ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

12/25ドキュメンタリー同期生②

2013-12-27 12:05:13 | メディア
『諦め切れずにもがいた男』と紹介された飯澤さんは
他のバンドでプロを目指されたそうだ

ディスコで生演奏をなさったこともあったとか…

田中一郎さんが、アマチュアの頃に
先輩から『演奏が練れて良い』と
ディスコでのバイトを勧められたらしいんだけど

人が踊っている後ろで弾くのがイヤで
お断りになったという

バイト代は、比べものにならないくらい安くても(笑)
曲を聴いてくれる方の前で演奏したいと思われたんでしょうね

それはさておき、飯澤さんは
大学を中退して上京されたものの
29歳の時に夢を諦め、楽器を人に譲られたそうだ

ご家族がいらっしゃったことも
無関係ではないでしょうけど

『縁がなかった』
『しようがないかな』と思えるまでに
10年の歳月が必要だったということですよね

井手さんが趣味として
音楽を続けておられたのとは対称的に

30年間、歌うことなく
音楽を封印して来られたことに
かえって断ち切り難い思いを感じてしまいました


この番組の前夜に放送された
長野五輪スキージャンプ組では

金メダルを手にした舟木選手と
故障のためメンバーから外れた葛西選手が
取り上げられていたんですが

いかにも『明暗を分けた』かのようなお二人は
15年経った今も現役で競技に参加されているそうだ

葛西選手の諦め切れない気持ちは想像できたんだけど
なぜ舟木選手が?と思ったら…

若くして金メダリストになったために
以後の目標を見失ってしまったんだとか…

今は、日本人唯一のプロとして
活動されているようですが
スポンサー探しの合間にしか練習が出来ず
最新の施設や理論からも遠ざかってしまったという


そう考えてみれば…
デビューしたい、ヒット曲を出したいという
夢を叶えることは、もちろん大変なことだけど

その後も次の目標を掲げて
モチベーションを上げ続けることは
それ以上に苦しいことでしょう

井手さんが、50歳の時に歌詞が書けなくなられたのも
モチベーションの問題じゃないかと…

『歌詞はメッセージだから
ちゃんとしなくちゃいけない』と
考えておられたからこそ

好きだ、愛してる…といった歌詞に
違和感を感じられたんでしょうし

『老い』をテーマにしたら
12年ぶりに歌詞が書けたんでしょう

20代の甲斐さんが
『50歳になっても、50歳の俺が書ければ
それが俺の証になる』とおっしゃってたけど

奥さんは
甲斐さんが60歳を過ぎ、70歳になっても
『自分探し』を止めずに続けて欲しいと言ってます(笑)

もっとも、テーマは『老い』じゃなく
ラブソングを希望してるみたいだけど…(爆)


飯澤さんが博多に戻られ
30年ぶりに歌われるようになって
『目標があると仕事も頑張れる』と言われてましたが

この言葉は、まるっとそのまま
奥さんの言葉です(笑)

余談ですが…

井手さんは今、長崎に住んでおられるんだとか…
長岡さんも故郷に帰られてるようだし

元・リグビーの仲間同士で
お会いになったりしてるんでしょうか?(笑)
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12/25ドキュメンタリー同期生①

2013-12-26 19:54:05 | メディア
昨夜の照和1973年組は、元【ピエロ】のお二人…
井手さんと飯澤さんにスポットが当てられ

『マスターの甲斐さん』こと松尾スズキさんが
ナレーターを務めておられました(笑)

『照和』については
皆さまの方がよくご存知と思いつつ
以前に長々と書かせて頂いたので
重複することもあるかと存じますが…(苦笑)

まずは、チューリップ・海援隊を輩出したライブハウス
という紹介から始まり…

あっ!でも、新聞のテレビ欄には
『海援隊、甲斐バンドを生んだライブハウス』と出てました♪

その武田鉄矢さんいわく…

人に似せたりすると
すごく仲間がバカにした(笑)

どう個性的であるか
本当に思い詰めて活動していた

長岡さんも
『真似することは、恥ずべきこととされていた』
と、おっしゃってたことが…

甲斐さんは『4小節以内はOK!』を逆手に取って…
と笑っておられたけど

【魔女の季節】のコードは
甲斐さんが考え出されたんですよね(笑)

