「甲斐よしひろの[サウンドストリート]に
田家秀樹、川又千秋と一緒にゲスト出演した時のことだ
番組に寄せられたファンからのハガキに
[【観覧車'82】に登場する恋人たちは、その後どうなったのでしょう?
今も一緒に暮らしているのでしょうか?
それとも別れてしまったのでしょうか?]…といった内容の質問があった
この曲に限らず、そうした聴き方を
…つまり、歌詞に登場する恋人たちのその後に思いを馳せるという聴き方を
一度もしたことなかった僕には
この質問の主の発想法はちょっとした驚きだった」と亀和田さん
ただ、脚注には「つい最近、ユーミンのレコードをまとめて聴く機会があって
歌詞カードに書かれた断片的な記述から
ヒロインである[私]は学生だろうか?それともOLだろうか?
その恋の相手である[あなた]はもう郷里に帰って結婚しているのだろうか?
…なんてことをあれやこれや思いを巡らせていくというアプローチは
ユーミン・タイプの歌では正解だなと思う」と記されてます
ボクは、映画「卒業」のラストで
「教会から手に手を取って逃げ出した2人は、その後どうなったのか?」
…という例の件を思い出しました(笑)
もっとも、奥さんは【観覧車'82】の2人が別れたなんて
全く考えたことがなかったらしく
亀和田さんとは違う意味で驚いたみたいだけど…(笑)
当の番組については以前にもご紹介しておりますが
甲斐さんが「[手を伸ばせば届きそうな]という歌詞があるんですけど
観覧車の窓って開くの?」とお訊ねになり
「僕、乗ったことないんですよ」と話されると
亀和田さんが「観覧車童貞!?(笑)」と驚かれてました(笑)
その後、観覧車に乗られた甲斐さんのご感想は
「回転のスピードがゆっくりし過ぎていて途中で降りたくなった」だそうです(笑)
これは、この放送の中でも話題になったブラッドベリの「黒い観覧車」
…甲斐さんは「何かが道をやって来る」の
「黒いカーニバル」とおっしゃっていたような気が…みたいに
1周するごとに1歳、年をとったり若返ったりする
「タイムマシン」のイメージがあるせいじゃないか?と奥さん(笑)
しかも、奥さんのうろ覚えの記憶では
「黒いカーニバル」では「観覧車」ではなく「回転木馬」が
タイムマシンの役目を担っていたらしく
最後はかなり激しくグルグルするようです(笑)
そうそう!当時の甲斐さんは「何かが道を…」とおっしゃる際に
必ず「Something wicked this way comes」と原題を口にされてましたが
亀和田さんが学生運動なさっていた頃、米軍脱走兵の世話役に指名され
お互いに固有名詞を出すという形…
「ストーンズ、OK!」とか「ボブ・ディラン、最高です」…で
コミュニケーションを取っていらした時
米兵の方が言われたこの「Something…」という長いタイトルを
何度か問い質されたことがあったんだとか…
ちなみに、この米兵の方は日本人の彼女から
「ベッドで[もっと]って日本語を教えられた」らしく
亀和田さんいわく…初めて外国人と交わした下ネタトークだ(笑)
2001年に彼が再来日を果たした際に
亀和田さんは「伝手を頼って」会いに行かれたものの
「たった5〜6日会っただけの日本人を覚えていなかった」そうですが
「私がふと[ブラッドベリが好きだったよね?]と訊いてみたら
即座に『そう[Something…]は最高だよ』と全く同じ口調で
邦題[何かが道をやって来る]の書名を口にした」んだとか…
ともあれ、亀和田さんは「歌詞の分析というのが大の苦手」らしく
その理由として「甲斐バンドの曲だと
歌詞は音(サウンド)と分かち難く一体となっていて
一語一語はビートに乗って僕の耳と胸に突き刺さって来る訳で
言葉だけによって解釈しようとする
アンバランスな重心の置き方に対する警戒心がまず一つ
ザーッと歌詞を眺めただけで、とりあえず判ってしまった気分になれる
これではヤバイというよりも、つまらない。味気ない
恋愛感情にしてもそうだが、相手のことが理解できたと思った瞬間
興味や好奇心の大半もまた消え失せてしまう
せっかく未知の魅力をふんだんに詰め込んだ歌なのに
歌詞カードに何度か目を通しただけで理解したつもりになり
興味や好奇心を失ってしまうのでは、とてももったいない
そして、さらに本質的な理由としては
歌詞カードをじっと眺めるという静的な行為にうまく馴染めないことがある
確かに歌詞カードに書かれている通りの言葉を、歌手は歌う
しかし、歌詞カードに記載されている詩と
実際にレコードやステージで歌われるそれとの間には
決定的な差異が生じている
原料と加工品の違いとでも言ったら良いか
