ♪」と…(失礼!)

その堺さんによると…
浅田さんから、この曲がレコ大の新人賞に選ばれたことをお聴きになった際

「辞退しなさい(笑)」とか「あなたが貰っちゃマズイんじゃないの?」と
樹木希林さんとお二人でツッコんでおられたらしく(笑)

受賞式当日にサプライズ・ゲストで駆けつけたお二人をご覧になって
浅田さんが号泣された映像が流れると
「好感度上げようと思ってね(笑)」と笑っていらっしゃいました

ただ、涙で歌えなくなってしまった美代ちゃんの代わりに
【赤い風船】を歌われている樹木希林さんが「30歳」って、ビックリです

その堺さんのモノマネをなさったさんまさんが
高校生の頃、大ファンでいらしたという
麻丘めぐみさんの【私の彼は左きき】

まあ、奥さん的にこの曲は、ヒットした当時よりも
その数年後に意味のある(笑)曲になるんですが…(笑)

それよりも、この年一番インパクトがあったのは
何と言っても【危険なふたり】でしょう♪

「美しすぎる年上のひと」への思いを歌った曲なのに
奥さんの通っていた小学校でも爆発的大人気で(笑)
あの片足を上げるアクションをマネする男子が多数いたらしい(笑)

悠木千帆(樹木希林)さんが、沢田研二さんのポスターに向かって
「ジュリー!」って切なく身悶えされるシーン(笑)大好きでした♪

後年、この曲と同じタイトルのドラマの中で
結婚詐欺師役の桃井かおりさんと竹下景子さんが

同じようにジュリーのポスターの前で
【危険なふたり】を泣きながら歌い踊るシーンも大好きでした(笑)

それはさておき、番組はいよいよ1974年に突入し
【神田川】をバックに…「オイルショック」と「トイレットペーパー買い占め」

「巨人軍は永久に不滅です!」と「長嶋茂雄さん引退」
…を紹介された徳光和夫さん
この日は、こっそり職場を抜け出しておられたんだとか…(笑)

郷ひろみさん唯一のオリコン1位は【よろしく哀愁】
確か、甲斐さんは「会えない時間が愛育てるのさ」という歌詞が
お気に入りだったんじゃないかと…?

一時期、松山千春さんも
永ちゃんの「そこんとこヨロシク!」的ニュアンスで
「よろしく!哀愁」とおっしゃってました(笑)

75年は、桜田淳子さん唯一の1位【はじめての出来事】に始まり
坂崎幸之助さんが「75年の名曲といえば【裏切りの街角】でしょう」と

ゲストの伊勢正三さんをそっちのけに(笑)なさったという
風の【22才の別れ】に乗せて
「三億円事件の時効成立」「紅茶キノコ流行」などが紹介され

【喫茶店で聞いた会話】を思い浮かべていたら
かまやつひろしさんの【我が良き友よ】が流れ
「吉田拓郎さんが作詞作曲された」とのコメントに

当時のかまやつさんが「淡々と歌うしかない」と思っておられたという
「もういちど流行歌」の記事を思い出しました(笑)

「流行歌」と銘打つだけあって、この番組で放送された曲のほとんどが
取り上げられているんじゃないか?と思うほど、カブッてます(笑)

布施明さんは【シクラメンのかほり】でレコ大を獲得されましたが
その前年のヒット曲【積木の部屋】や

この放送には登場しなかったけど
甲斐さんがカラオケ大会で歌われた野口五郎さんの【甘い生活】など

【赤ちょうちん】や【神田川】以来の
「同棲時代」ブームを象徴する曲が多かったんですね

この他にも、1975年には
ダウン タウン ブギウギ バンド【港のヨーコ ヨコハマ ヨコスカ】
岩崎宏美さんの【ロマンス】
(当時)荒井由実さんの【あの日に帰りたい】などが1位に輝き

演歌・歌謡曲と、後のいわゆる「ニューミュージック」が
渾然一体となってチャートを賑わせていたことがよく判ります

ちなみに、この若き日のユーミンの映像は
石田伸也さんが「TBSの保管体制の良さがすごい」と呟かれていた
「セブンスターショー」のものでした
コメント
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