『誰も使ったことがないコードばかり探してた』
と話されてたそうだし…(笑)


それはさておき…

井手さん、上野さん、安部さんが結成されたピエロは

井手さんが作られるキレイなメロディと
上野さんとのハーモニーが美しい
フォークグループだったらしいんだけど

安部さんが脱退され、井手さんがベースを担当
当時、共に福大1年生だった
松藤さんがギター
飯澤さんがキーボードで加入され

『チューリップの再来』と呼ばれるようになったという

映画『照和』の中で、松藤さんいわく…
メンバー全員がプロになるつもりでした(笑)

実際、ポプコンで最優秀楽曲賞を受賞
レコード会社を選り好みするほど(笑)だったのに

星勝さんに送る筈のデモテープを
メンバーに黙って送らずにいた井手さん…

番組の中で
『才能に自信が持ち切れず
プロへの一歩を踏み出せなかった男』と紹介された通り

ご本人も『中途半端だった
(バンドを)引っ張って行こうという気がなかった』
とおっしゃってたけど(苦笑)

先にデビューしたチューリップは
人気も実力も九州で群を抜いていたそうだし

イヤでも財津和夫さんとご自分、
チューリップとピエロを
比較してしまったんじゃないでしょうか?

甲斐さんがおっしゃってたように
博多と東京は、今よりずっと遠かった時代で

東京へ行っても夢破れて帰って来たバンドも
少なくなかったと思う…


甲斐バンドのメンバーと一緒に生活されていた頃

慣れないドラムに疲れて眠っておられる
松藤さんをご覧になった甲斐さん

『こいつを引っ張って来てよかったんだろうか…?』
と思われたそうだけど

ご自分の将来さえ判らないのに
人の一生を背負い込むなんて…
考えただけで不安に押し潰されそうです(汗)

ただ、甲斐さんは『サラリーマン失格』と自覚され(苦笑)

音楽でダメだったら、もう後がないという
腹の括り方をなさったから
一歩を踏み出せたんじゃないかと…?

ともあれ、井手さんが迷われたおかげで?
甲斐バンドが結成されたんですよね(笑)
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メリークリスマス♪

2013-12-24 23:53:18 | 日記
以前に甲斐さんは
『クリスマスが苦手だ』とおっしゃってたそうだ


甲斐さんがまだ幼い子供の頃
お父様が知人の保証人になられたことで

お店も全部、人手に渡り
夜逃げ同然に引っ越されたらしい

引っ越し当初の甲斐さんは
お母様が午前中だけでも家におられるのが嬉しくて
縁側で何枚も絵を描いておられたという

でも、心機一転やり直そうとした矢先
お父様が家を出て行かれる様子を目の当たりにして以来

甲斐さんの描く絵には
全て黒い縁取りがされるようになったらしい

甲斐さんの目には
本当にそう見えていたそうだ


甲斐さん達ご兄弟は
朝早くから夜遅くまで働いておられるお母様のために
お店に夕食を届けることにしたんだとか…

ご自宅から自転車で運ぶのが
甲斐さんの役目だったらしいんだけど

下校中の同級生の方もいるバス停の前で
その夕食をひっくり返してしまい
『とっても耐えられない』と思われたことや

3歳上のお兄様と夕食の買い出しに行かれた帰りに
甲斐さんは、人通りの多い商店街で躓いて

派手にお米をブチ撒けてしまい
お兄様を放って、そのまま一人で逃げ帰ったことを

今でも情けなく
どうしようもないくらい後ろめたく思っておられ

冷たい風と慌ただしい師走が来ると
その時のことを思い出してしまうんだとか…


毎週日曜の夜だけは
ご家族全員でテレビを見ながら
すき焼きを食べるという
そんな当たり前のような一家団欒が

当時の甲斐さんには
すっかり忘れていた家庭の暖かさだったそうだ

今でも、すき焼きを召し上がると
急に胸のつまる思いがすると言われるのも
その時の味がするからだと…


『貧しかったがゆえに
本当に恥ずかしかったから』

甲斐さんが【師走】と名づけたあの曲には

思い出したくないけど忘れてしまいたくないものが
いっぱい詰まっているんでしょうね


でも、前の奥様にプロポーズされたのは
クリスマスの夜だったようだけど(笑)

