一時期、亀和田さんと甲斐さんが
よく似ていると言われたことは有名ですが
予備校時代、デモ仲間のお一人が
亀和田さんに「ジュリー」と話しかけられたことがきっかけで
「私はその日から[ジュリー]と呼ばれることになった
初対面の学生も、周りの連中がそう口にするから
1分後には[ねえ、ジュリー]だ(笑)
実は【僕のマリー】でタイガースがデビューした時から
[あのヴォーカルの男の子、キミに似てるね]と何人かに
というより、正確に書けば[あちらこちら]で指摘されてはいたのだ(笑)
しかし、ある限られた空間とはいえ
そこに関わる人間すべてから[ジュリー]と呼ばれるとはね
時代の空気というものは恐ろしい
最初は戸惑っていた私が、そう呼ばれても平然とするようになったのだから
いま思い出せば赤面するばかりだ」
…と、おっしゃってます(笑)
そういえば、初期の甲斐バンドのステージは
黄色い歓声や紙テープが飛び交い「GSの如く」と囁かれ(笑)
甲斐さんも「ジュリーみたい」と呼ばれていらしたことが…(笑)
ともあれ、その後、亀和田さんは
「顔がデカイといえば、西川のりおの専売特許みたいだが
一、二の不心得者が、私とのりおが似ていると言うので
[文壇のジュリーと呼ばれてますねえ]なんて訊かれると
[いえいえ、近頃はSF界の西川のりおと呼ばれてます]
などとオドケテみせる今日この頃だ(笑)
でも、のりおは[ひょうきん族]で
よくジュリーの真似をしていたから
ジュリー→のりお→亀和田の間に類似要素はあるかも知れない
以前に鶴ちゃんの番組に出た時に
[SF界ののりお]云々の話をしたのだが
間髪入れず鶴太郎氏が[いやぁ、八方さんにも似てますよ]と
突っ込みを入れて来たのだ
という訳で、お笑いタレントのレプリカント風に
形容されることの多い亀和田であるが
昔は根津甚八に似ていると言われたことだってあった
峰岸徹には今でも似ていると言われることが多いから
当然、今は亡き赤木圭一郎にも似ていることになる
しかし、タレントに似ているからといって嬉しいものではない
[平山みきに似てるぜ]と言われた時は複雑な気分に陥ったなぁ
で、甲斐よしひろである
一時、自分でも[うわっ、よく似てるなあ]と思うくらいソックリだったが
ここ何年かは、ちょっと印象の違う顔になって来たようだ
6年前のコンサート会場では、開演直前の座席に座っていても
終了直後のロビーに立っていても
甲斐よしひろ本人と間違えて話しかけて来るファンがいたくらいだから
本当に似ていたんだろうな」とおっしゃってるんだけど
他のミュージシャンのライブならいざ知らず
当の甲斐バンドライブで、そんな時間、そんな場所に
いらっしゃる訳がない甲斐さんと見間違われるって、どんだけ?…(笑)
それはさておき…似ておられるのはお顔だけじゃないみたいで
「贔屓のレスラーに関しては、私と甲斐よしひろの意見は全く一致している
外国人レスラーではスタン・ハンセン
日本人では長州力である」と亀和田さん
「私と彼が会えば、決まってプロレス談義の花が咲くようになった」のは
「プロレスブームに何テンポか遅れて
このワタクシメが突如、重症のにわかプロレスファンになったためだ」けど
「もっとも[にわか]などと書いたのは謙遜してのことで
何しろ私は力道山が昭和33年にルーテーズを破って
インターナショナル・チャンピオンになってから
昭和38年の暮れ、赤坂で刺殺されるまでの5年間というものは
相当のプロレスフリークでありまして
この間の試合に関しては、村松友み氏とも
タメセン張るんじゃないかというほどの記憶を誇っている訳で
つまり、ファンとしての基礎教養が
キョービの子供たちとは違う」んだとか…(笑)
で…「私見では、ハンセンと長州のファイトに共通するのは
攻撃的(アグレッシブ)な知性という要素である
言葉を交わせば大体その人物の知性というのは判るものではあるが
実は身体の動きというのにも知性は表れる
いや、咄嗟の判断を要求されるプロレスのような格闘技の場合
ゴマカシの効かない分だけ、喋りよりも露骨に
知性の程度が表出してしまうのである
プロレスというもう一つのファクターを導入することによって
甲斐よしひろのステージの魅力が俺には判った
そう、甲斐よしひろ率いる甲斐バンドのステージングを支えているのは
攻撃的な知性なんだなと…
甲斐バンドはライブバンドだ、というのが
ファンの間でも音楽ジャーナリズムの間でも定説になっている
では、レコード・アルバムはツマランのか?といえば、そんなことはない訳で