例えば、石油とそれを加工して出来るポリバケツくらいに
両者は異なっているはずだ
歌詞カードを眺めてるだけでは
歌手がその言葉をどんなメロディの上に乗せ
どんなリズムとテンポで歌っているかが、曖昧にしか判らない
そして、どの言葉に最も情感を込めたのかといったことや
歌詞の途切れる部分…つまり間奏の部分には
どういったニュアンスを含ませていたのかといったことは
全くと言っていいほど浮かび上がって来ない
だが、ひょっとすると…僕は歌詞カードと歌詞分析に対して
不当な攻撃を展開してしまったのではないか
レコードやコンサート会場で
ヴォーカリストがある言葉をメロディに乗せて口から発した時に
それを聴いて込み上げて来た驚きや喜び…
その一瞬後には手の届かないところに消えてしまい
言葉に翻訳しようとすれば跡形もなくなってしまう
…そうした感動をもう一度、体に呼び戻そうと
誰もが切実な思いで歌詞カードに眼を落としているはずなのだ
誰も岩波文庫や新潮文庫に収められた
ヘッセやリルケや中原中也を読む時のようには
クールに読んでいないはずだ」とおっしゃってますが
確かに、奥さんが甲斐さんの書かれた歌詞を集めた「ANNA」を読む際には
声には出さずともメロディを伴っているはずだと思う(笑)
それはともかく…「音楽を、歌詞カードや楽譜集といった
狭苦しい容れ物から解放しなければならない
常日頃、そう思っているにも関わらず
いざ実際にある特定の曲にアプローチしようとすると
とりあえず歌詞を書き写す作業から始めなくてはならない
その行為が、言行不一致のようで口惜しい」と亀和田さん(笑)
「この曲のオリジナルは
アルバム[破れたハートを…]に収録された【観覧車】である
オリジナルの【観覧車】は、ちょっとオリエンタルなエッセンスを垂らした
フォークっぽい雰囲気のキレイな曲だった
しかし、今【観覧車'82】と聴き比べると
単にテンポがゆったりしているというだけでなく、いかにも抒情に流れ過ぎ
結果として全体が平板な印象に陥ってしまったきらいがある
もっとも、初めて【観覧車'82】を聴いた時は
[あーあ、せっかくのキレイな曲が、とっちらかっちゃって]と感じたのだから
僕の耳も相当にいい加減である」と記されていて(笑)
聴き手の年齢やそれに伴う環境の変化によって
同じ曲から違った印象を受けることはあるんじゃないかと…?
ちなみに、川又さんは【観覧車】の方がお好きらしいんだけど
甲斐バンドの人気曲は「ライブで取り上げられる曲」に傾きがちなので
どうしても【観覧車'82】に押され
なかなか生でお聴きになれないようです(苦笑)
でも、甲斐さんは、この川又さんの言葉を
面白そうに、少し嬉しそうにお聴きになってたみたいですが…(笑)
ただ、難産だったアルバム「破れたハートを…」で
一番最後に書かれたという【観覧車】が
休業宣言なさってまで、こだわられた「虜」の
「[引き金]になっている」発言を考えるとナットクですね
ともあれ、奥さんはこの日のサンストでの結論を
「2人は別れてはいない」と記憶していて
甲斐さんが「若い恋人同士なら、ケンカすると
それがきっかけで別れてしまうこともあるけど
一生やって行くんだって決めた相手とは
ケンカしたって、うまく行かないことがあったって
バカヤロー、俺とお前はずっと一緒にやって行くんだ」
…といった意味のことを話されたそうで
その時は「家庭で何か?」と心配したらしいんだけど
後に「あれは、甲斐バンドのことを言ってたのかなあ?」と…
まあ【無法者の愛】の歌詞が、長岡さんのことを思い描いて
書かれたものじゃないか?と気づいた時と同じパターンですね(笑)
で、亀和田さんは「我々は[観覧車という乗り物には
恋人たちこそ似つかわしい]という結論を導き出した
その時、甲斐よしひろがエネルギッシュに吠えた
[でしょ?だから、若い恋人たちが乗ったからといって
当たり前すぎて面白くもなんともないんで
もうそんな時期をとっくに過ぎた大人が思い出してるから面白いんでね…]
辛い心理ドラマを、ただ感傷的に歌い上げるのではなく
外見は弾みをつけたダンサブルなナンバーに仕上げ
哀愁を漂わせた音は隠し味として使用することによって
この曲は一層の重層性を獲得し
結果として[切ない]感動を湛えた曲となっている
甲斐よしひろのヴォーカリストとしての
そして、ソングライターとしての成熟が、この曲を産んだと言っていい」
…と、おっしゃってますが、考えようによれば
この投稿者の方は、歌詞だけ読むのではなく
曲も併せて聴かれたからこそ
「別れてしまったのか?そうじゃないのか?」
判断に迷われたんじゃないかと…?