武道館ライブで秋のツアーを締めくくった後
食事をしに行かれたレストランで
指環をプレゼントされたんだとか…

この頃に【街灯】と【安奈】が生まれ
その後【聖夜】を歌われました


奥さんは、クリスチャンではないし
サンタクロースを信じてない子供だったので(爆)

クリスマスを楽しみにしたことがなかったらしいんだけど(笑)

甲斐さんが『クリスマス』を歌われるから
意識するようになったという(笑)

甲斐さんが『好きなクリスマス・ソング』を訊かれて
【ママがサンタにキスをした】と答えられた時

奥さんいわく…

この曲ってイイ曲だけど
歌詞がサンタのネタバレだよね(爆)

ともあれ、メリークリスマス♪
皆さま、素敵なクリスマスを…


余談ですが…

今年の押尾さんのクリスマス・ライブで
【リベル・タンゴ】が演奏されたと知って

奥さんは、のたうち回ってました(笑)
まぁ…休みが取れなくなったのも
自業自得なんですけど…(苦笑)

ボクも是非聴いてみたい!!
今から音源探してみます♪
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アップトゥデイト…?

2013-12-24 07:01:20 | 日記
書き始めた時は、ホットなニュースだったんですけど…
ふと気づけば、もういいか…状態(苦笑)

おヒマなら見てよね♪ってカンジで、ひとつ…m(_ _)m


『マンデラ』という言葉さえ
まともに表現してなかったらしい
疑惑の手話通訳の男性(汗)

あの式典が始まる1時間前から
会場に待機していたそうだけど

世界の要人の隣に立つ人間に対して
厳重な筈のセキュリティが
全く機能してなかったなんてビックリですよね!?

彼を派遣した通訳会社は
他社に比べて格安の料金だったとか…(苦笑)

でも、4時間以上もデタラメな手話を続けるって
ひとつの才能かも!?(笑)

ちなみに…あの『チェケラ』(爆)な動きを
こじつけて?解読すると…

『さあ、パーティを始めようぜ』
『大きな魚、小さな魚、ダンボール箱』(爆)

変な手話通訳をした言い訳に
『天使が現れたから』って…(苦笑)
通りの向こうからやって来たんでしょうか!?(爆)


いよいよ『世界のHONDA』のミラン入りが決定♪
チーム再建のキーマンとして
かなり期待されているのかも?

…じゃないと、いくら本田選手が
背番号『10』を希望したと言っても
おいそれと着けさせてはくれないでしょう(笑)

早ければ、1月6日に
その勇姿が見られそうです♪


佐藤英二さんが、ご自身のブログに
来年のW杯はいつもよりも
さらに楽しみと書かれてたけど
肝心のスタジアムの建設工事が
大幅に遅れているんだとか…(汗)

FIFAに完成期限を1年延長して貰ったのに
開幕には到底!?間に合わない状況らしい

いつも、そういう話は出て来るから
ナンダカンダでクリアするだろうと思っていたけど
大統領自ら『無理!!』宣言(爆)

代替え候補地には、日本の名前も上がっていますが
それこそ『無理!!』でしょう(笑)

ブラジルで開催されるからこそ
チケットもスゴイ勢いで売れてるんだし(笑)

きっと甲斐さんも手配(笑)なさってるんじゃ…?

重要事項だったキャンプ地も決まって
あとは開幕までの半年足らずの間に
どこまで進化できるか?です♪


今年の漢字の『輪』は
五輪招致決定と無関係ではないと言われてるのに
招致したご本人が辞任…

『親切な人』と『記憶にない』の迷言を残し
今後は、作家として『恩返し』されるとのこと(苦笑)

第一作目には是非!
『元・東京都知事』を取り上げて頂きたいですね(笑)


…にしても、次の都知事候補として
お名前が挙がっている方々…
どうなんでしょう!?(苦笑)

またまた巨額な血税を遣っての選挙(汗)
『親切な人』に貸して頂いては!?(笑)

そうそう!『みんなの党』さんは
実質『俺の父さん』になっちゃいましたね(笑)

『一夫多妻制か!?』ってツッコめないのが残念…(笑)

でも、江田代表の新党は
『結いの父さん』なんですよね(爆)


今日で我が家は30周年♪

あるアンケートによると…

世のご主人方の8割は、生まれ変わっても
今の奥様と結婚したいと思っておられるんだけど

奥様方の8割は、次は違う男性と…
とおっしゃったそうだ(苦笑)

