ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

機関紙BEATNIK25

2016-03-17 07:39:05 | 日記
「甲斐バンドライブ10年」続いては、1979年4月7日の山梨県民会館
甲斐さん26歳のお誕生日に初めての客席ダイブということで
記事の見出しは「甲斐よしひろが翔んだ日」
…って、完璧に渡辺真知子さんの曲をパロってますよね(笑)

ともあれ「MELODY No.1」からの抜粋によると…
「今のビリは次の1番、今の1番は次のビリだよ
だから、俺たちは今の1番ってことに何も安心しきってないよね
1位になったことがゴールなら、大の字になってヘタばってるよ
ゴールじゃないから必死でやるんじゃない
そういう意気込みを感じ取って欲しかっただけだよ」と甲斐さん

どうして客席に飛び込んだのか?その理由を訊き出せずにいたら
彼の方から「聞きたいでしょう?」と話し始めてくれた

「俺はね、あいつらを飛び越したかったの、一番後ろの奴まで
だって、やったじゃない?やって、ナンで?って話じゃない?
お前、この汗が見えないのか?って…
あいつらは、俺が飛び降りた時に初めて本気になったじゃない?
ミーハーとか色んな客が来てたけど
俺が飛び降りた時に初めてそれがなくなったじゃない?」

「チンペイと俺と矢沢に共通してることは、日本中まわったっていう意識ね
これはもう自信だよ
テレビで1回だけで済まして来てるボルテージのない連中に対して
絶対に負けないっていう自信がある
だって、テレビは俺たちの味方じゃないじゃない?
何が味方かって言うと、生きてる客だったのよ、ずっと」

テレビに映るには素人かも知れないが
その分、ある種の気位の高さを彼は持ち続けている
テレビカメラを通して、不特定多数の視聴者に
笑いかけるということに慣れてないだけ、媚びることにも慣れていないのだ
そして、売れた時にしか相手にしない
マスコミって奴にも不信感を持っている

「いいステージと、いい曲を作って行くことしかないじゃない
それが俺たちに出来る唯一の反撃だからね」

自分のパワーを信じ、それを拡げて行こうという彼の信念が
彼を飛ばせたのだろう

彼らがテレビに出たことで
色々な変化が起こっていることは否めない
この日のコンサートが、いつもと違っていたのは
明らかに異質なファンが混じっていたせいだ
どんなファンも彼は拒みはしない
けれど、テレビカメラに不慣れなのと同様に
彼が扱いに慣れていないファンもいることを
彼自身、改めて気づいたということだろう

「ああいう人達ってのは、どっかでいると思うわけ
だけど、俺はあの人達を遠い所に連れて行ってあげるのが義務じゃない?」

…って、どんなファンの方だったのかは判らないんですが
当時の奥さんは「甲斐さんがダイブした」ことに驚きもしたし
「ライブに行くことを学校側から禁止されても
大勢の人が駆けつけてくれたこと」と
「飛び込んだ俺を優しく受け止めてくれたこと」が嬉しかったと
甲斐さんが話されていたのを羨ましくも思ったらしい

それはさておき…
日本のロックが歌詞を置き去りにしたというなら
日本のフォークはメロディを置き去りにして来た
そんなフォークとロックとの狭間に生まれ
生き残って来たのが甲斐バンドと言える
そして、フォークもロックも広く受け入れられるために
毒気を抜かれて来た中で
ある種の毒を持ち続けているのも甲斐バンドだ
それがロックなのだ。テレビに出演しないことが、ロックなんじゃない

「HEROは、俺の人生はこうだけど
あんたの人生はどうなんだい?ってことなんだよ
らせん階段の中で、ほとんどの奴がただ落ちていくだけなんだって言ってる
落ちていきながらもチャンスがなかったか?って言うとそうじゃない
そのチャンスをどうして掴もうとしないんだ
ホントはみんなヒーローになれる下地は持ってるっていうのを言いたかったの」

「ヒーローって、まつりあげられた裏側の部分で
みんなどっかで泣いてるんだよ
それは俺たちだって一緒じゃない?
今日は上手く行っても、明日は泣きをみるじゃない?みんな一緒だよ」

彼の中の燃焼しきれなかった何かが
ステージから飛ぶという行動を取らせたのだけれど
紙コップに入ったオンザロックを飲みながら、饒舌になって行く彼の中で
数時間経った今もまだ、くすぶり続けている…と記されてます

で、機関紙の掲載通りではないんですが
同じ山梨県民会館で、1981年6月30日に行われたライブについて
写真集「BEATNIK」の記事を先にご紹介します

コンサートは、いつも予定調和に進んで行く訳ではない
ステージの上のミュージシャンのその日の調子と客席のノリが
どこで出会うかが、その日のコンサートを決めて行く

「コンサートが終わってから、次の駅まで歩いてしまう
そんなヤバい世界を作ってみたいと思う
客席全部、強姦する気でやらないと面白くない」

81年の春のツアーの最終日は、奇しくも甲府だった
そして、この甲府でまたしても、ハプニングが起こった

この日も会場は満員だった
アンコールの拍手と歓声の中でステージに現れた甲斐よしひろは
「翼あるもの」を歌い、一気に「漂泊者」へと行った
「漂泊者」が終わりかけた頃だった
彼はマイクスタンドに向かって、何か叫んだかと思うと
全身の力で、マイクスタンドを蹴り上げたのだ

マイクスタンドは宙に飛び、ステージに倒れた
甲斐よしひろは倒れたマイクスタンドの方に何か怒鳴ったようだった
そのまま、挨拶もせずに引っ込んでしまった

客席は何が起きたか判らないようだった
甲斐よしひろは、それっきりステージには姿を見せず
いつものアンコール曲「100万$ナイト」もやらずじまいという
ハプニング的幕切れだった

コンサートでは何が起きるか判らない
客席とステージの火花が、らせん階段のように上昇して行く
結果がハプニングのこともある
そんなステージに二度出会った甲府のファンはツイていた

「全部赤裸々に出し切って、その上でメゲながらも
ザッツ・エンターテイメントなんだよね」

打ち上げは、いつもと違っていた
いつもメンバー3人は「一気飲み」の煽り役で、主役はスタッフなのだが
この日は、甲斐自らが積極的に飲む側にまわっていた
ビール、日本酒のラッパ飲みの後で
足元がフラついては、再び挑戦する
何回か見た打ち上げの中では、初めての光景だった
春のツアーのフィナーレが
思うようなステージで飾れなかった反動か

二次会に行こうということになって、袋小路風の飲み屋街に出た
そこで、甲斐よしひろは道端に座り込んで、両足を広げ
どこを見るでもなく、目を見開いていた
かすかに泣いたように見えたのは、光のせいだったかも知れない

まあ、後でこんな風に読み返してみれば
「ハプニングが見れてツイていた」と思えるのかなあ?(苦笑)
でも、コンサートというのが、ステージと客席で作り上げて行くものなら
この当日のライブが終わった後って
甲斐さんがおっしゃるのとは別の意味で
次の駅まで歩いてしまいそうです(汗)

奥さんが、甲斐さんのライブで変なヤジが飛ぶたび
「しつこいと怒っちゃう」とヒヤヒヤしたり(苦笑)
「今日はニコニコしてた♪」と嬉しそうに報告してくれるのは
かつての「不機嫌な甲斐さん」のイメージが拭えないからかなあと…(笑)
コメント
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