昨夜の照和1973年組は、元【ピエロ】のお二人…
井手さんと飯澤さんにスポットが当てられ
『マスターの甲斐さん』こと松尾スズキさんが
ナレーターを務めておられました(笑)
『照和』については
皆さまの方がよくご存知と思いつつ
以前に長々と書かせて頂いたので
重複することもあるかと存じますが…(苦笑)
まずは、チューリップ・海援隊を輩出したライブハウス
という紹介から始まり…
あっ!でも、新聞のテレビ欄には
『海援隊、甲斐バンドを生んだライブハウス』と出てました♪
その武田鉄矢さんいわく…
人に似せたりすると
すごく仲間がバカにした(笑)
どう個性的であるか
本当に思い詰めて活動していた
長岡さんも
『真似することは、恥ずべきこととされていた』
と、おっしゃってたことが…
甲斐さんは『4小節以内はOK!』を逆手に取って…
と笑っておられたけど
【魔女の季節】のコードは
甲斐さんが考え出されたんですよね(笑)
『誰も使ったことがないコードばかり探してた』
と話されてたそうだし…(笑)
それはさておき…
井手さん、上野さん、安部さんが結成されたピエロは
井手さんが作られるキレイなメロディと
上野さんとのハーモニーが美しい
フォークグループだったらしいんだけど
安部さんが脱退され、井手さんがベースを担当
当時、共に福大1年生だった
松藤さんがギター
飯澤さんがキーボードで加入され
『チューリップの再来』と呼ばれるようになったという
映画『照和』の中で、松藤さんいわく…
メンバー全員がプロになるつもりでした(笑)
実際、ポプコンで最優秀楽曲賞を受賞
レコード会社を選り好みするほど(笑)だったのに
星勝さんに送る筈のデモテープを
メンバーに黙って送らずにいた井手さん…
番組の中で
『才能に自信が持ち切れず
プロへの一歩を踏み出せなかった男』と紹介された通り
ご本人も『中途半端だった
(バンドを)引っ張って行こうという気がなかった』
とおっしゃってたけど(苦笑)
先にデビューしたチューリップは
人気も実力も九州で群を抜いていたそうだし
イヤでも財津和夫さんとご自分、
チューリップとピエロを
比較してしまったんじゃないでしょうか?
甲斐さんがおっしゃってたように
博多と東京は、今よりずっと遠かった時代で
東京へ行っても夢破れて帰って来たバンドも
少なくなかったと思う…
甲斐バンドのメンバーと一緒に生活されていた頃
慣れないドラムに疲れて眠っておられる
松藤さんをご覧になった甲斐さん
『こいつを引っ張って来てよかったんだろうか…?』
と思われたそうだけど
ご自分の将来さえ判らないのに
人の一生を背負い込むなんて…
考えただけで不安に押し潰されそうです(汗)
ただ、甲斐さんは『サラリーマン失格』と自覚され(苦笑)
音楽でダメだったら、もう後がないという
腹の括り方をなさったから
一歩を踏み出せたんじゃないかと…?
ともあれ、井手さんが迷われたおかげで?
甲斐バンドが結成されたんですよね(笑)
井手さんと飯澤さんにスポットが当てられ
『マスターの甲斐さん』こと松尾スズキさんが
ナレーターを務めておられました(笑)
『照和』については
皆さまの方がよくご存知と思いつつ
以前に長々と書かせて頂いたので
重複することもあるかと存じますが…(苦笑)
まずは、チューリップ・海援隊を輩出したライブハウス
という紹介から始まり…
あっ!でも、新聞のテレビ欄には
『海援隊、甲斐バンドを生んだライブハウス』と出てました♪
その武田鉄矢さんいわく…
人に似せたりすると
すごく仲間がバカにした(笑)
どう個性的であるか
本当に思い詰めて活動していた
長岡さんも
『真似することは、恥ずべきこととされていた』
と、おっしゃってたことが…
甲斐さんは『4小節以内はOK!』を逆手に取って…
と笑っておられたけど
【魔女の季節】のコードは
甲斐さんが考え出されたんですよね(笑)
『誰も使ったことがないコードばかり探してた』
と話されてたそうだし…(笑)
それはさておき…
井手さん、上野さん、安部さんが結成されたピエロは
井手さんが作られるキレイなメロディと
上野さんとのハーモニーが美しい
フォークグループだったらしいんだけど
安部さんが脱退され、井手さんがベースを担当
当時、共に福大1年生だった
松藤さんがギター
飯澤さんがキーボードで加入され
『チューリップの再来』と呼ばれるようになったという
映画『照和』の中で、松藤さんいわく…
メンバー全員がプロになるつもりでした(笑)
実際、ポプコンで最優秀楽曲賞を受賞
レコード会社を選り好みするほど(笑)だったのに
星勝さんに送る筈のデモテープを
メンバーに黙って送らずにいた井手さん…
番組の中で
『才能に自信が持ち切れず
プロへの一歩を踏み出せなかった男』と紹介された通り
ご本人も『中途半端だった
(バンドを)引っ張って行こうという気がなかった』
とおっしゃってたけど(苦笑)
先にデビューしたチューリップは
人気も実力も九州で群を抜いていたそうだし
イヤでも財津和夫さんとご自分、
チューリップとピエロを
比較してしまったんじゃないでしょうか?
甲斐さんがおっしゃってたように
博多と東京は、今よりずっと遠かった時代で
東京へ行っても夢破れて帰って来たバンドも
少なくなかったと思う…
甲斐バンドのメンバーと一緒に生活されていた頃
慣れないドラムに疲れて眠っておられる
松藤さんをご覧になった甲斐さん
『こいつを引っ張って来てよかったんだろうか…?』
と思われたそうだけど
ご自分の将来さえ判らないのに
人の一生を背負い込むなんて…
考えただけで不安に押し潰されそうです(汗)
ただ、甲斐さんは『サラリーマン失格』と自覚され(苦笑)
音楽でダメだったら、もう後がないという
腹の括り方をなさったから
一歩を踏み出せたんじゃないかと…?
ともあれ、井手さんが迷われたおかげで?
甲斐バンドが結成されたんですよね(笑)