奥さんもそうなのかなぁ?
怖くて訊けませんが…(汗)

甲斐さんが言われたように
『家族に手を焼かされるのは幸せなことなんだ』

と思ってくれることを祈って…
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Crossroad~応援ドキュメンタリー~

2013-12-23 02:19:25 | メディア
今回は、パティシエ・小山進さんの特集でした♪

兵庫県三田市に『エス・コヤマ』を開店されてから10年…

コヤマロールを販売する店舗の他にも
同じ住宅街の敷地内に

マカロン専門店やカフェ、パン屋
チョコレートショップや工房を増設され

『買って帰る』だけでなく
『食べて美味しいの周りに楽しい』を提供する
スイーツのアミューズメント・パークを作りたかったそうだ

その一番新しい施設『未来製作所』が
今月7日にオープンしたという

これは、子供しか入れないお菓子屋さんで
入口は子供の身長くらいの高さしかなく

小山さんご自身も『腰が痛い(笑)』とおっしゃりながら
身を屈めて出入りされてました(笑)

付き添いの大人の方々は、入口前の待ち合い所で
1時間以上も出て来ない子供たちの様子を伺うために

入口を覗き込んだり、はしゃぐ声に耳を澄ませたり…(笑)

小山さんによると…

ご自身が子供の頃に通った駄菓子屋さんみたいに

子供たちが自分から『人に伝えたい』
『友達を連れて来たい』と思ってくれることが大事なんだとか…


お菓子の家をイメージさせるカラフルな外観
近未来風な秘密基地を思わせる店内

ここで売られているパンケーキ等は全て150円!?
それでも小山さんは『子供扱いする品』を作りたくないと

何度も試作を繰り返され
化学実験のように材料の分量を調節しておられました

ご自身が納得できるものが完成するまで
『ダメだ…もう1回やろう』と何度もおっしゃって

妥協を許さない姿が
甲斐さんに重なって見えたりして…(笑)

ちなみに、小山さんは
こうした試食の機会が多いため
ご自宅では、納豆と豆腐しか召し上がらないそうです(笑)

それはさておき…

この試作品の工房も兼ねた
コヤマ流・駄菓子屋さんの話は

『ROCKS』ツアーのパンフレットに掲載された
甲斐さんとの対談の中に出ていました
(取材は、昨年の12月)

1日の売り上げは数千円(苦笑)
でも、たとえ人から『アホちゃうか!?』と言われても
どうしても叶えたかった夢だったようです(笑)

小山さんが
『10年前には思いもしなかった』というこの夢について

甲斐さんは…

今は自分のためだけに生きてる人間の方が
ブレて見える時代だから
夢や目標を持つには覚悟がいる

まずは自分が好きなことをやってるんだけど
これが人のためにもなってたら良いなという感覚が必要

長く続けようと思ってやると続かない
全力で目の前の山を登ることが大事だけど
ずっと全力でやっていられないのも事実だから

方向性を絞り込んで
自分に与えられた使命だと思ってやらないとダメ

『誰から?』と訊かれたら
答えられないんだけど(笑)
『俺がやらないとダメだろ』と…(爆)


余談ですが…

このお二人の馴れ初めの場に
沢木耕太郎さんが居合わせておられたらしいんですが

ご自分のお連れの担当者の方を置き去りにして(笑)
2~3時間も話していらっしゃったんだとか…(爆)

甲斐さんは
この2ショットが珍しかったんだろう(笑)
と言われてましたけど

小山さんの駄菓子屋さんを造られた
建築家の方や職人の方々いわく…

『もっといいもの』を求める人や
『子供みたいに喜んでくれる』人の周りには

その期待に応えよう
もっと喜ばせてあげようという人間が
自然と集まってくるものなんです(笑)

沢木さんご自身も熱い方のようだし(笑)
つい甲斐さん達に惹き付けられたのかも知れませんね(笑)

奥さんによると…

小山さんは、仕事に関して
人にもご自身にも厳しい方らしく

陰のアダ名は『どエス・コヤマ(失礼!)』

甲斐さんは
バースデイ・ライブ後の打ち上げで
小山さんが差し歯を落とされたので(汗)

『差し歯のエス』とおっしゃってたそうだ(爆)
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