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ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

TIME is LIFE~トキメキの時~(4/7)

2020-05-17 15:02:00 | メディア
こちらも甲斐バンドツアーのプロモーションの一環で
4月のマンスリーゲストとして甲斐さんが出演なさった番組です

「甲斐バンドとして、日本のロックシーンの第一線を走り続ける甲斐よしひろさん
大ヒット曲『HERO~ヒーローになる時、それは今』など
カッコいい男らしさを歌う甲斐さんが考える本当の『男のカッコよさ』とは…
フォーク全盛の昭和の時代にロックに飛び込んだ甲斐さんの音楽への思いに迫ります」
…と、MCのテリー伊藤さんとの対談が、4回に分けて放送されました

「時代とハートを動かす SEIKO」presentsということで
「耳をすませば聞こえてくる時計の針が刻むトキメキの物語
秒針が一刻一刻 人の思いを刻んでいく」とのナレーションのあと
シャルマンシーナ TOKYOの階段を降りて来られる甲斐さん

テリーさんとは、雑誌の対談などでもお顔を合わせておられるし
甲斐さんに「コメンテーターに向いてる」とおっしゃったくらいだし
特に緊張なさっているご様子もなく…(笑)

そのテリーさんが「1974年デビューですよね?
…で、いきなりもう大ヒットでしょ?」と切り出され
「ハイ、セカンドシングル『裏切りの街角』…」と頷かれたトコで
その「裏切りの街角」が、バックで流れ始め

画面下には…「甲斐よしひろ 1953年生まれ 福岡県出身
1974年 甲斐バンドを結成 同年『バス通り』でデビュー
セカンドシングル『裏切りの街角』が大ヒット
その後も『HERO』『安奈』など数々のヒット曲を放つ
2019年 甲斐バンドデビュー45周年を迎え
今も更なる新境地を求め活躍を続けている」…というプロフがクレジットされ

「あまり苦労みたいなのは、デビューしてからなかった?」との質問に
「ナンか、あんまり早い内に点数取り過ぎると
その後ちょっとね、なかなかハードな時期もありますよね
早い内にやっぱり、かなり点数取り過ぎたんで…って、ありましたけど」と甲斐さん

「裏切りの街角」がヒットして「時代の掴み方っていうのか、嗅ぎ分け方っていうのか
何かそういう直感がね、俺は間違ってないんだっていう自負が出てもいた」
…ところから一転「HERO」でブレイクなさるまで
「自分には才能がないんじゃないか?」という
メンバーの皆さんにも言えない不安を抱えていらしたんですもんね?(汗)

ともあれ…「ナンか、あの…いつ音楽やり始めたのか?っていうことよりも
ナンか、どこで目覚めたのかね、音楽に…」とおっしゃると
「ロックに目覚める時」という、この日のテーマタイトルが出て

「僕、そういうので行くと、すごい早いんですよ」『いつ頃ですか?』
「基本、ウチ、レコードいつもかかってて
楽器がゴロゴロしてて、譜面もあって…っていうような…
それで、洋楽は、僕、ホント物心ついた時から、洋楽流れてたんで…」

『誰の影響ですか?お父さん?』
「それはもうウチの親父が商売で成功してたにも関わらず
夜な夜なキャバレーに行って、生演奏してたんですよ
フラットマンドリンの奏者なんですけど…あの…丸い…フラットなボディと
それに自分でエレクトリックマイク仕掛けて…で、アンプも自分で作って…(笑)

で、ナンか、夜9時くらいになると、ナンか…ナンてんですか?
そわそわしながら出かけて行く…」といった
甲斐さんファンの皆さんには、お馴染みのエピソードに触れられた後
「高校2年の時に、博多の『照和』ってライブハウスでやり始めたんですけど…と話された際には

「LIVE&喫茶 照和: 1970年 博多の中心地 天神にオープンしたライブハウス
当時、チューリップ 海援隊 井上陽水 長渕剛など
たくさんのミュージシャンが演奏していた」とクレジットされたんだけど
陽水さんはレギュラー出演なさってないし、長渕さんは「当時」じゃないし…?(苦笑)