余談ですが…この日は「100回記念」の放送だったそうだけど
最終回に「100回記念の放送は最低でした」との投稿があり
甲斐さんは「100回記念って何だっけ?」と
すっかりお忘れだったみたいで
奥さんは「最低」と「何だっけ?」の両方にビックリ(笑)
まあ、甲斐さんが覚えておられなかったのはともかく(笑)
「最低」と思われた方は、甲斐さんの「離婚」や
長岡さんの「脱退」の頃の放送のように
ヒリヒリした緊張感のある内容の方が良かった
…という風に記されていたので
この「おじさん」4人の座談会(笑)は、悪ふざけに思われたのかも?
奥さんによれば…
甲斐さんが「僕には子供がいてしまいました
でも、ちゃんと責任とりましたよ」と告られた際に
亀和田さんが「ソウハ!」とおっしゃって
「前人未到、何千キロ走破とは違いますね」
と、苦笑なさったりしたらしいし…(笑)
でも、奥さんは「荒川遊園って
公園でもないの、遊園地でもないの、遊園なの
そこに行くと、遠い目をした中年になっちゃう(笑)」
甲斐さんに「暗闇で一番知的(笑)」と言われた
亀和田さんが大好きなんだとか…(笑)
田家秀樹、川又千秋と一緒にゲスト出演した時のことだ
番組に寄せられたファンからのハガキに
[【観覧車'82】に登場する恋人たちは、その後どうなったのでしょう?
今も一緒に暮らしているのでしょうか?
それとも別れてしまったのでしょうか?]…といった内容の質問があった
この曲に限らず、そうした聴き方を
…つまり、歌詞に登場する恋人たちのその後に思いを馳せるという聴き方を
一度もしたことなかった僕には
この質問の主の発想法はちょっとした驚きだった」と亀和田さん
ただ、脚注には「つい最近、ユーミンのレコードをまとめて聴く機会があって
歌詞カードに書かれた断片的な記述から
ヒロインである[私]は学生だろうか?それともOLだろうか?
その恋の相手である[あなた]はもう郷里に帰って結婚しているのだろうか?