ライブで最大限に魅力を発揮することの出来るバンドということだと思う」
…と、記されてるんだけど
甲斐さんによると…「昔、ヒビノのミキサーに
[レコードは悪いのに、どうしてステージの音は良いんですか?]って
言われたことあるもん(笑)」
ともあれ…「甲斐バンドのコンサート数は
78年の年間130本をピークに、その後、徐々に減って行くが
それでも、一番少なくても6日に1本の勘定である
こういう時、妙に感傷的になったりして
いやぁ、雨の日も雪の日も旅から旅へのツアーか…など
訳の判らぬ評価や感想というのは下らないと思う
1年365日、1日も欠かさずやったところで
何も掴めないミュージシャンというのが
ムゴイ話ではあるが、この世には存在するのである
そして甲斐よしひろは年間100本前後のコンサートを消化することによって
確実に何かを自分の体内に蓄積することに成功したのである
ビートたけしと小林信彦の対談で
舞台出身のコメディアンは強い、という話を読んだ記憶があるが
ミュージシャンも同様だ
どうやれば受けるか?といった皮相なレベルでなく
もう少し深いところで観客を喜ばせ、納得させるには
どう歌えば良いかということが
非凡なミュージシャンたちには見えているはずなのだ
かといって、力の限り歌えば、あるいは心を込めて歌えば
おのずと観客に気持ちは通じて行くといった
絵空事が通用する世界ではもとよりない
ショービジネスの側面は厳然として存在する
だからこそ、観客はロック・コンサートで
あんな風にアラレもなくエキサイトするのである
ただただ騒ぎまくりたいという野卑な欲望と
高貴な感動を体験したいというピュアな憧れを
二つながら宿した観客を…それも数千名という
観客のオーダーを満足させることが出来るミュージシャンというのは
やはり当代一流の煽動家であり、演技者であり
精神分析家であるに違いない
ここら辺がまた、ロックとプロレスの似ているところである
強いだけではダメ、それをどうやって観客に見せ、納得させるかが
一流と二流の分かれ目なのだから…」と記されてますが
かつて、中島みゆきさんが甲斐バンドのツアーのことを
「プロレスの巡業か⁉(笑)」とおっしゃったのは
その本数の多さだけではなかったのかも知れませんね(笑)
よく似ていると言われたことは有名ですが
予備校時代、デモ仲間のお一人が
亀和田さんに「ジュリー」と話しかけられたことがきっかけで
「私はその日から[ジュリー]と呼ばれることになった
初対面の学生も、周りの連中がそう口にするから
1分後には[ねえ、ジュリー]だ(笑)
実は【僕のマリー】でタイガースがデビューした時から
[あのヴォーカルの男の子、キミに似てるね]と何人かに
というより、正確に書けば[あちらこちら]で指摘されてはいたのだ(笑)
しかし、ある限られた空間とはいえ
そこに関わる人間すべてから[ジュリー]と呼ばれるとはね
時代の空気というものは恐ろしい
最初は戸惑っていた私が、そう呼ばれても平然とするようになったのだから
いま思い出せば赤面するばかりだ」
…と、おっしゃってます(笑)
そういえば、初期の甲斐バンドのステージは
黄色い歓声や紙テープが飛び交い「GSの如く」と囁かれ(笑)
甲斐さんも「ジュリーみたい」と呼ばれていらしたことが…(笑)
ともあれ、その後、亀和田さんは
「顔がデカイといえば、西川のりおの専売特許みたいだが
一、二の不心得者が、私とのりおが似ていると言うので
[文壇のジュリーと呼ばれてますねえ]なんて訊かれると
[いえいえ、近頃はSF界の西川のりおと呼ばれてます]
などとオドケテみせる今日この頃だ(笑)
でも、のりおは[ひょうきん族]で
よくジュリーの真似をしていたから
ジュリー→のりお→亀和田の間に類似要素はあるかも知れない
以前に鶴ちゃんの番組に出た時に
[SF界ののりお]云々の話をしたのだが
間髪入れず鶴太郎氏が[いやぁ、八方さんにも似てますよ]と
突っ込みを入れて来たのだ
という訳で、お笑いタレントのレプリカント風に
形容されることの多い亀和田であるが
昔は根津甚八に似ていると言われたことだってあった
峰岸徹には今でも似ていると言われることが多いから
当然、今は亡き赤木圭一郎にも似ていることになる
しかし、タレントに似ているからといって嬉しいものではない
[平山みきに似てるぜ]と言われた時は複雑な気分に陥ったなぁ
で、甲斐よしひろである
一時、自分でも[うわっ、よく似てるなあ]と思うくらいソックリだったが
