ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

機関紙BEATNIK24

2016-03-15 06:49:22 | 日記
1983年8月Vol.20には、前回のニューヨーク特集で
最後にご紹介した甲斐さんの言葉
「マンネリはイヤだ。退屈はウンザリ。
いつも生き生きしていたいからね」…が、掲げられ
特集の「甲斐バンドライブ10年」では
印象的だったライブをピックアップし、当時の掲載記事で振り返ってます

これは、Vol.15でも「取材メモ」や読者投稿などを元に取り上げられてましたが
この号が発行されたのは、ちょうどBIGGIGの当日でもあり
改めて「ライブバンド」としての足跡を辿ろうということなのかなあと…

「甲斐よしひろは自分の口から10年という言葉を吐いたことがない
それはただの事実だとしてしか考えてないからだろう
それでも、誰もが、ずっと見ていた訳ではない
バンドにとっての時間と聴き手にとっての時間が同じであることは有り得ない」

「最近聴き始めた人がいる。以前から聴いている人がいる
以前から聴いて来た人達は、自分達の見たことを伝えて欲しい
10年間のステージでどんなことがあったのかを
今年初めてライブを見た人に読んで欲しい
どんなステージがあったのかを」というプロローグの後

まずは「初期の甲斐バンドを感じさせる記事がある」との書き出しで
田家秀樹さんが、1976年11月14日の家政大学園祭を振り返られてます

「何年何月何日というその日が、二度と来ないように
コンサートも同じコンサートが二度ある訳ではない
コンサートは人間がやるものだ
特に甲斐バンドの場合は、その日の調子や感情が
比較的ステージに出ているコンサートが多かった
比較的というより、そのものと言った方が良いのかも知れない」

「年間に100本のステージがあったとして
すでに1000回はステージに立った計算になる
10年の歴史なのだから、どれを取り上げるか難しい
ましてや、初期のコンサートの話をしても
それが、最近見た人達にどこまで伝わるのか
もうひとつ見えないとも言える」

「そんな中で、初期の甲斐バンドが
マスコミ的にも、ファン的にも、どんな見方、どんな聴かれ方をしていたか
物語っている新聞記事が残されていた」

「~「親衛隊」殺到で混乱~
フォークコンサート 学園祭7人ケガ」

「バンバン、リンドンが出て、トリが甲斐バンドだった
開場予定が午後5時なのに、午前8時から並び
1500人定員の所を1700人が詰めかけた、と書かれている」

「そして、フォーク・グループの親衛隊200人を含む
ファンが殺到して事故が起きた、とある
親衛隊という言葉が使われているのが、当時のマスコミの認識と
その中に甲斐バンドがいたということを物語っている」

「そして、11月25日付の週刊新潮には…
なんのことはない、西城秀樹や郷ひろみのコンサートで騒ぐ小中学生と変わりない
さしずめ、高学歴社会の喜劇…としたり顔で書いてある」

「デビュー当時の甲斐バンドは
チケットの手に入らないバンドとして知られていた
何しろ、テレビを始めとするマスコミには全く見えない所で
迎合することなく、ステージを続けていたという、そんな初期の象徴的な話だろう
でも、週刊新潮にもヒデキやヒロミと違うということだけは判ったんだね」
…と記されてますが(笑)

おかげさまで、その小中学生だった奥さんは
「新御三家」の「親衛隊」ばかりのクラスの中で
一人だけ浮いた存在だったんだとか…(笑)

続いて、吉田昌佐美さんの記事では…
もう10年経つんだなあ…なんて頭の中でグルグル渦巻いてる
いくつものコンサートを思い起こすと
強烈に甦って来るステージがある
77年5月8日、渋谷公会堂でのサーカス・サーカス

その頃の甲斐バンドのファンといえば、ほとんどが女のコで
招待席にチラホラ男の人がいる程度
この日もそんな会場風景だった
午後3時開演、浜田省吾やハルヲフォンが前座に出て、2時間あまりのステージ
それなりにリラックスしているようだけど
みんな間もなく登場する甲斐バンドへの期待で、それどころじゃない様子

オープニングの「魔女の季節」を
甲斐よしひろが吐き出すように歌う
オーバーなアクションが、観客たちを右へ左へと揺さぶる
耳が痛くなるほどの歓声と飛び交う紙テープ
今では全く見られなくない「紙テープ投げ」は
その頃、唯一許されていた観客たちのストレートな感情表現だったと思う