…なんてことをあれやこれや思いを巡らせていくというアプローチは
ユーミン・タイプの歌では正解だなと思う」と記されてます
ボクは、映画「卒業」のラストで
「教会から手に手を取って逃げ出した2人は、その後どうなったのか?」
…という例の件を思い出しました(笑)
もっとも、奥さんは【観覧車'82】の2人が別れたなんて
全く考えたことがなかったらしく
亀和田さんとは違う意味で驚いたみたいだけど…(笑)
当の番組については以前にもご紹介しておりますが
甲斐さんが「[手を伸ばせば届きそうな]という歌詞があるんですけど
観覧車の窓って開くの?」とお訊ねになり
「僕、乗ったことないんですよ」と話されると
亀和田さんが「観覧車童貞!?(笑)」と驚かれてました(笑)
その後、観覧車に乗られた甲斐さんのご感想は
「回転のスピードがゆっくりし過ぎていて途中で降りたくなった」だそうです(笑)
これは、この放送の中でも話題になったブラッドベリの「黒い観覧車」
…甲斐さんは「何かが道をやって来る」の
「黒いカーニバル」とおっしゃっていたような気が…みたいに
1周するごとに1歳、年をとったり若返ったりする
「タイムマシン」のイメージがあるせいじゃないか?と奥さん(笑)
しかも、奥さんのうろ覚えの記憶では
「黒いカーニバル」では「観覧車」ではなく「回転木馬」が
タイムマシンの役目を担っていたらしく
最後はかなり激しくグルグルするようです(笑)
そうそう!当時の甲斐さんは「何かが道を…」とおっしゃる際に
必ず「Something wicked this way comes」と原題を口にされてましたが
亀和田さんが学生運動なさっていた頃、米軍脱走兵の世話役に指名され
お互いに固有名詞を出すという形…
「ストーンズ、OK!」とか「ボブ・ディラン、最高です」…で
コミュニケーションを取っていらした時
米兵の方が言われたこの「Something…」という長いタイトルを
何度か問い質されたことがあったんだとか…
ちなみに、この米兵の方は日本人の彼女から
「ベッドで[もっと]って日本語を教えられた」らしく
亀和田さんいわく…初めて外国人と交わした下ネタトークだ(笑)
2001年に彼が再来日を果たした際に
亀和田さんは「伝手を頼って」会いに行かれたものの
「たった5〜6日会っただけの日本人を覚えていなかった」そうですが
「私がふと[ブラッドベリが好きだったよね?]と訊いてみたら
即座に『そう[Something…]は最高だよ』と全く同じ口調で
邦題[何かが道をやって来る]の書名を口にした」んだとか…
ともあれ、亀和田さんは「歌詞の分析というのが大の苦手」らしく
その理由として「甲斐バンドの曲だと
歌詞は音(サウンド)と分かち難く一体となっていて
一語一語はビートに乗って僕の耳と胸に突き刺さって来る訳で
言葉だけによって解釈しようとする
アンバランスな重心の置き方に対する警戒心がまず一つ
ザーッと歌詞を眺めただけで、とりあえず判ってしまった気分になれる
これではヤバイというよりも、つまらない。味気ない
恋愛感情にしてもそうだが、相手のことが理解できたと思った瞬間
興味や好奇心の大半もまた消え失せてしまう
せっかく未知の魅力をふんだんに詰め込んだ歌なのに
歌詞カードに何度か目を通しただけで理解したつもりになり
興味や好奇心を失ってしまうのでは、とてももったいない
そして、さらに本質的な理由としては
歌詞カードをじっと眺めるという静的な行為にうまく馴染めないことがある
確かに歌詞カードに書かれている通りの言葉を、歌手は歌う
しかし、歌詞カードに記載されている詩と
実際にレコードやステージで歌われるそれとの間には
決定的な差異が生じている
原料と加工品の違いとでも言ったら良いか
例えば、石油とそれを加工して出来るポリバケツくらいに
両者は異なっているはずだ
歌詞カードを眺めてるだけでは
歌手がその言葉をどんなメロディの上に乗せ
どんなリズムとテンポで歌っているかが、曖昧にしか判らない
そして、どの言葉に最も情感を込めたのかといったことや
歌詞の途切れる部分…つまり間奏の部分には
どういったニュアンスを含ませていたのかといったことは
全くと言っていいほど浮かび上がって来ない
だが、ひょっとすると…僕は歌詞カードと歌詞分析に対して
不当な攻撃を展開してしまったのではないか
レコードやコンサート会場で
ヴォーカリストがある言葉をメロディに乗せて口から発した時に
それを聴いて込み上げて来た驚きや喜び…
その一瞬後には手の届かないところに消えてしまい
言葉に翻訳しようとすれば跡形もなくなってしまう
…そうした感動をもう一度、体に呼び戻そうと
誰もが切実な思いで歌詞カードに眼を落としているはずなのだ
誰も岩波文庫や新潮文庫に収められた
ヘッセやリルケや中原中也を読む時のようには
クールに読んでいないはずだ」とおっしゃってますが
確かに、奥さんが甲斐さんの書かれた歌詞を集めた「ANNA」を読む際には
声には出さずともメロディを伴っているはずだと思う(笑)
それはともかく…「音楽を、歌詞カードや楽譜集といった
狭苦しい容れ物から解放しなければならない
常日頃、そう思っているにも関わらず
いざ実際にある特定の曲にアプローチしようとすると
とりあえず歌詞を書き写す作業から始めなくてはならない
その行為が、言行不一致のようで口惜しい」と亀和田さん(笑)
「この曲のオリジナルは
アルバム[破れたハートを…]に収録された【観覧車】である
オリジナルの【観覧車】は、ちょっとオリエンタルなエッセンスを垂らした
フォークっぽい雰囲気のキレイな曲だった
しかし、今【観覧車'82】と聴き比べると
単にテンポがゆったりしているというだけでなく、いかにも抒情に流れ過ぎ
結果として全体が平板な印象に陥ってしまったきらいがある
もっとも、初めて【観覧車'82】を聴いた時は
[あーあ、せっかくのキレイな曲が、とっちらかっちゃって]と感じたのだから
僕の耳も相当にいい加減である」と記されていて(笑)
聴き手の年齢やそれに伴う環境の変化によって
同じ曲から違った印象を受けることはあるんじゃないかと…?