ここ何年かは、ちょっと印象の違う顔になって来たようだ
6年前のコンサート会場では、開演直前の座席に座っていても
終了直後のロビーに立っていても
甲斐よしひろ本人と間違えて話しかけて来るファンがいたくらいだから
本当に似ていたんだろうな」とおっしゃってるんだけど
他のミュージシャンのライブならいざ知らず
当の甲斐バンドライブで、そんな時間、そんな場所に
いらっしゃる訳がない甲斐さんと見間違われるって、どんだけ?…(笑)
それはさておき…似ておられるのはお顔だけじゃないみたいで
「贔屓のレスラーに関しては、私と甲斐よしひろの意見は全く一致している
外国人レスラーではスタン・ハンセン
日本人では長州力である」と亀和田さん
「私と彼が会えば、決まってプロレス談義の花が咲くようになった」のは
「プロレスブームに何テンポか遅れて
このワタクシメが突如、重症のにわかプロレスファンになったためだ」けど
「もっとも[にわか]などと書いたのは謙遜してのことで
何しろ私は力道山が昭和33年にルーテーズを破って
インターナショナル・チャンピオンになってから
昭和38年の暮れ、赤坂で刺殺されるまでの5年間というものは
相当のプロレスフリークでありまして
この間の試合に関しては、村松友み氏とも
タメセン張るんじゃないかというほどの記憶を誇っている訳で
つまり、ファンとしての基礎教養が
キョービの子供たちとは違う」んだとか…(笑)
で…「私見では、ハンセンと長州のファイトに共通するのは
攻撃的(アグレッシブ)な知性という要素である
言葉を交わせば大体その人物の知性というのは判るものではあるが
実は身体の動きというのにも知性は表れる
いや、咄嗟の判断を要求されるプロレスのような格闘技の場合
ゴマカシの効かない分だけ、喋りよりも露骨に
知性の程度が表出してしまうのである
プロレスというもう一つのファクターを導入することによって
甲斐よしひろのステージの魅力が俺には判った
そう、甲斐よしひろ率いる甲斐バンドのステージングを支えているのは
攻撃的な知性なんだなと…
甲斐バンドはライブバンドだ、というのが
ファンの間でも音楽ジャーナリズムの間でも定説になっている
では、レコード・アルバムはツマランのか?といえば、そんなことはない訳で
ライブで最大限に魅力を発揮することの出来るバンドということだと思う」
…と、記されてるんだけど
甲斐さんによると…「昔、ヒビノのミキサーに
[レコードは悪いのに、どうしてステージの音は良いんですか?]って
言われたことあるもん(笑)」
ともあれ…「甲斐バンドのコンサート数は
78年の年間130本をピークに、その後、徐々に減って行くが
それでも、一番少なくても6日に1本の勘定である
こういう時、妙に感傷的になったりして
いやぁ、雨の日も雪の日も旅から旅へのツアーか…など
訳の判らぬ評価や感想というのは下らないと思う
1年365日、1日も欠かさずやったところで
何も掴めないミュージシャンというのが
ムゴイ話ではあるが、この世には存在するのである
そして甲斐よしひろは年間100本前後のコンサートを消化することによって
確実に何かを自分の体内に蓄積することに成功したのである
ビートたけしと小林信彦の対談で
舞台出身のコメディアンは強い、という話を読んだ記憶があるが
ミュージシャンも同様だ
どうやれば受けるか?といった皮相なレベルでなく
もう少し深いところで観客を喜ばせ、納得させるには
どう歌えば良いかということが
非凡なミュージシャンたちには見えているはずなのだ
かといって、力の限り歌えば、あるいは心を込めて歌えば
おのずと観客に気持ちは通じて行くといった
絵空事が通用する世界ではもとよりない
ショービジネスの側面は厳然として存在する
だからこそ、観客はロック・コンサートで
あんな風にアラレもなくエキサイトするのである
ただただ騒ぎまくりたいという野卑な欲望と
高貴な感動を体験したいというピュアな憧れを
二つながら宿した観客を…それも数千名という
観客のオーダーを満足させることが出来るミュージシャンというのは
やはり当代一流の煽動家であり、演技者であり
精神分析家であるに違いない
ここら辺がまた、ロックとプロレスの似ているところである
強いだけではダメ、それをどうやって観客に見せ、納得させるかが
一流と二流の分かれ目なのだから…」と記されてますが
かつて、中島みゆきさんが甲斐バンドのツアーのことを
「プロレスの巡業か⁉(笑)」とおっしゃったのは
その本数の多さだけではなかったのかも知れませんね(笑)