立ち上がって声援を送る、今では当たり前のことだけど
警備員の重たいプレッシャーにはまだ勝てなかった
ステージが最高潮に達する頃、会場のアチコチで
観客と警備員とのゴタゴタが始まる

甲斐よしひろがそれを煽るようにシャウトする
「氷のくちびる」の松藤さんのドラム…
欲求不満気味の観客たちが、今だとばかりにステージへ押し寄せる

警備員と殴り合い、後ろから押されて倒れる人
自分のポジションを確保して躍り狂う人…かなり危険な状態
甲斐よしひろが「大丈夫?」と歌を中断して客席に向かうと
客席の方から大合唱が起きるというハプニング

終演後には失神者が出て救急車騒ぎ
過激でワクワクしてた…と書かれているんだけど
文字通り、命懸けですねぇ(苦笑)
確かに、初期のコンサートの記事を読むと
かつてのロカビリーやGS全盛期の映像が目に浮かびます(笑)

そうした観客の熱狂ぶりを最初は嬉しく思っておられたという甲斐さんも
警備員に殴られてるファンを見つけて、客席に飛び降りられたり
ステージに上がろうとするファンを蹴飛ばされたり(汗)
ライブの進行が滞るような事態が頻発することや

鹿児島県での暖かい拍手に包まれた平和な(笑)コンサートを経験なさってから
警備員を減らし、スタンディング・オベイションを徹底させる旨を
全国各地のイベンターやホール関係者の方々に説いて回られたんですよね

次は、以前にご紹介したことがある月刊平凡6月号の記事
「79年春、厚生年金3日間連続コンサート
ベストテンで水割り片手にHEROを歌った直後のライブ」での
甲斐さんのMCが掲載されてます

君たちの知ってる曲をやるよ
知ってたら一緒に歌ってくれんかね
少しでも俺たちの音楽を感じてくれるのなら
スタンディング・オベイションでやって欲しい
義理で拍手をするのならやめてくれ

会場を守る警備員の奴らがいなくても
立派にやれるということを示そうじゃないか

(裏切りの街角を歌うにあたって)昔の唯一のヒット曲を
まさか俺たちだけで歌わせる訳じゃないだろうね

(LADYを歌うにあたって)この辺で静かな曲をやります
女の諸君が圧倒的だけど、数少ない男性諸君!
決して肩身の狭い思いをすることはないよ
せいぜい5人くらいの女の子を受け持てば済むからね
でも、ちょっとツライかな…

こんばんは、テレビに出た甲斐バンドです
今の歌の世界は「ベストテン」が基準になっていて
出ないのは悪人で、出るのは善人
でも、イヤだね。今、この場所(ステージ)が最高だよ

俺たちもかなり有名になったもんだね
今日、ここへ来る時も京王プラザに集結したんだけど
喫茶店の店長も俺たちのことを知ってたからね
でも、明日からは、京王プラザには集まらないよ

最近、三流週刊誌に色々書かれたけど
俺は取材されてもいないし、一言も喋ってないんだぜ
よくもまあ、ああシャアシャアと書けるもんだね
昔は、こちらから記事にしてくれと頼んだって相手にしてくれなかったのに…
でも、俺はタフな男だし、津波のように押し寄せても大丈夫だぜ
これからも、したたかに生きてくよ

…って、今まで資料にして来た記事の中にも
甲斐さんに無断でシャアシャア書かれた記事があったのかも知れません(汗)
まあ、取材を受けられたとしても
書き手の方の甲斐さんに対する先入観や印象で
話された内容が違う意味で捉えられてる場合もあるでしょうし(苦笑)

奥さんによると…当時の甲斐さんは
「とりあえず甲斐バンドと書いておけば(雑誌が)売れるからって
取材を申し込んで来た奴がいる」とか

「俺は何を書かれても、反論する機会があるけど
身内やスタッフは言われっぱなしな訳じゃない?
田舎の気の良い(ま○みさんの)お袋さんを騙すようなやり方は許せない」と
マスコミに不信感を抱いておられたという

ただ、取材前には「書くなら、俺の全てを理解して書いてくれ」と
予め断っていらした通り、どんなに時間がなくても
相手の方に伝わるまで、取材に応じておられたんだとか…
でも、取材って、基本的にロハの仕事ですよねぇ…
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