ちなみに、川又さんは【観覧車】の方がお好きらしいんだけど
甲斐バンドの人気曲は「ライブで取り上げられる曲」に傾きがちなので
どうしても【観覧車'82】に押され
なかなか生でお聴きになれないようです(苦笑)
でも、甲斐さんは、この川又さんの言葉を
面白そうに、少し嬉しそうにお聴きになってたみたいですが…(笑)
ただ、難産だったアルバム「破れたハートを…」で
一番最後に書かれたという【観覧車】が
休業宣言なさってまで、こだわられた「虜」の
「[引き金]になっている」発言を考えるとナットクですね
ともあれ、奥さんはこの日のサンストでの結論を
「2人は別れてはいない」と記憶していて
甲斐さんが「若い恋人同士なら、ケンカすると
それがきっかけで別れてしまうこともあるけど
一生やって行くんだって決めた相手とは
ケンカしたって、うまく行かないことがあったって
バカヤロー、俺とお前はずっと一緒にやって行くんだ」
…といった意味のことを話されたそうで
その時は「家庭で何か?」と心配したらしいんだけど
後に「あれは、甲斐バンドのことを言ってたのかなあ?」と…
まあ【無法者の愛】の歌詞が、長岡さんのことを思い描いて
書かれたものじゃないか?と気づいた時と同じパターンですね(笑)
で、亀和田さんは「我々は[観覧車という乗り物には
恋人たちこそ似つかわしい]という結論を導き出した
その時、甲斐よしひろがエネルギッシュに吠えた
[でしょ?だから、若い恋人たちが乗ったからといって
当たり前すぎて面白くもなんともないんで
もうそんな時期をとっくに過ぎた大人が思い出してるから面白いんでね…]
辛い心理ドラマを、ただ感傷的に歌い上げるのではなく
外見は弾みをつけたダンサブルなナンバーに仕上げ
哀愁を漂わせた音は隠し味として使用することによって
この曲は一層の重層性を獲得し
結果として[切ない]感動を湛えた曲となっている
甲斐よしひろのヴォーカリストとしての
そして、ソングライターとしての成熟が、この曲を産んだと言っていい」
…と、おっしゃってますが、考えようによれば
この投稿者の方は、歌詞だけ読むのではなく
曲も併せて聴かれたからこそ
「別れてしまったのか?そうじゃないのか?」
判断に迷われたんじゃないかと…?
余談ですが…この日は「100回記念」の放送だったそうだけど
最終回に「100回記念の放送は最低でした」との投稿があり
甲斐さんは「100回記念って何だっけ?」と
すっかりお忘れだったみたいで
奥さんは「最低」と「何だっけ?」の両方にビックリ(笑)
まあ、甲斐さんが覚えておられなかったのはともかく(笑)
「最低」と思われた方は、甲斐さんの「離婚」や
長岡さんの「脱退」の頃の放送のように
ヒリヒリした緊張感のある内容の方が良かった
…という風に記されていたので
この「おじさん」4人の座談会(笑)は、悪ふざけに思われたのかも?
奥さんによれば…
甲斐さんが「僕には子供がいてしまいました
でも、ちゃんと責任とりましたよ」と告られた際に
亀和田さんが「ソウハ!」とおっしゃって
「前人未到、何千キロ走破とは違いますね」
と、苦笑なさったりしたらしいし…(笑)
でも、奥さんは「荒川遊園って
公園でもないの、遊園地でもないの、遊園なの
そこに行くと、遠い目をした中年になっちゃう(笑)」
甲斐さんに「暗闇で一番知的(笑)」と言われた
亀和田さんが大好きなんだとか…(笑)