…とツッコんでいたら、甲斐さんが「そん時、チューリップ 財津さんいて
海援隊の武田さんもいて…っていう感じでしたよ、もう、その人たち、大学生で…」と正解発表(笑)
そういえば、いつぞやの「名曲!お宝音楽祭」で、チューリップの「心の旅」の映像が流れ
「わあ!姫野さん、若いなあ!」と思ったら
その後ろにオリジナル甲斐バンドの皆さんを発見して
「こちらも若いなあ!」とビックリしたことが…(笑)

それはともかく…テリーさんは、1949年生まれという世代的にも
また、現在、我が家の購読紙に連載中のコラムによれば…
学生デモに参加なさった際の投石により目を負傷された後
「フォークソングのコンサートを企画」なさったのが
「演出家テリー伊藤」の誕生だったこともおありだったんでしょうか?
「フォークの方に行かなかったんですか?」とお訊ねになると

甲斐さんは「元々、洋楽を聴く要素が多かったんで
もう、やっぱり頭ん中でロックが鳴ってるんですよ、すごく…
で、ホント、僕、レコード会社と契約する時は、あのー…ソロシンガーで
あの…照和でやる時はソロでやってたんですよ、途中から…ハーモニカと、まあ、生ギターと…」

…と、この日もいつも通り?(笑)番組冒頭から
大きな身振り手振りで話されてましたが
この時は、両手でハーモニカホルダーのシルエットを表され
一般視聴者の方々にも伝わったのかなあ?と奥さんクスクス(笑)

「…で、そこで契約するトコに行ったんですけど
『イヤー、バンド作りたくて、もうメンバーいるんだけど』って言って
レコード会社が、のけ反るっていう…『えっ!?』っていう…(笑)」
…と、のけ反りながら説明なさる甲斐さん(笑)

テリーさんが「あっ、レコード会社はソロでデビューさせようと思った?」と驚かれ
「そうそうそう!だけど、そのまんま、もう…バンドで…」と話し出されたトコで
「甲斐バンドとしては初!ビルボード・ブルーノートライブツアー開催」云々が表示され

…ってまあ、この第1回放送当日に非常事態宣言が発令された時点では
ビルボードツアーの一部延期が決定しただけでしたし(苦笑)…
続いて「甲斐バンドデビュー45周年ツアーフィナーレを飾る野外ライブが決定」
…と、横浜赤レンガ倉庫の告知もクレジット

「だからもう、あの…自分でフォークギターやって自分で歌ってても
(頭の中で)鳴ってるのが…ずっとロックが鳴ってるんで、サウンドが…
だからもう、ムリだなと思って…
で、1人でギター弾いて、ハーモニカっていうのはムリだなあと、そう思ってたんで…

照和っていうトコで、もう満杯で…外に出ても人が待ってるくらいの客が入ってて
で、僕、ソロコンサートも1200くらいのトコが満杯だったりしてたんですよ」と明かされると
「それ、デビューする前!?」とテリーさん
かつて、アマチュアライブの企画を手がけていらしただけあって?
1200人という動員数に、かなりビックリなさったみたいですが

甲斐さんは「そう、デビューする前に…
だけど、もう限界感じてて、ムリだなあ…」と流され
「スゴイね」というテリーさんの呟きと
「トキメキの時は終わらない…次回もお楽しみに」で第1回終了…

ちなみに…40周年記念のプロモーションで、テリーさんと対談なさった記事でも
テリーさんが「そもそも、甲斐さんは誰の影響を受けて
ロックをやり出したんですか?」とお訊ねになり
「小学校に上がる前から、家の中にレコードが置いてあって
楽器も置いてある、譜面も散らかっている、そんな環境だったんです」と甲斐さん

「お父さんがフラットマンドリンの演奏者だったんですよね?」との質問に
「そう、自分で作ったエレクトリックマイクを仕掛けて
アンプで流すような変な人だったんですよ
自分の事業とは別に、趣味でも音楽をやっていて…
博多は、日本のミュージックシーンとしては、非常に重要な場所で
ウチの親父も、そういうシーンの中にはいたみたいなんですけど…」とお答えになってました
コメント
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